散文
今日もとっちらかしてやんよ。
というわけで、本日は17:50くらいから安さと若さが売りの居酒屋で一人で飲み始めた。
お察しの通り、レバ刺しとか馬刺しとかユッケとかなめろうとか、火を通していない鳥獣類と魚介類が大好きだ。ちなみに生春巻きとか生チョコも好きかもしれない。
フジファブリックのカバーはあまり好きではない。生じゃないからか。
この散文はたいがい、一人で飲んでいる時に発動する。そもそも一人で外で飲むのは得意じゃない。それ故に行きつけというのもない。外で飲むくらいなら家でいつでも寝られる格好で飲んだほうが気が楽だ。
今日も一杯目のビールを飲んだ時点で、目標は達成していた。あとは消化試合だ。Kindleでグレート・ギャツビーを読み始めて10分ほど経過した。BGMと客の入りと店員の声の明るさと量が上昇していく。
これは違う。
グレート・ギャツビーではない。
これも昔からなんだが、音楽を聴きながら本を読めない。夏の歌を聴きながら冬の情景を想像できないから。似て非なる話だが、かぼちゃコロッケは俺の中ではおかずではなくおやつだ。
その違和感からこの散文を書くに至る。ゲーム実況みたいなもんだ。悟られないサトラレ。※伝わるかな?
また、銀皿に乗ったつまみが来た。
この銀皿に乗ったやつって大体うまいよな。俺が好きな非加熱鳥獣類はたいがいこのスタイルだ。
銀皿を買って家でホルモン刺しでハイボールをキメたらいいというものではない。銀皿も異国情緒だし外でしか味わえない文化だ。
先日、出張で秋田に行った。
秋田と言えば、俺が学生時代のバイトの現場で数年にわたり度々飛ばされてお世話になった地だ。
酒の飲み方も知らない二十歳前後の俺は先輩に連れられて、千秋公園近くの大変うまい酒と肴を出すお店によく行った。会計も大変なものだったのだが、酒の肴も一級品。高いとは思わなかった。
その店は御夫婦で店をやっており、店には1歳か2歳位の娘さんがいて、座敷にはアンパンマンの電話とかが普通に置いてあった。
親が居酒屋経営だからか、娘が保育園で同世代の子と仲良くできないとか、生活のリズムが狂いまくってるという話を聞いて、店に行くのも行かないのもどっちも良くないよなぁ。なんて考えている間に、俺は大学を卒業して東北を離れた。
時は流れて16星霜。※たぶん
図らずして俺は再び秋田へ赴く。秋田駅は見違えるほど整備されていた。※はなまるうどんは残っていた。
駅前のフォーラスとパチンコ屋は姿を消したが、α-1と末広ラーメンと千秋公園は凛としてそこに在った。
あまり有意義とは言えない、茶番劇のような会合を相槌と落書きで乗り切った俺は、秋田出身の上司と共に駅前の繁華街へ足を伸ばした。
街の輪郭は俺の記憶には残っていなかった。始めて来た場所のようなアウェイ感。浦島太郎状態。
ちょっと待てよ。ハイボール¥150円の店で会計が¥4,000?!今日来てるワークマンのポロシャツとチノパンより高いってのか?
こんなことなら、サイゼリアで赤ワインをキメるか、ベローチェで資格勉強するんだった。
時を戻そう。
結論から言うと、俺が学生の時に行っていた店は2024年現在、そこに在った。
1軒目でまぁまぁキマってきた上司を連れてその店に入る。雰囲気はだいぶ変わったように見えるが、カウンターや座席の感じでその店だと分かった。カウンターでは常連さんと仲よさげに話す女性がいる。おそらく女将さんだ。
店内には女将さんともう一人女性の従業員がいた。
日本酒の飲み比べセットをさほど味わいもせず飲み干し、次の注文をしようと従業員を呼んだ。そこで意を決して聞いてみた。
「大将と娘さんはお元気ですか?」
すると女性は、「大将は今はいません。娘さんは東京で大学生をしてますよ。」
よかった。娘さんが同年代と仲良くやれてるかは分からないが、真っ当なルートを歩んでいることに安堵した。
大将は今はいません。ん?
どうとでも解釈できる答えだ。女将さんがいる手前、突っ込んだことも聞けないし、そもそもそんなに常連だったわけでもない。
調子のいい大将だったが、天然のしめじを取ってきたり、焼酎のボジョレを出してくれたり、腕はたしかだった。
諸行無常。
何が要因かはそれぞれ異なるが、全てのものは移り変わる。大将と娘さんの順番がたまたま先だっただけだ。
結局、その店を出てへべれけで味も分からない状態で3件目で飲み、窓を全開でホテルで眠った。
駅前の敷地では竿燈まつりの練習をしていた。夏がやってくる。
大将はいなくなり、娘さんは大学生になった。俺は体重が20キロ増えて、HIPHOPよりNISAに興味を持つようになった。女のケツばかり追いかけて来たのに、今じゃその女のケツとお別れするために民法を知らなきゃいけなくなった。暗い話にばかりやたら詳しくなったもんだ。
それでいい。それでいいじゃないか。
淋しくはない。どんな場所もいずれ離れる時が来る。
花に嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生だ。
我々が守るべきなのは、マットレスと枕の弾力とシャワーの水圧だけだ。
もしも、摂理に逆らってあらゆるものを繋ぎ止めようとするならば、俺はギャツビーにならないといけない。しかし、ギャツビーになるのにもまた、お別れが必要だったりする。(ここで回収したーーーー)
水面に映った犬の肉を奪おうとする犬。実態のないものと失ったものをばかり欲しがる。
明日から気を取り直して、カロリーと脂肪と時間と資産を失いに行くとしよう。
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