【やさしい関係に満ちた世界で】
こんにちは、森崎みさです。
早速どうしても書きたいことがあって、noteを開きました。
大学の講義で、現代の生きづらさについての講義があり、現代の若者の間で起こるいじめについて取り上げられていました。先生は、生きづらさは「やさしい関係」にあると言います。今回は、この「やさしい関係」についての私なりの考えを書いていきたいと思います。
教室は地雷原〜やさしい関係に支配された私たち〜
「優しい関係」って何? そう思われた方も少なくないと思います。
「優しい関係」とは、他者との積極的な関わりを避け、相手も自分も傷つかない、そんな優しい関係です。
一見、人間関係の理想的なスタイルに見えませんか?
誰も傷つかない優しい関係、、、でもそれは表面上から暴力を消しただけで、根本解決には至りませんでした。厚生労働省の若年層の自殺をめぐる状況を見てみると、20歳未満、つまり10代の自殺率がほぼ平行線なことがわかります。子供はどんどん減っているのに、自殺者は一定数いることがわかります。
現在の若者は、「マサツ回避の世代」(日本青少年研究所)と言われています。注意深く気を遣いあいながら衝突を回避し、慎重な人間関係を築くことで、対立していないかのように見せるのです。若者たちは、対立の回避を最優先に振る舞います。そんな人間関係を支配するのは、人ではなく、「優しい関係」そのものだ。と先生はおっしゃいます。しかし、考え方の違う様々な人間が一緒に社会生活を営んでいく上で、対立しないことなど不可能です。そこで対立の回避を最優先に考える若者たちは、どこにあるかわからない地雷原を歩くように、慎重に人間関係を築きます。それは外部から見れば非常に安全で平和に見えることでしょう。
「病んだり、学校行きたくないって思うのに、理由がわからなかった」
私はかつて、ちゃおコミックスの『いじめ』(五十嵐かおる)という漫画を読んでいました。その漫画には、トイレでバケツの水を掛けられたり、複数人で脅して万引きをさせたりと、当時小学校低学年だった私にとっては、かなりショッキングな内容のものが多くありました。当時その漫画はリアリティーがあるという声が多く寄せられていたことを覚えています。
時期を同じくして小学校低学年だった頃、学校では「いじめ、ダメ、絶対」みたいなポスターが貼られた校舎で過ごし、「にこにこ言葉、とげとげ言葉」と発する言葉ひとつひとつにラベリングされる生活をしていました。同年代前後の方は、なんとなく覚えがあるのではないでしょうか?
その他にも、2000年代はいじめが社会現象となり、学校教育やメディアなどにより、徹底的に駆逐されました。これが、優しい関係の根源なのではないでしょうか。
若者の生きづらさはなくなっていません。その証拠に、少子社会の中、若者の自殺率は減っていません。
若者たちは、対立こそしませんが、場の雰囲気や空気を読むことのできない人間は、避けられたり、揶揄われたりします。また、出る杭は“平和で安全な空気を乱す悪性腫瘍“とみなされ正義の下、徹底的に不特定多数に打たれます。そうならないように、皆慎重に精神を研ぎ澄ませて生活しているのです。
加虐の沼
人間誰しもイライラすることも怒ることも無性に人を傷つけたいと思うことも時にはあると思います。私はこれに加虐の沼と名前をつけました。
そこに落ちないように、薄氷の上をそろそろと歩くのではいつか割れて沼に浸かってしまう。それが、現在のSNSの裏アカと呼ばれる物や誹謗中傷であると考えます。我々には加虐性がある、それを認めるべきなのです。薄氷で覆われた加虐の沼に沈むのでも、それをただ氷で押さえ込むのでもなく、汲み取りつまり手にとり、濾過つまり理解し、精製つまりコントロールし、納得のいかない部分は思い切って投げかけることが大切です。
これは練習が必要になりますが、気づいたら息ができなくなっているよりは幾分かマシでしょう。