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日本人女性としての生きづらさ

今話題になっている「出国女子」が語る生きづらさに凄く共感したので、私が「日本人女性」としてこれまで経験した生きづらさを書こうと思う。

「女の子なんだから」という呪い

父も母も昭和の生まれで、父は建材会社で正社員として働いていて母は時短パートの専業主婦だった。母は行儀に関してうるさく、よく私に「女の子なんだからあぐらかかないの」「女の子なんだから肘ついて食べないの」と「女の子なんだからー….」をよく使っていたのを思い出す。当時はその枕詞に対して疑問を感じていなかったけど、日常的に聞いていた言葉が無意識のうちに私の中に「女性はこうあるべき」という固定概念を根付かせていたのだと思う。

男女スポーツで女子キャプテン=副キャプテン?

3歳から柔道を習っていて中学では柔道部に所属した。中学校時点では男女で体格差がそれほどなかったため、日々の練習では男女合同で行っていた。私の部では男子よりも女子の方が個人でも団体でも成績を残していたため、正直にいうと女子のほうが期待されていたように思う。私は中学2年生の時に女子キャプテンに選ばれたのだが、当時同時に選ばれた男子キャプテンがコーチから指示をもらってメニューを決めてメンバーに指示を出して”キャプテン”をしていた。女子キャプテンとは名ばかりで、正しくは”男子キャプテンの補佐”だった。

上京して1年目に電車で痴漢にあう

大学に入学するため東京に引っ越した18歳の春。服装も化粧も垢抜けなくて、どこから見ても都会に慣れていない上京したて大学生だったと思う。上京して1年目のある朝、満員電車の小田急線で痴漢にあった。痴漢にあった経験者が口を揃えていうように、私もその時は何が起こっているのかわからなかったけど、何か起きてはいけないことが起こっていることはわかった。その後私が具体的にどんな行動をしたのかは覚えていないが、その場で助けを求めなかったし、そのおじさんを追いかけて問い詰めることはなかったし、気持ち悪さで泣きそうだったことは覚えている。
同年代の友人に痴漢の話をすると、大体みんな経験談を持っていた。これが当たり前になっているのが今の日本。。。

メディアが作り上げた美のスタンダードに苦しめられる

大学生になって周りに綺麗な人が多いことに気づく。細くて白くてナチュラルメイクで、いかにも「モテる女」代表のグループはいつも校内のコンビニ横のカフェテラスでたむろしてたから目立っていた。入学したての時は”田舎からきました感”が出ていた子たちも夏には垢抜けて「モテる女」に近づいていた。
私の体型は元々肩幅が広くて曲線が多くて、痩せたところで理想とされる華奢な女性にはなれないことに気づく。ファッション雑誌を見ても、背が高くて細い人しかいなくて、私の体型に似たモデルはいなかった。大袈裟かもしれないけど、私の体型はそもそも美しくないと否定している気持ちになった。
彼氏がいた時も常に自分の体型へのコンプレックスは消えなかった。今考えると聞かなくてもいいことだったのだが、私は歴代彼氏たちに「もう少し痩せたほうがいいかな?」と聞いていた。するとみんな同じような答えが返ってきた。「痩せる必要はないと思う。でも痩せたらもっと可愛いよ。」
これはある意味永遠の呪いだった。この言葉を聞くたびに「この人は私のことを100%好きではないのか。」と落ち込んだし、自分のことを100%好きになってくれる人が現れることはないんだなと思った。
19才の時にオーストラリアに1ヶ月留学したことがある。留学中にモールに行く機会があったのだが、そこにはむちむちの太ももに食い込むショートパンツを履いた人がたくさんいた。それでいてみんな堂々としている。その時に自分の中の「痩せていないと可愛くない/愛されない」という呪いが溶けたような気がした。

まとめ

小さい時から無意識的に「女性はこうあるべき」という概念の呪いにかけられ、痴漢にあうことが当たり前の日本に居続けるのはしんどいなという話。私の場合は大学時代に留学したことで、もしかしたら海外で住んだ方が行きやすいのかもしれないという希望を持つことができた。
海外で働けるだけの英語を勉強してどこでも働ける手に職をつけて海外移住を計画しているけど、そういった働き手が海外に流出する日本、そろそろ変わらないとじゃないか。

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