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それは不思議にありふれて 〜第一章 【騒霊】 その①


 君じゃない他の誰かになりたがるなんて、君自身として生まれたことがもったいないよ。
                 〈カート・コバーン〉



 4月の海の色が一番好きだ。大伴千比呂は浜辺に横たわる大きな流木に腰を掛け、昼の弁当にと母に持たされた玉子サンドを頬張りながら想いにふけっていた。

 時刻は8時を少し回ったところ、そろそろ向かわなければ学校に遅刻してしまう。

 千比呂の通う神奈川県立猫柳高等学校は、蝶ケ崎市の海岸線にある。第二次世界大戦後すぐに建てられたそこそこの歴史を持つ、この辺りでは比較的優秀な部類に入る学校だった。

 いま千比呂が、ボーッと海を眺めていた浜辺から、松の木が密集した防砂林を抜けて国道を渡ればすぐに校門にたどり着ける。
 そろそろ行くかなと、意を決して立ち上がると心地よい海風が、前髪をヘアピンで留めたむき出しのおでこを撫でた。スカートの砂を払うと、少し黒味を帯びた砂浜に足を取られながら、潮騒を背に防砂林へ向かって歩き出した。

 国道まで歩くと、信号は赤だった。道路の対岸を歩く生徒達の足取りにはまだまだ余裕がうかがえたので、遅刻はまず無いだろうと気持ちにゆとりが生まれた。

 信号待ちの間、特に用事はないのだが何の気なしにスマホを立ち上げた。メッセージアプリのNodeの通知が1件はいっていたので開いてみる。クラスメイトの里緒から人を小馬鹿にしたようなスタンプが送られていたので、鼻血を垂らした猫のイラストのスタンプを送り返しておいた。

 そうこうしている内に信号が変わり、足早に海岸沿いの国道を渡って校門をくぐる。学校の敷地に入ると両側に低木の林があり、その先に校庭が広がっている。

 猫柳高校の敷地は割と広く、野球のグランドにサッカーグランドが1面づつ、それに陸上部のトラックと25メートルプールが完備されている。2階建てのコンクリ造の部活棟も校舎とは別にあり、4階建ての校舎が中庭を挟んで2棟並んで建ち、その脇には学食と図書室が一緒になった建物と体育館があった。教職員用の駐車場も完備されていて、至れり尽くせりである。

 昇降口の下駄箱で上履きに履き替えると、千比呂はそのまま2階へ上がり1年2組の教室を目指す。教室に入ると、クラスメイトと雑な挨拶を交わしながら、窓際の一番前の自分の席へ学生カバン代わりのリュックを降ろした。

 時刻は8時15分。ホームルームが始まる5分前。窓から校庭を見下ろすと、遅刻しないように小走りで校庭を横切る生徒の姿以外は、ほとんど見えなくなっていた。

    目線を上げれば防砂林の間から、海が見えた。青く澄み渡った空に、さざ波の照り返す陽光が細やかにチラつく様は、いつまでも眺めていられそうだ。

 千比呂が少しウトウトしだすと、教室の扉が開き担任の遠山先生が入ってきた。セミロングの黒髪ストレートの女教師は、今日はいつものカジュアルな服装とは違い、スーツ姿だった。

「起立、礼、着席!」と、クラス委員の男子の掛け声の後、出欠の確認が行われる。
    名前を呼ばれたら、はい。名前を呼ばれたら、はい。思春期の子供達は返事に何とかオリジナリティを持たせようと試みているが、誰も芳しい結果には繋げられずにいた。

    自然光の中で決まり切ったいつものやり取りが繰り返される。IDカードをスキャンすれば出欠の確認は、必要ないという学校もあると聞く令和6年になっても、この学校では昔ながらの学園風景のお約束が淡々となぞられている。

 千比呂は、それが良いんだよなと、少しぼんやりした頭で考えた。

 その後、今日はこれから1年生と、各部活代表の上級生が集まって、体育館にて部活説明会が行われるとのことだったので、ホームルーム終了と共に、体育館へ移動した。

 体育館ではクラスごとに別れ、出席番号順に床に座らされた。立ちっぱなしでないのは、長丁場になる証拠だ。千比呂は、少しゲンナリしながらスカートのまま胡座をかいた。

 そもそも、部活動というものに興味がない。興味がないばかりか、良い思い出がない。

 千比呂は、普段茫洋としているが、身体能力は非常に高く、中学時代は、身体測定の結果を見た陸上部の顧問に、半ば脅されるように頼み込まれ出場する羽目になった陸上の大会で、短距離走と走り幅跳びの全国中学生記録を打ち出してしまい、ネットニュースで全国に顔を晒す羽目になってしまった。《天才美少女アスリート現る!》という、盛りに盛りまくられた千比呂的には甚だ遺憾に存じる見出しと共に。

 おかげで全くやる気のない陸上部に登録され、やれ県代表の強化合宿だ、それ地方予選だと、嫌だと言っても駆り出され、そんなこんなしてる内に、全くやる気を見せない態度の癖に、誰よりも優れた結果を出す天賦の才に、業を煮やした女子陸上部の先輩方に取り囲まれ、挙句の果てにはヒステリーを起こした3年生の元エースに、「いらないんだったらその才能よこしなさいよ!!」などと泣きながら叱責されたりなどもした苦い経験を思い出した。

 トラウマをほじくり返していたら、いつの間にか壇上で茶髪のチャラ男が得意げにエレキギターを振り回しながら熱い語りを繰り広げていた。

 列の前から回ってきた手許の配られたプリントで順番を確認すると、軽音部のようだ。ギター漫談かと思ったが違ってた。

    最後に1曲演奏すると、愛してるぜベイベー!!と叫びながら舞台の袖に消えていった。知らない人にそんな事言われても困ってしまうので、軽音部には関わらないことにした。

 それから入れ替わり立ち替わり、様々な部活が1年生の気を惹こうと、意匠を凝らした演出をしながらアピールをしていたが、残念ながら千比呂的にはほとんどがダダ滑りに見えた。

 すっかり集中力をなくしてしまったのでプリントに記載された紹介文を参考にしようと眼を落とした。
 あんまり興味をそそられるものはない。かといって帰宅部なぞになろうものなら、運動部からの勧誘祭りに悩まされる事は目に見えている。

 紳士協定のような形でこの部活説明会が終わるまでは、有望な生徒への勧誘は控えられているようだが、さっさと身の振り方を決めないと明日からとんでもないことになりそうな雰囲気を、視線が合った壇上の運動部の諸先輩方の目線が、如実に醸し出しているのである。

 出来れば文化系が良い。本気で活動してなさそうな緩い雰囲気であれば尚良しである。吹奏楽部......本気だ。美術部......そもそも絵心がない。かといって、さっきの軽音部のようなところもお断りだし......

 猫が経営する山奥の料理店並みに注文は多いが、譲る気はない。輝かしく怠惰を貪る夢の高校生活の為、ここで妥協するわけにはいかない。

 読み進めていくほどに、なんでこんなにちゃんと部活動やっているんだろう? もっと適当でいいじゃないか、などと理不尽な怒りすら湧いてきた。

「!!」
 ふと欄外に米印を見つけた。
 ※ 尚、生徒会では現在、風紀委員の1年生統括と、斎事係を1名づつ募集しております。我こそは、とお考えの方は、A棟1階生徒会室までお越しください。と、ある。

 生徒会の係なら、部活に所属しない言い訳にもなる。風紀委員なんてお硬いものは論外だが、こっちは、さいじ係って読むのかな?

    文化祭や体育祭など大きなイベントには担当の係があるから、これは多分その他の小さなイベント事の采配をするようなところかな?

    そうなるとあんまり仕事もなさそうだ。勝手な想像は膨らむばかりだ。

 部活説明会が終われば、今日は午前中で解散である。とは言っても、この後は、各々が気になった部活を訪問し、先輩方に話を聞いたり体験入部をしてみたりなどする時間なのだが、千比呂は若干1名きりの募集の、甚だ勝手な自己判断ではあるが、魅力的な閑職を誰にも渡すまいと、生徒会室を目指すことに決めた。

 だが、それも腹ごしらえをしてからだ。青春とはお腹が空くものである。しかし、何たることか手持ちの弁当箱はすでに空っぽである。いたしかたあるまいと、ほくそ笑みながら制服のジャケットのポケットの中で小銭入れを、その存在を確かめるように握りしめ、いざ揚々と学食に向かって歩きだそうとしたところで、木下里緒にふん捕まった。

 柑橘系フローラルのなんとも清々しい香りが漂い脳髄が痺れる。千比呂の首筋にまわした両腕に全体重を預けながら、里緒が耳元で囁いた。
「ちひろは、部活ナニするか決めた〜?」
 甘い甘いアニメ声。ギャルとまではいかないまでも茶色がかったロングヘアーにゆるふわのパーマをあてた色白美少女を背負いながら、それでも千比呂の足は止まらない。学食の座席の争奪戦は、文字通りの戰さ場だった。

「その話は、お昼食べながらゆっくりしようじゃない。弁当?」
「ん〜ん、あたし今日は洋定食のBにする。ちひろは、お弁当また食べちゃったの?」
「今日はサンドイッチだった。わたしはねぇ...... カツ丼にしようかな」
「え〜、かわいくない〜、おっさんじゃ〜ん」
「ひどい! じゃあ、カワイイカワイイミックスフライ定にする〜」

 たわいもない会話をしているうちに学食へ到着した。里緒はひきずられるばかりで、結局一步も歩かなかった。千比呂が目ざとくテーブルに向かい合わせの2席の空席を発見し、スマホとハンカチを置いて場所を確保した。里緒はその間に券売機の行列に並んでいる。千比呂が両手を大きく振って合図すると、右手でキツネを作って頭の上でコンコンと鳴かせた。
 チームワークはバッチリである。

 里緒が券売機に並んでいる間に、千比呂は水をテーブルに運び、トレイを持ってカウンターの端っこで里緒が来るのを待ち構えている。

 里緒の買ってきた食券を代金と交換で受け取ると、カウンターで料理と引き換え、テーブルへ運んで並べた。
「なんかさ〜、それって女子女子してるよね」
 里緒の洋定Bを見つめながら感心したように千比呂が言った。

 ちょこっとのチキンライスに、ちょこっとのナポリタンパスタ。あとは、彩り豊かなヘルシーサラダのカラフルに、ピンク色したサウザンドレッシングが輝いて踊る。つけあわせには黄金色が眩しい、具材なぞ欠片も見えない、清々と透き通ったコンソメスープが添えられている。

 対して千比呂のミックスフライ定は、ほぼ茶色い。これでもかの男心をくすぐらんとせんが為に取り揃えられた様々なフライの山に、キャベツの千切りが申し訳程度に顔をのぞかせている。塊のような警戒色の如き黄色のカラシが男らしさを更に演出し、これに味噌汁と盛りの良いご飯がつく。まさに男の中の男の為の定食であると言っても過言ではない。

「なんかそれって、冬場のゴルフ場みたくね?」千比呂のミックスフライ定食をみつめて、からかうような眼をした里緒の喩えは的を射ている。
「でも、コスパは一番よ」
「食べ切れたらの話しだべ。そんなのちひろちゃん以外の女子が食べてんの見た事ないんですけど」ああ言えばこう言う。小学校からの付き合いである里緒との会話は、千比呂にとっては、気を置かずに過ごせる楽しいひと時だった。

「それで、部活。どうすんの?」
 唐突に里緒が本題に踏み込んできた。
「それな。なんかピンと来るのがなくってさぁ。里緒はどうするの?」
「やっぱ、もう運動やんないんだ?」特になんの感情も示さずに里緒がたずねる。そこには興味本位な好奇心など欠片もない。

「やんないねぇ、文化部もなんかいまいちだったし......」
「じゃあさ、落語部行かない? あたしと漫才やろうよ」
「落語部で漫才とか浮くでしょ、やだよ。大体なんかあそこ超本気そうじゃん。素人さんお断り〜みたいなオーラバリバリだったじゃん」

「え〜、じゃあどうすんの?」別に一緒の部活じゃなくてもいいのにと、千比呂は思ったが言わずにおいた。一緒の部活前提で話を進める里緒の気持ちが、少し嬉しくもあった。

 千比呂は胸ポケットから、折りたたんだプリントを取り出すと、テーブルに広げて、里緒に見せた。エビフライの残りを口へ運ぶと、その箸でプリントの米印を指し示しながら言った。

「わたし、生徒会に行ってみる。このさいじ係をやろうかと思ってる」

 割とドヤ顔しているのは自分でもわかってた。

【騒霊】その②へ続く


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