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あのひのだくだ 《前編》

    ​​───────よろしく


 赤い車体のディーゼル列車は鋭い金属音をたてながら、ゆっくりと二両編成の車体を空久間駅のホームに停車させた。

 ワンマンバスのような料金箱に切符と運賃を投げこむと、拓郎と正子はホームに降り立つ。

 「暑いねぇ。まだ5月なのにね。」
 正子は右手で陽射しを遮りながら、拓郎に笑いかけた。

 聞いているのかいないのか、拓郎が静かに周りを見回すと野山に囲まれた田園に、まばらに民家がみえる。

「田舎だね……」
 こぼしながら一際目立つ山に目を留めた。
「あれが空久間岳よ。てっぺんに刺さってるのが、たんくろの樹。空久間神社の御神木ね。御神木ってわかる?」
 拓郎は少しムッとしてうなづく。
「小5にもなればわかるよ。それくらい。」
 正子は、嬉しそうに笑う。

「あの下の神社が空久間様よ。お義兄さんの実家の神社。拓ちゃんのおじいちゃん達のお家、拓ちゃんは、これからあそこで暮らすの。」
 そう言うと無人の改札を抜けて空久間岳の方に歩き出す。拓郎もそれに続く。

 赤茶色の橋を渡り、川沿いの道を辿る。
「これが金田川、見田のおじいちゃん家の近くの見田川に続くのよ。」
 見田のおじいちゃんの家は、拓郎の母と正子の実家である。
 正子は母の妹で今は東京で暮らしてる。

 拓郎の両親が亡くなった後、最初は自分の所で引き取ると言っていたのだが、夫との間に子供が3人、加えて義母と同居していて、さすがに無茶だと悟り父の実家の祖父母が引き取る事になった。

「もうすぐ人幸祭だから、行ってみたかったらおじいちゃんに言っとくよ。」
川面の照り返しに目を細め、正子が言った。

 拓郎は人混みが苦手だった。拓郎にはコンプレックスがある。彼の右目には白目が無い。厳密に言えば白目が黒く染っている。

 それは、拓郎が小学校にあがる前日だった。
 父の書斎の上に置き忘れられた高級万年筆を手に取ろうと、不安定な事務椅子によじ登り、ひっくり返った拍子に万年筆の先が拓郎の右目に刺さった。

 幸い瞳孔を傷つける事はなく視力にも問題はなかったが、白目にインクが拡がり、それ以来拓郎の右目は真っ黒になった。 人混みに出るとどうしても気にしてしまい、今だって眼帯をしながら歩いている。

「今年は、いいかな……」
 川向こうの水田に目をやりながら、ボソリと答えた。
「そうね。まだそんな気になれないよね。ごめんね。」
 ちょっと失敗したなと正子は思った。

 消火用水の標識を右に曲がり道なりに進むと、石で出来た大きな鳥居が見えた。

 鳥居の脇に古い大きな二階建ての日本家屋が建っていた。門扉は無く間口は直接道路に広がっている。二間間口の大きな横開きの玄関だが庇は大人が手を伸ばせば届きそうなくらいの高さだ。

 鶴武と金文字で書かれた表札が架けられている。
 拓郎の苗字と同じだ。

 玄関横に明らかに後付けされたメタリックなインターホンがあった。正子がそれを押すと電子音が響いた。

 ややあって、はいはいはいと言いながら少し年配の男が引戸を開いた。
「おーっ!正子ちゃんと…拓郎か!よぉ来たのぉ!」
 拓郎の祖父、鶴武 誠司が元気に笑いかけた。


    ​───────へんなの


  「せやけど正子ちゃんは変わらんねぇ。ずっと美人さんやね。」
 鶴武の隣。分家にあたる城守家で拓郎の歓迎会と銘打たれた飲み会が催されていた。

 城守家は3年前に立て替えたばかりで、酒好きの家長の政道のゴリ押しでふた間ブチ抜くと24畳の大広間になる宴会場が設えられていた。
 足を運べる親戚筋が一同に会し、まだ陽の高い内からどんちゃん騒ぎをくりひろげてる。

 東京暮しで滅多に寄り付かない正子は親戚中の男衆からモテモテである。
「もう完全に酔っ払ってんじゃん。」
 主役である筈の拓郎は隅っこで肩身の狭い思いをしていた。

 「拓ちゃん、いつから学校かようん?」
 政道の長女、拓郎より3つ年上の百合が声をかけてきた。
「明日荷物が届くから、それから手続きして来週からだと思うけど……」
 「びっくりしたやろ?いっつも皆んな集まって騒ぎようけんね。歓迎会とか集まる口実やもんね。」
 百合が柔らかく笑う。拓郎は少し緊張が解けた気がした。

「あれやったらあっちで遊ばん?子供がおってもしょうがなかろうもん。」
 言われるがままに拓郎は居間の方に移動した。居間の掘りごたつの上で百合の弟の貴志と、近くに住む香菜が人生ゲームで遊んでいた。みな拓郎の又従兄姉にあたる。

 「お、拓ちゃん久しぶり〜!」
 又従兄姉達とは面識があった。一昨年の夏休み、東京のテーマパークへ彼等が遊びに来た時に拓郎の家に3泊していった事があった。

「大変やったね。おいちゃん達、残念やったね。」
 急に香菜が泣き出した。
「止めれや!お前が泣いても拓ちゃん困るだけやろが!」
 貴志が香菜に怒鳴りつける。だが、そんな貴志も涙ぐんでいる。
「だって……可哀想やん、拓ちゃん可哀想やん……」
 香菜はしゃくりあげながらも、涙を見せまいと顔を伏せた。

 香菜は拓郎と同い年。貴志は1つ上である。
 拓郎はこの又従兄姉達が好きだった。彼等は1度も拓郎の右目の事には触れたことがない。おじさん達に言い含められていたとしても、拓郎にはそれが嬉しかった。

「あんたら泣きよらんと、拓ちゃんも混ぜたんなさいや。」
 百合に促されて拓郎も人生ゲームに加わった。

          ※     ※     ※

 「で、始達ゃあ何で死んだんかの?」
酒もまわって正体を失い始めた者が出始めた頃、誰ともなしに言い出した。
 少し縁遠い親戚筋にはまだ拓郎の両親、始と松子の死因は伝わっていなかった。

 誠司も政道もしばらく黙ってはぐらかしていたが、あんまりしつこいので納まりがつかないと相談し皆に伝えることにした。

「隕石たい。」
思いがけない言葉にみな居住まいを正す。
「車で高速走っとったら、ボンネットに隕石が落ちてきたとよ。前に乗っとった始と松子さんが死んで、後ろに乗っとった拓郎は無事やった、奇跡たい。」

場がざわつき出すと思い出した者も出てくる。
「前にニュースで言いよったあれかい? 横浜の? 名前言うとらんかったけえ……」
「そうよ。拓ちゃんの前でこの話し絶対すんなや! 思い出さしたらいかんぞ!! 」
 誠司が声を荒げると静寂が流れ、みな一様に項垂れた。

 正子のすすり泣く声だけが微かに聞こえる……

          ※     ※     ※

「それじゃあね。おばちゃん見田に泊まるから。そのまま帰るけど大丈夫? 元気でね、たまに電話するのよ。」
 酒臭い息をはきながら正子は拓郎を抱きしめた。正子が流した涙が拓郎の頬も濡らしていた。拓郎もそっと手を回し正子を抱きしめた。

 拓郎達は城守の家の前で正子を見送った。
 政道が駅までのタクシーを手配してくれた。

 タクシーに乗り込むまで正子はずっと泣いていた。
 別れ際に、これで必要なものを買いなさいと、3万円の入ったポチ袋を拓郎に渡すと、去りゆくタクシーから身を乗り出し手を振りながら小さくなって見えなくなった。

 感謝と惜別の想いで拓郎の胸はいっぱいだった。
 正子の去った先を見つめ佇む拓郎に、鶴武の宫乃ばあちゃんが風呂に入りなと促した。

鶴武の風呂は五右衛門風呂で、入り方の解らない拓郎は誠司と一緒に入ることになった。

まん丸の湯舟に木の内ブタが浮いている。
誠司は酔っ払ってるくせに上手くバランスを取りながら足で内ブタを沈め、肩まで浸かってみせた。

 少し身体をずらして隙間を作ると、そこに拓郎に入るように言う。恐る恐る足から身を沈めると、思いのほか底は深かった。
 
 鉄の湯船の内側は少しザラついていて触れた肌に心地よい。
 気持ちよさそうに頬を緩めた拓郎を見て、誠司は腹の底から楽しそうに笑った。

          ※     ※     ※ 

 次の日の朝、拓郎の荷物がトラックで運ばれて来た。
 割り当てられた部屋は始が使っていた二階の角部屋だった。古い勉強机や本棚はそのまま使えた。
 荷物といっても大した量もなく片付けは午前中で終わった。

 机の上には両親と行った遊園地で撮った写真を並べた。親子3人拓郎を包み込むように笑っている写真だ。

 その前に、父の形見の万年筆と母の形見のオルゴールを並べる。
「お父さんの部屋、使わせてもらうね。」
 そう呟くとオルゴールに両親の結婚指輪を入れて蓋を閉じた。

 「片付け終わった〜?! 」
 貴志が階下から声をかけてきた。
「うん、今終わった所。」
「じゃあ、この辺案内したるから、行こうや!」
「わかった! すぐ行く! 」

 2人で神社のお参道と呼ばれる道を歩く。
 薬局、肉屋、魚屋、雑貨屋、スーパーと、日用品は一通り揃えられそうだけれど、ゲームやマンガが欲しかったら大人に車で連れて行って貰わなければならないようだ。

 次は路地裏の抜け道と、川に向かって飛び石を渡り、田んぼのあぜ道を歩いてみた。やはり都会の子供と田舎の子供、歩む速度は段違いだ。

 最後に神社にやって来た。
 大鳥居を潜ると左にグネりと曲がった坂道がある。ちゅうちゅう曲がりと呼ばれる坂は夜中に通ると幽霊がおぶさってくるから気をつけろと、言われた。

 拓郎が、昼でも薄暗いその坂を純粋に怖いなと思って見つめていると、何かが動いて薮が揺れた。

「今の何? 」
 貴志に尋ねると笑って答えた。
「大丈夫。お化けやないし。ダクダやろ。」

─ダクダ……方言で蛇かトカゲかな?
 ビビっていると思われるのも嫌なので、フーンと聞き流すことにした。

 神社の参道に戻り階段を登る。30段くらい登ると広場があって、ブランコやジャングルジムなどの遊具が設置されている。それを何度か繰り返すと、神社の社が見えた。

「ここが三ノ宮やね。だいたい同じくらい登ると二ノ宮があって、その先、空久間岳の頂上に本宮があるんよ。猿おるかもしれんけど行ってみるかい? 」
 猿と聞いて拓郎は俄然興味が出てきた。野生の猿など見た事ない。最後に猿を見たのは野毛山動物園くらいである。

 行こう行こうと、激しく同意し拓郎は貴志を促した。ふと横を見ると左に開けた道がある。
「この道は?」
「この先行ったら新地やね。香菜ん家や、五郎丸のおいさん家があるんよ。」
 どうやらこの先には畑作農家が集まっているようだ。

 2人はどんどん階段を登った。途中の踊り場も徐々に狭くなり三ノ宮から先には遊具は無く、代わりに参道に沿って桜の木が植えられていた。

 やがて視界の先に池があり太鼓橋が架かっている。
「頑張れ、その先登ったら二ノ宮やからな。」
 貴志に元気づけられ視線を上に向けるとつぎの社が見えた。
 
 三ノ宮より少しこじんまりとしていたが、板壁に彫られた装飾が細かく所々に着色もされている。どうやら神話を描いたもののようで、山を取り囲む無数の蛇に見つめられた1つ目の男神が開いた両手から天高く光をのばしているような絵だった。
 
 凄く細かい絵なのだが惜しむらくは所々の色が剥げ落ち、劣化が進んでしまっていた。

「これは何の絵なの? 」
 拓郎が貴志に尋ねると当たり前のように笑って答えた。
「ん、ここの神様とダクダ。」

 また出たダクダ。
 絵の中に描かれたそれは蛇と呼ぶには寸足らずで少し前に流行ったツチノコみたいな形をしている。

 どうにも好奇心が抑えられなくなった拓郎は、貴志に聞いてみることにした。

「ダクダって何? 」
ちょっと不思議そうな顔をして貴志が答えた。
「ダクダはダクダよ。この辺いっぱいおる短い蛇みたいな形したやつ。神様の使いち呼ばれとるんよ。」

          ※     ※     ※

 結局へばって本宮に行くのは諦めた。
陽が傾き始めた頃家へ帰ると宫乃ばあちゃんが夕飯の支度をしていた。今日の夕食はハンバーグだそうだ。拓郎に気を使ってくれているのかと思ったが、誠司じいちゃんの好物で週に1度はハンバーグを出しよるとの事だった。

そんなハンバーグ大好きの誠司じいちゃんは縁側に座ってタバコをふかし、植木鉢の菊を眺めていた。

「じいちゃん、ダクダって知ってる? 」
 貴志の説明ではイマイチ要領を得ないので誠司ならば知ってるだろうと拓郎は訊いてみた。

「ダクダに会うたか?あれは神様の使いやけん、イジメたらいかんぞ。」
 誠司の説明はこうだった……

 ダクダというのは空久間神社の主神である権佐々様の使い魔で、空久間岳のたんくろの樹が見える場所には大抵いるのだそうだ。

 ダクダは生き物のようで生き物でなく、食事も摂らずに物陰から空久間の町を見守っていて、その身体が傷を負うとたちまち消えてしまうが、また別の場所に無傷の状態で現れるらしい。

 また戦国時代など空久間岳に山城が造られた時には、そこにいた兵士達はダクダに飲まれて消えたと思うと、様々な場所にまるで湧いて出たかのように現れたそうで、なかには蝦夷や琉球で発見された者もいたそうだ。

 ダクダ自体の大きさはだいたい2〜30cmくらいだが、その体はゴムのように伸びて3m余りになる事もあるのだそうだ。

 権佐々様の伝承では空久間岳に降臨された折、
民が神として敬い奉る限りこの地を護ると約束されると、自らの目を1つ取り落とした。それが地に這い、無数に分かれ、ダクダが産まれたとの逸話が本宮の文書に残っているとのこと。

 この故事より堕ちた管ヘビと書いて堕管(ダクダ)と呼ばれるようになったらしい。

 こうなると権佐々様の話も聞きたくなったが、夕飯が出来たと宫乃ばあちゃんに呼ばれたので、拓郎はまたの機会にした。


​     ───────もみくちゃ


 翌日、午前中は祖父母と共に小学校へ転入の手続きもかねて挨拶へ行った。

 先生方はとても良い人ばかりだったが、拓郎の右目の眼帯を不思議がっていた。
 宫乃ばあちゃんが訳を説明し、右目を見せると、何時もの誰かの目をして見ていた。

 家に帰り昼食にそばを食べると、貴志も香菜も学校なので、拓郎はひとりで本宮に行ってみることにした。

 相変わらず階段はきつかったが、二ノ宮から見上げると頂上に本宮の屋根が見えた。

 途中、昨日の誠司の話を思い出す。注意して周りを見てると、なるほど周りにコソコソと動くものがあるのがわかる。姿形は見えないが、結構な数だ。

 蛇みたいに見えるが、毒は無いし、土地の者は襲われないとのことだけど、注意するに越したことはない。

 汗だくになりながらも何とか本宮に辿り着いた。
 ここだけ空気が違う気がする。ピンと張り詰めた中にも何か懐かしく優しい感じがした。

  本宮はとても小さく二ノ宮より傷んでいた。
閉じられた拝殿の奥には御神体だろうか? 
  Sの字が4つ絡まったような、拓郎の手のひら程の金属が置かれていた。

 その他には棚が幾つか並んでいるだけで、少し拍子抜けした。
 境内の奥には岩肌から清水が絶え間なく湧き出している物があり、どうやらそれを手水にしているらしい。

 恐る恐る舐めてみると、冷やりとして美味しい。拓郎は、手水で喉を潤すと御神木に近ずいてみた。

 近くで見上げると、本当に大きい。5階建てのビル程はありそうだ。立てられた高札を読むと、
たんくろの樹 
とだけ書いてある。

 なんという種類の樹かもわからない。ただひたすらの巨木をしばらく見上げていると、目の端で何かが動いた。

 ダクダかなと思いながら振り返ると猿がいた。それも10匹近く。
 先頭の身体の大きな奴が牙を剥いて威嚇してくる。

 拓郎は恐怖をおぼえた。そういえば猿がいるって言ってた。すっかり忘れていたし、こんなに大きく恐ろしげな顔をしているとは思わなかった。

 いまにも飛びかかって来ようとする猿の群れに気圧され涙を浮かべながら後ずさる。背中が御神木についた。逃げ場はない。あまりの恐怖に拓郎は目を固く閉じ、叫び声をあげた。
 ……
 ……

 しばらく経っても猿は襲って来なかった。
 ゆっくりと目を開くと、そこには異様な景色が広がっていた。

 猿と拓郎の間を、あたかも拓郎を護るような形で大量の黒く短い蛇のようなものが埋めつくしている。

 猿はその迫力に敗けたのか、踵を返して物凄い速さで散り散りに逃げて行った。

「ダ……ダクダ……? 」
 拓郎が呟くと、そいつらは一斉に振り向いた。寸詰りのビール瓶のような蛇達は拓郎をジッと見つめると、1番近くにいた奴の口が投網のように広がって拓郎を包み込んだ。

 気づけば拓郎は黒い岩肌の洞窟の中にいた。岩肌に亀裂のように走った筋が青白く輝き、洞窟の中を照らしていた。

 洞窟の中は体育館程の広さがあり、床だけが真っ黒だ。拓郎が1歩踏み出すと、床の黒が足を避け青白い光が漏れる。

 ─ ダクダだ。床1面ダクダで埋め尽くされてる! 
 拓郎に恐怖が甦った。足が震える。
「何なんだよ、これ……」
 泣き言と涙がこぼれた。

  拓郎が身動き取れずにいると、床のダクダ達が2つに別れて道を作った。あたかも誘うように小波を立たせている。

  意を決して歩き出すと、壁の窪みに行き当たった。窪みの中には3匹のダクダが並んでいて、それぞれの頭に白く星、月、丸の模様があり、彼等の個体は見分けがつきそうだ。

  3匹はまんじりともせず拓郎を見ていた。
「僕を家に帰してよ。」
  震える声で願う拓郎に答えるように、3匹の目が笑った。

 星の模様が口を広げ、拓郎を包み込むと拓郎の姿が消えた。
 
 次の瞬間、拓郎のすぐ目の前におかっぱ頭の女の子が立っていた。香菜だった。顔がくっつくばかりの距離でお互いしばらく呆けた後、夕焼け空より真っ赤な顔になった。

  ​───────おじゃまします


「お前そりゃあダクダが助けてくれたんよ。」
  イワシの頭にかじりつきながら誠司が笑った。
「ちゃんと帰って来れたろもん。夕飯だって間に合うとるが。」
  宫乃も追いかけて笑った。

「でもホントに怖かったんだよ。人は襲わないって言ったじゃん。」
「襲われとらんが。助けてもろたんぞ、それ。ダクダの口ん中はなんぞ穴が開いとっての、そこに落ちたもんをどこでん好きなとこに飛ばしよるんよ。」
 沢庵漬けを齧りながら誠司が言った。どうやら地の民をそうやって助ける事もあるらしい。

「結局ダクダって何なの? 」
 誠司は不敵な笑みを浮かべて答えた。
「言うたろ? 神様の使いたい。」

 自室に戻ると拓郎はそのまま畳に寝転んだ。頭の後ろで腕を枕にして考える。
 ─こういう事は、ちゃんとお礼を言ったほうがいいのかな。
 明日、神社で手を合わせようと思った。

 そのままウトウトしかけた時勉強机の引き出しが動いた。ガタリガタリと音をたて激しく震えて中から押し開けようとしていた。

  拓郎はとっさに跳ねのくと、部屋の隅で固まった。暫く震えた引き出しが弾けるように押し出されると、中に2匹のダクダが入っていた。

 しばらくそれを見つめていた拓郎は頭の模様に気づいた。丸の模様と月の模様。本宮で出会った2匹だ。外に出られた喜びからか、2匹はたがいに身体を擦り付けながらじゃれあっている。

  「君たちは……あの時の? 」
  拓郎が声をかけると、2匹は嬉しそうに拓郎に飛びついて左右の頬に頬擦りをした。拓郎も少し笑った。

          ※     ※     ※

 朝になってもまだダクダはいた。2匹並んで勉強机の上から拓郎をジッと並んでいた。傷を付ければ消えるそうだが、曲がりなりにも神の使いを傷付けて呪われたってバカらしい。それになんとなく可哀想だった。

  特に害もなさそうなので放っておくことにした。幸い祖父母の前に姿を現すことも無く、隠れるべき人を判断しているあたりを見ていると知能があるようにも見えた。

 朝食後眼帯を着け、散歩がてら通学路の確認に出かけると案の定付いてきた。身を隠すつもりがあるのかないのか。2匹じゃれつきながら草むらの中を付いてくる。

 河原で休憩を取ると所構わず走り回り、虫を追ったりしながら飛び上がったり、手を差し出すと顎を擦り付け目を細めたりもする。こうしてみていると段々と愛らしくもなり、警戒心はすっかり無くなっていた。

 部屋に戻るとそのはしゃぎっぷりに拍車がかかり、部屋中所狭しと追いかけっこに勤しみ出すので、流石に叱りつけると机の下で身を震わせ縮ませて、まん丸の瞳で2匹並んで拓郎の様子を見ている。

 そうこうしている内に明日から学校となった。
「お前ら学校行ってる間は、ここで大人しくしてるんだぞ。」
そう言い聞かせてもまるで聞いていなさそうに2匹てんでに、身を捩ってる。特に月模様の方が酷く、机の上の消しゴムを飲み込んだり出したりして遊んでる。

 いちいち月模様、丸柄と呼ぶのも面倒臭いので、名前を付けることにした。
「白い丸模様をしろまる、月模様がみかづき。これからそう呼ぶからね。」
 指差しながらそう言うと、解っているのかいないのか、2匹のダクダは嬉しそうに目を細めてみせた。

 ─明日から学校だ。
  不安と期待が拓郎の胸の中でクルクルと渦巻いていた。

 

                     【あのひのだくだ  中編へ続く】




 


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