Googleマジックで消してやるのさ
新年明けましておめでとうございます。
何かおめでたいことが確約されているわけではないのに、なぜか新年になると世界中のほとんどの人がこの言葉を使う。
新しい年をより良い、おめでたいものにしよういう気概がなければ現在にパワーを注ぐことはしないだろう。
私は来年の今頃に2024年が来てくれて良かったと思いたい。だから、私と私に関わってくれる人には新年明けましておめでとうと言う。
2024年1月8日未明。私は酒を飲んでいる。
正直、飲む必要はほとんどなかったのだが、想定外のアクシデントにより20時間近く移動を迫られ、交通機関の乗車時間まであと6時間近く時を持て余しているからだ。
仙台駅前の磯丸水産という24時間営業の居酒屋で3杯目の焼酎を注文したところだ。
ボッタクリというほど高くなく、全部レトルトか解凍というほど不味くはなく、新橋のチェーン店のような野戦病院のような緊迫感もない。こういう状況になる前は、24時間営業の居酒屋に今どき需要があるのかと懐疑的だったが、成人の日の前夜とあって店内は若者たちで賑わっている。
ここに来る途中に酔いつぶれている大学生と思しき青年も久々に目にした。
喫煙ブースでは20代のカップルが私の隣でピルと帰りの足について談笑している。新年明けましておめでとう。
仙台の冬は例年通りの盛り上がりを見せている。
不謹慎だとは思わない。
仮に地震が発生した場所が能登半島ではなく、スカンジナビア半島であったとしても、私と彼らは酒を飲んでいただろう。
東日本大震災が発生した夜も、私は東池袋で酒を飲んでいた。深沼海岸で津波から逃げている車が友人だったかも知れないのに。
そういう過去を正当化したいがために、磯丸水産に集うパーリーピーポーを擁護するわけではないのだが、現実的に我々が選ぶ行動はそういうものだと思っている。
なぜだか分からないが、人の為と書いて「偽」と読む。
募金やボランティアのすべてが偽善だとは言わないが、人の為と言うのなら本当にその人のためになったのか、費用対、作業対効果を見届けるべきだろうと考える。
被害状況と被災者の支援に必要な状況を明らかに把握していない人たちが、岸田政権の現時点での40億円が妥当かどうか判断出来ずに、インドへの支援やオスプレイの単価と比較して良し悪しを批判するのは、数字を読み解く力が不足していると思う。私も被害状況とそれを復旧するために必要なモノが分からないので多いか少いかは分からない。
めんどくせぇ。小賢しい。
そんなことを考えるくらいなら、兼六園でHAWAIIAN6のライブの設営スタッフでもすればいいと思う。
ホッピーの中を頼んだ。
不幸やアンラッキーはいつ何時でも、誰にでもやってくる。
どれが酷くて、何が辛いかは人それぞれだ。大地震による火災や家屋の損壊や人命が失われることはアンラッキーだ。しかし、その原因が、素行や前世や頭や運の良し悪しではないと思う。
その結果に対してどう行動するか、予測できる最悪の事態をどのように避けるか想定することが我々の生き方だ。
私の生き方は、ありもしない災難や、見えもしない未来のために、好きでも得意でもない仕事に時間を費やさないことだ。
保険や保証を度外視するということではなく、失っては困るものと、それらを守るために必要なことを見定めて生きていきたいということだ。
能登半島の復興と、自身のランゲルハンス島を守ることは同じように必要だと考えている。
軽蔑して頂いても構わない。
ホッピーセットが来たし、私には、私の関係者が2024年になって良かったと思わせるようにやってやるのだから。
明けましておめでとう!
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