それは不思議にありふれて 〜第一章 【騒霊】 その④

  千比呂の正直な感想は、え〜、これから行くんか〜......というかなり後ろ向きなものだった。
 宝先生は、立ち上がり出かける支度を始めた。
 里緒もノリノリのようで、自分から率先してテーブルのコーヒーを片付けている。

「そういえば君の名前を聞いてなかった」
「あっ、すみませ〜ん。ちひろと同じクラスで木下里緒と申しますぅ。よろしくおねがいしま〜す」完全によそ行きの声だった。
「うん。」うなずくと、ズボンのポケットからタグのついた鍵を取り出した宝先生は、指先で鍵をクルクル回しながら言った。
「では、行こうか?」

 科学準備室に鍵をかけると3人は階段を下り、途中、千比呂と里緒は、職員室の前で、科学準備室の鍵を猫柳神社関係の鍵束と交換しに行った宝先生と別れ、外履きに履き替えると職員用玄関で宝先生を待った。里緒が神社訪問に乗り気でなければ、バックレることも辞さなかったところである。

 しばらくすると、待たせたね。と、宝先生がやってきた。明るい日差しの下で見るとまた少し印象が違う。若干病的な肌の青白さも室内ほど目立たず、どこか洗練された知的な雰囲気も感じられた。しっかりと真っ直ぐキレイな背筋の立ち姿のせいだろうか。

「じゃあ、これを持って」そう言うと宝先生は、百均で売られているようなペン型のLEDライトを2人に手渡すと「こっちだよ」と、歩き出した。

「ちょっと、まだ全然明るいんですけど、どんなとこ行くんですか?」里緒がライトをいじくり回して点灯を確認しながら宝先生に尋ねると、「足元が暗いと思ったら使ってくれ。転ばなようにな」振り向かずにそう告げてさっさと歩き出した。

 千比呂と里緒もお互い顔を見合わせ肩を竦めると、宝先生の後について歩き出した。コンクリートで舗装された校庭の隅の通路を進み、プールを横目に校門横の林に入る。
 林の中に入るのは、千比呂も里緒も初めてだった。思っていたより植栽が高く見通しが悪い、180センチ少しありそうな宝先生の身長より頭2つ分くらいは高かった。

「大丈夫かな?あたしらおそわれたりしねえ?」さすがに里緒もこの雰囲気が少し怖くなってきた。
「平気だよ。わたしちゃんと超速履いてるから」そう言って片足をひねって里緒に自慢の運動靴『超速21センチ』を見せびらかしてきた。

 本来は、小学生が運動会で履くような運動靴なのだが、千比呂はこれを履いて中学女子の100メートル短距離記録を打ち出していた。以来、千比呂は何処へ行くにもこの靴である。種類はいくつも持っている。子供用なだけに柄も派手目で可愛かったりかっこよかったりするものだから、友達の間でも何気に評判は良かったりした。

「置いて逃げる気まんまんじゃん!」不満げに頬を膨らます里緒。
「ちゃんと死に水は取ってあげるからね」千比呂は死に水の意味を知らない。

「なんか失礼な話をしてないか?」宝先生には聞こえていたようだ。慌ててシドロモドロでごまかす女生徒2人に、呆れたように頭をかいている。
「そこを曲がったらすぐだから」

 宝先生の指し示す先に古ぼけた立ち水栓と、柄杓がひとつ取り付けられたフックにぶら下がっている。これまた古い立て看板があり、そこには『手水』と、墨で書かれていた。あんまり達筆でもない。
 適当だなあと、千比呂と里緒は思った。

「これで、手を洗うんですか?」千比呂がちょっとひきながら尋ねると、「いや、別に洗いたかったら使ってもいいぞ」と、これまた適当に宝先生が返した。ちょっと、この適当さは良いぞと、千比呂の好感度は少し上がった。

 また今度ってことで〜、といった感じで、千比呂も里緒も手水をせずに道なりに角を曲がる。そこから先はコンクリートの舗装もなくなり、落ち葉が一面を埋め尽くしていた。2メートル程の高さのオレンジ色の鳥居が立っている。ここからが本当の神域ということだろうか? 空気が凛として感じられた。

 お構いなしに歩みを進める宝先生の後で、里緒はしばらく立ち尽くした。なんとなく光が違う。黄金色の揺らめきが肌をなでる度に、軽く鳥肌が立つ感触があったが、身体が全部でこの場に来られたことを喜んでいるようだった。

 千比呂は、「きれいなところだね」と、だけ言って宝先生に続いて歩いている。また、いつものあれみたいなものかと、里緒は小走りで2人の後を追いかけた。

 道に突き出した植え込みを避けると、少し開けた場所に出た。やや小さめの平屋の古民家風の建物が一棟、広場の右脇におとなし目に控えた2本の柳の木に挟まれるようにして、祠にしては少し大きく、お堂と呼ぶには少し小さいかなと思われる木造の社が建っていた。

 お金持ちの家の庭にあるお稲荷さんみたいだな。と、千比呂は思った。それよりは、大きいかな?造りはしっかりしていそうだ。板張りの扉には、時代劇の蔵にかかっていそうなでっかい南京錠が取り付けられている、ダブルロックとばかりにナンバー式のチェーンロックが巻かれていた。里緒を見ると古民家風の建物を見つめ少し険しい顔をしている。また、なにか見たのだろうか?

 広場の建物は、どちらも古めかしく、かなり年を経ているのは明らかだったが、古民家の方が少し新しいようにも見えた。
「これが、我が猫柳神社の社殿だ」宝先生が指さしたのは、やはり小さめのお堂だった。

 宝先生は、社殿に向き合い居住まいを正すと、二礼二拍手一礼と、一連の作法で礼拝を行い、千比呂と里緒に向き直り「さあ、君たちも」と、同様の所作を促した。
 慌てて2人も社殿に拝む。里緒はついでにゴニョゴニョと咄嗟に何かお願い事をしていたようだが、聞き取れなかった。

「中を見てみるか?」そう言うと宝先生は、返事も待たずに取り出した鍵束からひときわ大きな棒状の鍵を選ぶと、社殿の扉の解錠を始めた。

 扉を開くと4畳程の空間があった。天井近くに四面、格子状のスリットが細工されていて、そこから入り込んだ陽光が柔らかく空間を照らしていた。
 中央奥には祭壇がありその最上段には木の塊のようなものが、榊を生けた白い徳利に守られるように鎮座していた。よく見れば、榊は造花のようだった。
 下の台には水の入った盃と丸い鏡が置かれ、しめ縄が張られていた。

「こちらが、猫柳神社の御神体だ」古ぼけた木の塊を見つめながら宝先生は、眩しそうに目を細めた。
「これがですか?」千比呂が前のめりで興味を示す。こんなものがですか?の意味なんだろうなぁと、思いながら、里緒の興味は御神体の後ろの方に向いていた。

 なんだか白い丸い光の塊がふわふわと漂っている。心霊特集番組なんかでよく言われるオーブというものだろうか?今写真撮ったら写るんじゃね?そう考えてポケットからスマホを取り出すと、「写真撮影は禁止な」と、宝先生に諌められた。

 千比呂も宝先生も見えていないらしい。そうこうしている内にオーブは消えてしまった。「は〜〜い」ポケットにスマホをしまう。ああ、残念。撮れたら映えたのに。

「なんの神様なんですか?」千比呂があらためて質問すると、宝先生は肩越しに御神体を見つめながら説明を始めた。

「この辺は昔から漂着物が良く浜に上がってね、昔の人はそれらを神様からの贈り物と考えるようになってたんだ。それで、特に珍しい物を神様として崇めるようになった。これは、竜涎香と呼ばれるお香でね。今でも凄い価格で取引されてるんだよ。こういう漂着物信仰は割と多くあって、それらの多くは、恵比寿様として崇められ信仰されることがある。七福神信仰と同一視されがちだけどこれは違う。一種の土着信仰に後付で説明を加えたようなものかな」

 説明を聞きながら、千比呂はウンウンと頷いているが、多分聞き流してるんだろうなと里緒は思った。
「ここは猫が関係してるんですか?」里緒が手を挙げて聞いた。
「さっきの御守りに描かれてた絵のことかい?」科学準備室で見せられた御守りなどの多くに猫モチーフのイラストが描かれていた事に関する質問だろうと、宝先生は思った。

 しかし、里緒がそう尋ねたのは別に理由があった。
 社殿の扉を開いてから、だんだんと敷地に猫が訪れてきていたからだった。一匹また一匹と増え、今では10数匹程になっている。言ってる内にまた茂みから顔を出した。

 但し、これは里緒にしか見えていない猫たちだった。それを里緒はわかっている。別に悪いことをするわけでもなさそうなので、いつものように誰にも言わなかった。もちろん千比呂にもだ。

「この神社のいわれには続きがあってね。」宝先生は眼鏡の位置を右手の中指で直しながら話を続けた。実に面白そうだ。里緒の胸が高まった。
「江戸の中期頃、今から大体三百年くらい前と聞いているけど、このあたりに幕府の要職も務めた偉いお武家さんの屋敷があってね。そこに娘さんが居たのだけれど、漁師の若者と恋仲になったんだがね。身分の違いから認めてもらえずに......」

 そこまで聞いたところで女子高生2人は色めき立った。恋バナである。ちょっとアガる。千比呂はあからさまに鼻息が荒い。突然、話に食いつきが良くなった生徒達に少し気圧されながらも、背筋を更に真っ直ぐに伸ばし、宝先生は続きを語りだした。

「まぁ、周りに仲を反対された2人は、そこの浜で心中をしようと小舟で沖に漕ぎ出し、身体に石をくくりつけて海に飛び込んだんだ。男の方は沈んでしまったのだけど、女の方は途中で石を詰めた風呂敷が外れ、潮に流され海面で溺れていた所を、地引の網からこぼれた小魚を漁りに来ていた何匹かの猫に助けられたらしい」

「猫が溺れてる人を助けたんですか?!」千比呂が半笑いで思わず口を挟んだ。「まぁ、そう思うよな。これはあくまで昔話だから。地元の民話集にも載ってるぞ。興味があったら今度図書室で探してみるといい。」腰に手をあて、頭を掻きながら宝先生も笑っていた。

 里緒だけが本当かもしれないなと思う。だって、宝先生がその話を始めたら、広場の猫たちが集まって来て宝先生の足元に横並びに腰を降ろし、真っ直ぐ先生を見つめながら話をじっと聞いていたから。
 やはり、千比呂と宝先生には見えていないんだろうと思う。猫達の中には、身体が薄く透けていたり、時々一瞬消えてしまう子もいる。彼らは一様にぼんやりとした白い光に包まれていた。

「それから、この神社に猫も祀られるようになったんだ。昔は、猫の絵もあったそうなんだが、関東大震災の時に前の社殿が潰れて紛失してしまったんだ。それからは、こじつけなんだが、もともとの御神体の竜涎香の形が身体を丸めた猫のようにも見えるということで、猫は恵比寿様が姿を変えたものってことにして同一視して祀るようになったんだ」

 こんなみすぼらしい神社にも歴史ありといったところだろうか、なかなか興味深い話に、千比呂と里緒はすっかり関心してしまった。「ぬこ様、尊い」千比呂がボソリと口にした。横並びの猫達の尻尾が同時に左右に振られたのを里緒は見た。

「この話を5年くらい前だったかな。その時の斎事係だった君たちの先輩にその話をしたら、御守り作って売りましょうって言い出してな、市の観光課が観光協会の窓口を開いたり、地元の観光誘致に力を入れ始めたばかりの頃だったから、プレゼン資料を作って持ち込んだら二つ返事で窓口販売が決まってしまってね。美術部も兼部していたから、彼女が全部デザインして、そこら中の神社にお願いして、紹介もらって製造工場まで開拓してきてグッズ販売が始まったって訳だ」

 なんだか懐かしそうな目をして語る先生を見て、里緒はきっと先生も楽しかったんだろうなと、思った。
「グッズって言っちゃったよ。この人」千比呂が小声で笑った。
 猫達は、自分たちの話は終わったと悟ったのか、三々五々に散り散りになり、広場で各々好き勝手に和み始めた。

「その先輩は、どうされているんですか?」なんとなく恋バナの匂いを感じた千比呂は、獲物を見つけた猫のような瞳で尋ねてみた。

「山側の方にある女子美大に行ってたんだけどな。去年、事故で亡くなってしまったよ。学校の中庭にある井戸に誤って落ちたらしい。可哀想にな......」そう語った先生の背中が少し丸まって見えた。
「なんか...すみません」千比呂が目を伏せ謝る。

「気にするな。」優しく宝先生が笑った。「そうそう、あいつが在学中に製作した大きな鏡が準備室の横の階段先の壁に飾られてるから見てみるといい。額装のレリーフなんか凄く手が込んでいて感心するぞ」

 千比呂と里緒には心当たりがあった。変顔するのに夢中で額装なんか気にしていなかった。今度ちゃんと見てみようとふたりは思った。

「もう閉めてもいいかな?」うなずく2人を確認すると社殿の扉を閉じ、施錠を終えると振り返り言った。
「次は社務所を案内しよう」

「お願いしま〜す」2人で声を合わせ返事をしながらも、振り向いた先にある古民家風の社務所からは、神々しさとはかけ離れた薄闇い初めて覚える異質な感覚を里緒は、感じ取っていた。

 時刻は午後2時半。まだ、太陽は高く青空は夏の気配すら漂わせていた。

【騒霊】その⑤へ続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?