それは不思議にありふれて 〜第一章 【騒霊】 その②
「わたし、生徒会に行ってみる。このさいじ係をやろうかと思ってる」
プリントを割り箸で指し示しながら鼻息荒めにドヤ顔を決めている千比呂を見て、里緒は、やっぱりコイツかわいいなと思った。
「そういう事ならついてっていい?」気色ばみながら里緒が食いついた。そもそも里緒にしてみても、もとより落語部なんぞに行く気もなく、千比呂の反応をみてどの部活にするか決めようと思っていた。
「別にいいけど募集は1名って書いてるよ」
「え、聞いてみたらいんじゃね? 案外2人でもオッケーってなるかもよ」里緒が両手でピースサインを作りながら応じる姿を見て、こりゃもう何言ってもついてくるんだろうなと、千比呂は確信した。
まぁ、最初から運動部からの勧誘回避と興味本位での応募動機だし、そもそも斎事係というのが何をするのかわかっていないので、まかり間違ってそれが大変な作業で、押し付けられたら溜まったものではないかもとは薄々考えていたので、ここで親友の同伴は頼もしい限りだった。
「じゃあ、一緒に行こうよ」
「オッケー」
そうと決まれば話は早い。二人は掻き込むようにランチを済ますと、足早に学食を後にし、生徒会室へ向かった。
生徒会室は、A棟1階の体育館側にあるので、渡り廊下伝いにあっという間に着いてしまった。
引き戸の前で入口に向かって立ち止まると、2人目線を合わせることなくじゃんけんを交わす。
パーで勝った里緒が小さく「よしっ!」と、つぶやいて右手でガッツポーズを決めた。
覚悟を決めて鼻息をフンッとひとつ鳴らすと、千比呂は扉を3回ノックして、返事を待ってから左手でゆっくり引き戸を開いた。
「こんにちは~」おそるおそる声をかけて覗き込むと、部屋の奥の逆光がつくったシルエットが、「どうぞ、お入りください」と、優しく促してくる。
千比呂と里緒はお言葉に従って、おずおずと足を進める。生徒会室に入ると、窓明かりの逆光も角度が変わったためか、それほど気にならなくなり、シルエットに包まれた人影の表情も確認できた。
生徒会室は、教室の半分ほどの広さでコンクリート壁のほぼ全面にスチール棚が並べられ、綺麗にファイルが収められていた。右側の棚の前では、今も制服姿の男子生徒がファイルの整頓作業を行っている。
部屋の真ん中には、事務机が5つ島を作るように並べられ、上座にあたる窓前に、セミロングの黒髪の女生徒が座り、その左斜め前では、銀縁眼鏡の男子生徒が、ノートパソコンの画面と向き合い、なにやらとんでもないスピードでキーボードを叩いていた。
位置的に考えると上座の女生徒が生徒会長だろうか、ジャケットの胸ポケットの校章は、赤色なので3年生だとわかった。猫柳高校では、校章の色で学年を示している。千比呂達1年生は白色で2年生は青。これは、学年が上がっても変わらず、3年生が卒業すると、次の新入生がその色を受け継ぐようになっていた。
「すみませ〜ん、あたし達これ見て来たんですけど〜」里緒が部活説明会で配られたプリントを掲げながら奥の女生徒に話しかけると、満面の笑みを浮かべて立ち上がり、歓迎を表すように両手を広げた女生徒が、颯爽とした足取りで近づいてきた。
「あらあら、こんなに早く希望者が来てくれるなんて感激だわ! 私は、生徒会長のチョウです。長いって書いてチョウと読むんですよ」なんとも人好きのする微笑みで2人の手をとり、優しく握ってきた。
慌てて千比呂と里緒も自己紹介をする。たったこれだけのやり取りの間に里緒の長生徒会長に対する好感度は急上昇していた、頬を桜色に染めてさえいる。人見知り気味の千比呂にしても、気づけばあっさり気を許してしまっている。
これがオーラというものかと、上気した友人を眺めながら千比呂はひとり得心して頷いた。
「それで、どちらをご希望で?」長生徒会長が柔らかく尋ねると、千比呂が慌てたように答えた。
「は、はいっ! こちら、こちらのさいじ係であります!」危うく舌を噛みそうになりながら、なぜか軍人口調になっていた。
「さいじかかり......? あ、ものいみごとがかりのことね」
「あ、ものいみごとがかりって読むんですか? これ」
「そう、かなり特殊な仕事になるけど、大丈夫?」長生徒会長が心配そうに訪ねた。
「忙しいんですか?」千比呂が不安そうに聞き返す。大事なのはそこなんかいっ!っと里緒は全力でツッコミそうになった。
「そうねぇ......」どう言ったらいいものか、長生徒会長は少し返答に困っていると、それまでパソコンの画面に夢中だった銀縁眼鏡のイケメンがモニターを凝視したまま口を挟んだ。
「直接、宝先生のところに行って貰えれば良いんじゃないですかね? どうせ採用を決めるのは宝先生ですから」
「それがいいかしらね、実は私達も斎事係についてはよくわかってないの。生徒会の係とはいっても、名前ばかりで、学校の仕事みたいなものらしいから......」と、生徒会長が言い終わらない内に、千比呂がまた同じような質問を被せた。
「そうなると仕事は、多いんでしょうか?」
千比呂にとって肝心なのはそこなのである。中学時代は、周りの都合で削られ倒した自分の時間を、高校生活で取り戻さなければならない! 出来ることなら時間を持て余すぐらいでいたい! と、いうのが千比呂の最大の希望だった。
「仕事自体は、あまりないんじゃないかしら。というより、斎事係の人がなにかしているのを私は見たことないわ」
そう語る会長の姿が、天からの光に包まれていくように千比呂には見えた。千比呂がやりたかったのは、こういう仕事、いや、まさにこの仕事だった。
こうなると、若干1名の募集定員の意味合いが大きくなってくる。果たしてこの横に控える親友は、奪い合いになった場合身を引いてくれるだろうか?
少し不安になり、横目で里緒を見ると、今の話を聞いていたか怪しくなる程に窓の方を注視している。暫くそのまま見つめていたかと思うと、ゆっくり頭を動かし、棚のファイル整理をしている男子生徒を見つめだした。
脚立の上に立ちスチール棚の最上段にファイルを並べていた男子生徒は、ふと自分を見つめる視線に気がついた。振り向きざまに里緒と視線がぶつかると、一瞬で顔を真っ赤に染め上げた。蒸気でも吹き出しそうな勢いだった。
それはそうだろう。空気のように気配を消して作業をしていたら、少し小柄な見知らぬ色白美少女が、自分に熱い熱い眼差しを送っているのである。あまつさえ目線が合ってもガッチリこちらを捉え続けているのだ。何かを期待する根拠など無くても、期待してしまうのが男子高校生という生物だ。
女性に対する免疫が未だ不全気味の少年は、生理的反射として全身が強張るのを感じたと同時に、右足から脚立の天板を踏む感触が喪失した。
ガラガッシャンと壮絶な物音をたてて男子生徒は床にひっくり返った。
「山形っ!」眼鏡男子が大声で呼びかけ助けに駆け出す。
こういう場面でとっさに動けるところを見ると、見た目だけではなくハートもイケメンのようだ。
「大丈夫です、大丈夫」山形と呼ばれた男子は、イケメン眼鏡君に支えられゆっくり立ち上がる。
「本当に、大丈夫? どこも怪我してない?」会長が心配そうに気遣う。
「すみません、なんか急に脚立がバランスおかしくなっちゃって......」照れたように頭を掻きながら会長を見た後、ちらっとだけ山形は里緒の方を見てすぐに眼をそらした。
里緒はまた窓の方を見ていたが、思い出したかのように山形に向き直ると、「大丈夫ですか?」と、とってつけたような気遣いを見せていた。
「あ、ああ......アハハ、大丈夫です。大丈夫。こう見えても体は頑丈なんです」山形が耳を真っ赤にしながら、ガッツポーズをして見せる。それを見て里緒も、よかったです〜、と言って笑っていた。山形の耳が益々真っ赤になっていた。
「気をつけてね。少し座って休んでなさい。後で痛くなる時もあるから、そしたらちゃんと言うのよ。その時は島君、保健室に連れて行ってあげてね」さすが、生徒会長。しっかりしてるなぁと、千比呂は感心した。島と呼ばれたイケメン眼鏡も力強く頷いている。
ここの生徒会は、会長を中心にしっかりまとまっているようだ。
「片付け、お手伝いしましょうか?」里緒が山形に声をかけるが、山形は照れ笑いをしながら断った。
「ああ、だ大丈夫です。自分で並べないと訳わかんなくなっちゃうから」
「じゃあ、下にまとめておきますね」天使の笑顔で里緒はそう言うと、床に散らばったファイルを拾い集めはじめた。
千比呂は、それを見ながら猫の被りっぷりに感心して、その挙動をボーッと眺めていたが、生徒会長の視線を感じて、慌てて手伝った。
適当にファイルを重ねると棚の脇に並べて一息つく。頃合いを見計らって生徒会長が、話の続きを始めた。
「さて、どこまで話したっけ?」
「斎事係の仕事についてのところまででした!」千比呂が元気よく手をあげて応える。
「そうそう、そうだったわね。ごめんなさいね、そっちだと私達にはよくわからないのよ。一応所属は生徒会になるんだけど、指導担当が科学の宝先生になっているから、採用もそちらで決めることになってるのね。詳しい内容なんかもそちらで確認してもらえるかしら?この時間だと、職員室に居らっしゃると思うから」
生徒会長は頬に手を当てながら、申し訳無さそうにしている。
そういうことなら職員室に行ってみます。と、生徒会室を後にしようとした時、千比呂が生徒会長に呼び止められた。
「あなた、真面目そうだから風紀委員には興味ないのかしら?」
「いやぁ、わたしなぞ、そんなそんな」
「あら、残念」
愛想笑いで後退りをしながら、島と山形に笑顔で小さく手を振る里緒を引っ張って、失礼しました〜。と、生徒会室を後にした。
さて、次は職員室だ。職員室は、道なりにまっすぐ廊下を歩いて、職員玄関の少し先にある。まぁ、そんなに遠くはない。
向かう道すがら、千比呂は里緒を軽く肘で押した。
「さっきの何よ?」
肘をさすりながら里緒がふくれっ面で応える。
「なにがぁ〜?」
千比呂は、身体をくねくねと誇張しながら里緒の口調を真似る。
「お手伝いしましょうかぁ〜?ってめちゃめちゃ猫かぶってんじゃん」
「だってさぁあ、山形ちゃん可愛くなかった?髪の毛ふわふわで、あれ絶対天パっしょ?島くんも割とイケメンだったし、イケメン生徒会じゃん。あんなの顔繋いどいて損はねぇべ。ちひろもああいうチャンスは敏感になっといたほうがいいよ。なんつったって、あたしらもうJKなんすから」
クルクル千比呂の眼の前を回りながら歩いて、最後にビシッと鼻面に人差し指を突きつけてきた。
ちょっと面食らいながらも千比呂はニヤリと笑う。
「ほう、じゃあお兄ちゃんに報告しておきましょうか」
「やめれ」里緒は、真顔で怒ってる。
千比呂には、5歳年上の兄がいる。名前を大伴翼という。マンガの主人公から名付けられたということは、公然の秘密だ。彼も猫柳高校の卒業生で、現在は、地元の工業大学の2年生だ。
里緒は、小学校の頃から彼に御執心で、昔、彼が地元で新聞沙汰になるような事件に関わった時、千比呂に会う名目で毎日手作りのお菓子を持って様子を見に来ていた程だった。
里緒が本気なのは、千比呂もわかっていたので少し言い過ぎちゃったなと、反省した。
「で、窓の外。なんかいたん?」
千比呂の問いかけの意味を理解して、里緒はつまらなそうに答えた。
「ん〜、最初は、猫かと思ったんだけど、もちょっと大きかったかな、多分タヌキとかハクビシンとか、アライグマかも。この辺、最近いるんだって」
目線を外して答える里緒を横目で見ながら、千比呂はふーん、とだけ呟いて、流す。
里緒と話していると、会話が時々不思議なズレを生むことがある。受け答えは正しいのだろうけど、感覚的にすこし違和感が残る。
何故そうなるかは、だいたい想像がついているのだけど、直接里緒に確認したわけではない。多分、里緒が秘密にしておきたい部分なんだろう。アンタッチャブルな部分は誰にでもある。千比呂にだってある。当然だ。わたし達は女子高生なんすから。
ゆっくりとした時間が流れる。千比呂はしっかりとした足取りで、里緒はふわふわと雲を渡るように。
窓から差し込む柔らかな光のカーテンをくぐりながら廊下を進んだ。
生徒用昇降口を過ぎると職員室が見えてきた。
千比呂と里緒は、互いに前を向いたまま、視線を交わすこともなく、片手をあげてじゃんけんに備えた。
【騒霊】その③へ続く
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