イラストレーターに知って欲しい「著作者人格権を行使しない」契約のリスク
再びーー
一人でも多くのイラストレーターに、知って欲しいことがあります。
知って欲しいこととはーー
【「著作者人格権を行使しない」契約には、イラストレーターの名誉や声望をおとしめる用途(アダルト系サービス等)に利用されるリスクがある】
という問題に関してです。
たとえばーー
イラストレーターであるあなたが、企業Aの依頼を受けて、衣類を着た真面目なテーマの女性イラストレーションを納品したとしましょう。
「これがもし「著作権譲渡+著作者人格権不行使」の契約だったとしたらーー
企業Aが、そのイラストレーションを、あなたの知らぬ間に一糸まとわぬ姿に改変して、アダルトゲームで利用する。
ーーというということも可能になってしまうのです。
「そんなことあるわけないよ!」と思うかもしれません。
しかしそれに近い事例が、実際にありました。
【「切ないエッチシーン満載で…」乙女ゲームのイケメン、エロゲーで〝野獣〟に 女性マンガ家が怒りの提訴】
http://www.sankei.com/west/news/160523/wst1605230007-n1.html
この記事を読む限り、この事例では「おそらくは著作者人格権不行使の契約は結ばれていない」と推測されます。
もし、「同一性保持権」と「著作者人格権」を含む著作者人格権全般が行使できなければ、この漫画家にとって裁判はさらに難しいものになっていたかもしれません。
あなたがこんな被害にあわないために、この記事を書きます。
一人でも多くのイラストレーターに、この情報が届くことを願っています。
■著作者人格権の解説
著作者人格権には、主に、次の4つがあるとされています。(他にもありますが、主にはこの4つでしょう)
参考ページ:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%97%E4%BD%9C%E8%80%85%E4%BA%BA%E6%A0%BC%E6%A8%A9
1)公表権(著作権法18条)
2)氏名表示権(著作権法19条)
3)同一性保持権(著作権法20条)
4)名誉声望保持権(著作権法113条6項)
一つ目の「公表権」とは、未発表の作品を世に出す権利です。
イラストレーターは、いつどんな形で作品を公表するか決める権利を持ちます。
例えば小説家が「この作品は私の死後に発表して欲しい」と作品を編集者に託すケースがあります。
時折、「公表権」を「何らかの媒体に掲載する権利」と思い違いをしているイラストレーターがいます。
そうした方が、「著作者人格権不行使特約の契約を結ぶと、自分のWebサイトやSNSにも載せられない」という情報をネット上に書いているケースを何度か見かけたことがあります。
これは間違いです。
「公表権」は、まだ世に出ていない作品を初めて世に出す権利です。
著作権を譲渡しておらず、著作者人格権不行使特約の契約を結んだだけであるなら、自身の実績としてその作品を自分のWebサイトやSNS等に載せることが出来ます。(ただし、そうした媒体への掲載を禁じる契約を結ぶこともあります。その場合は、自由に掲載出来ません)
二つ目の「氏名表示権」は、著作物を公表する際に、どんな名前を表示するか(実名、芸名、ペンネームなど)、あるいは名前を表示するのかしないのかを決める権利です。
三つ目の「同一性保持権」は、作品を勝手に修正・改変されない権利です。多くのイラストレーターにとって、作品は自らの分身です。
感情や思想、そのものを込めて描きます。
何かの都合で、変更を加えられることに、大きな抵抗感があることも少なくありません。そうしたイラストレーターの心情を保護するのが、この権利です。
そして4つ目の「名誉声望保持権」は、著作者の名誉や声望をおとしめるような利用を禁じる権利です。
著作権法113条6項では「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、その著作者人格権を侵害する行為とみなす。」とされています。
例えば、真面目な美術作品をアダルト系のサービスに使うことなどが、名誉や声望をおとしめるような利用に該当すると考えられます。
■「著作者人格権を行使しない」ということはーー
「著作者人格権を行使しない」契約書は、「イラストレーターはこの4つの権利を行使できない」という意味になるでしょう。
イラストレーターが、「氏名表示権」を行使できないということはーー
たとえば、勝手に違う名前のクレジットを入れられても、文句を言えなくなるということです。
あなたの作品の作者名が全く知らない誰かになっていてもいいでしょうか?
ゴーストライターの仕事でない限り、そんな契約はしたくないですよね。
イラストレーターが、「同一性保持権」を行使できないということはーー
魂を込めて描いた作品を、大きく改変されても文句を言えません。
作者の意図をねじ曲げられることを歓迎するイラストレーターは、少数派のはずです。
AIの発達により、作品の改変は容易になりつつあります。
例えばこんな改変だってあり得るでしょう。
・衣類を着た真面目なテーマの女性画を、はしたない内容に改変される。
・人物画の顔部分を、カルト宗教の教祖の顔に改変される。
・差別反対がテーマのイラストレーションを、ヘイトな内容に改変される。
・原発反対をテーマにした作品を、原発の素晴らしさをテーマにした内容に改変される。(この逆のパターンもあり得ます。)
「名誉声望保持権」さえあれば、作者の名誉を傷つける用途での利用は、やめさせることが可能です。
しかし、「その権利を行使できない」となると、何に使われても文句を言えなくなります。
作品がアダルトゲームに使われても、カルト宗教で使われても、ヘイトや差別に使われても……
それをやめさせることができないのです。
さらに「著作権譲渡」の契約も結んでいたとすると、イラストレーターの同意なく、様々な商品・サービスで使えます。
著作権を買い取った企業Aが、はしたない内容に改変したうえで、イラストレーターの同意を得ていないアダルトゲームに、勝手に利用することすら、可能になってくるのです。(※注1)
「著作者人格権を行使しない」とされる契約を結んでいるイラストレーターの皆さんは、こうしたリスクも考慮した上でサインしているのでしょうか?
よくわからないまま、安易にサインしてはいないでしょうか?
■それほど広い権利を、イラストレーターから取り上げる必要があるの?
「著作者人格権を行使しない」とされる契約書は、一般的な企業が業務に必要と考えられる以上に広い権利を含みすぎているのではないでしょうか?
私は、「そもそもそこに大きな問題がある」と考えます。
イラストレーターに仕事を依頼する企業がこの「著作者人格権不行使の特約」を契約書に盛り込みたい理由は、
1)業務を進めていく上で、イラストレーションをトリミングする必要が出てくることがある
2)色を一部変更する必要が出てくることがある
3)氏名を表示できないケースが有る
という3点が大きいと思います。
ということはーー
名誉声望保持権を取り上げる必要はないはずです。
「いや、そこまでイラストレーター から取り上げる必要がある」いう企業があったとしたら、怖すぎますよね。
他の作者名をクレジットする必要もないはずです。
一般的には、衣服を脱がせて、はしたない内容にまで改変する必要もないはずです。
公表権を行使する機会は、イラストレーター の場合ほとんどないとは思いますが、そこを取り上げる必要もないはずです。
著作者人格権は幅広い権利の総称です。
企業の業務に必要のない権利まで含めて、安易に取り上げられてしまうのはおかしいと思いませんか?
著作権に関する本を20冊以上読んできましたが、この「著作者人格権不行使の契約は不必要に広い権利を含みすぎている問題」をきちんと指摘した本は見つけられずにいます。
それどころか「クリエーターのための」と言いながら、「著作者人格権不行使」の契約書をドラフトで掲載している本まであります。
「イラストレーターが仕事をする際は、著作者人格権不行使の契約をするのが普通だ」という誤解を広めかねないこうした本が、堂々と売られていることに危機感がつのっています。
私は25年以上にわたってイラストレーター をやっていましたが、そんな契約書を求められたことは一度もありません。
しかし、2010年代中頃から、イラストレーター 仲間の間で、そんな契約書が話題となることが多くなってきました。
「このままでは大変なことになる」そんな危惧から、この記事を書いています。
■そもそも著作者人格権は譲渡できない権利である
そもそも、この著作者人格権はイラストレーターを始めとする創作者の心情を守るための、とても大事な権利です。
そのため、法律では「譲渡できない」と定められています。
なのに、著作者人格権不行使の契約書ではーー
「著作者人格権を行使しない」と、うまく言葉を操ることで、結果的に譲渡したも同然にしているのです。
なぜそうするのか?
その理由は、ネット上を検索すると出てきます。
多くの弁護士が「無断改変などでイラストレーターから訴えられるリスクを回避するために、著作者人格権不行使特約を契約書に盛り込みましょう」と書いています。
イラストレーションが作者の意図しない形で改変されていたために、クライアントとイラストレーターの間でトラブルになるケースは多いです。(有名なトラブルの一つが、ひこにゃん裁判です。https://www.innovations-i.com/column/bon-gout/1.html)
昨今、「ひこにゃん裁判のようなトラブルで企業や自治体等が訴えらることのないように、予め著作者人格権不行使の契約を結んでおこう」という声が、様々な弁護士から上がるようになってきたのです。
イラストレーターという弱い立場の人間の権利よりも、より力のある企業の都合を優先する弁護士が多いことに悲しくなります。
イラストレーターの皆さん、よく考えてみましょう。
ある企業が、セクハラやパワハラや労働基準法違反で訴えられるリスクを回避するために、全社員に「労働者としての権利を行使しない」とか「基本的人権を行使しない」という契約書へのサインを 要請したとしたら、それは「おかしい」とは思いませんか?
「著作者人格権を行使しない」という契約書も、それに近い「おかしさ」があると感じます。
「著作者人格権を行使しない」と書かれた契約書が有効なのかどうかは、実は専門家の間でも意見が分かれています。
そもそも創作者にとって大事なものであるからこそ、「譲渡できない」とされているのが著作者人格権です。
それを言葉をうまく操ることで譲渡したも同然とするのは「無効だ」と考える専門家もいます。
「著作者人格権のうちの一部の不行使は、有効だ」という説もあります。
ネット上を「著作者人格権不行使+有効性」で検索すると、いろんな意見が出てきます。
詳しく知りたい方は、調べてみてくださいね。
かつて、消費者金融が法律的にグレーゾーンの金利までを取っていた時代がありました。
著作者人格権不行使も、法律的にはまだ決着がついていない一種のグレーゾーンといえるのではないかと思います。
ですから、最初に挙げたようなイラストレーターの名誉をおとしめる用途で使われたとしてもーー
「著作者人格権不行使の契約書は無効である」と裁判で訴えることは可能です。
または、「著作者人格権不行使特約は、名誉声望保持権までも行使できないとするものではない」と訴える方法もあるでしょう。
あるいは、「優越的地位の濫用」として無効を訴えることもできるのかもしれません。(※注2)
すでにこうした被害にあっているイラストレーターは、裁判に訴えるのも一つの手だとは思います。
しかし、その裁判で勝てるかどうかは、保証がありません。
しかも、裁判は大金がかかるし、長期に渡るでしょう。精神的な負担もかなり大きいはずです。(※注3)
私達イラストレーターに、そんなリスクのある契約書にサインをするべき理由があるでしょうか?
あるはずがありません。
■リスクを回避する解決策
ではどうしたらいいのかーー
イラストレーターの権利を尊重しながら、しかも企業の業務をスムーズに進めることはできるのか?
私は、「できる」と考えます。
その解決策を、ここで示しましょう。
企業や出版社がこの「著作者人格権不行使の特約」を契約書に盛り込みたい理由は、
1)業務を進めていく上で、イラストレーションをトリミングする必要が出てくることがある
2)色を一部変更する必要が出てくることがある
3)氏名を表示できないケースが有る
という3点でした。
ならばーー
「著作者人格権」全般を不行使にせず、次のように契約すればすれば、解決するのではないでしょうか?。
解決策1)契約書に、「イラストレーターは、著作物の個性を損なわない範囲において多少のトリミングを承諾する」と盛り込んでおく。
解決策2)多少の色の変更が必要な場合は、「イラストレーターは、著作物の個性を損なわない範囲において多少の色の変更を承諾する」とする。
解決策3)広告では名前を表示しないことも多いです。そうしたケースであっても、「広告においては、著作者の氏名を表示しない」などと、氏名を表示しない場面を契約書に明記しておく。
つまり、不行使の範囲を狭く限定するのです。
これでほとんどの場合、問題なく企業の希望する使い方ができるはずです。
事案によっては、対応しきれないケースもあるとは思います。
そうした場合も、その事案に合わせて契約書の文面を工夫することで、「著作者人格権不行使」にせずに済むことがほとんどだと思います。
例えばーー
アニメーションの元絵をイラストレーターに依頼する事案を考えます。
この場合、この仕事の性質上、ポーズや表情が変えることが必要です。
こうしたケースでは、「イラストレーターは、アニメーションにおいて、ポーズ、表情、構図、トリミング、色等が変わることを了承する。」と、取り決める方法が考えられます。
仕事の性質上、イラストレーションを大きく改変する必要があって、そのことをイラストレーターが了承するのであれば、
「イラストレーターは、作品の改変を了承する。」
とする方法も考えられます。
しかし、あまりにも広い改変を許可するのはリスクを伴います。
「ただし、あまりにも大幅な改変の際は、依頼主はイラストレーターに相談する」と付け加えると、より安心でしょう。
このようにーー
その仕事の内容とイラストレーターであるあなたの希望をすりあわせれば、ほとんどのケースで双方が納得できる契約は可能だと思います。
イラストレーターの皆さん、契約書作成時は、改変の範囲をどうするのかについて、クライアントと十分な話し合いを持ちましょう。安易にサインすることは避けましょう。
契約というものは、どんな場合も、強要することはできません。
お互いの希望をする合わせるのが原則です。
納得できない場合は、契約書の修正をお願いして構わないのです。
相手がどんなに大きな企業でも、あなたが駆け出しの新人でも、言われるままにサインすることはないのです。
クライアントが「著作者人格権不行使」を盛り込んだ契約書にサインを求めてきたら、「なぜ、名誉声望保持権まで取り上げるのですか? そんなに広い権利を取り上げる必要はないのではないですか?」と尋ねてみましょう。
多くの企業は、その辺りのことは深く考えることもなく、契約書に盛り込んでいます。
何年か前、とあるSNSで「イラストレーターが著作者人格権不行使特約の契約書を結ぶこと」を推奨するかのような書き込みをしている弁護士に質問をしたことがあります。
「なぜそれほどまでに広い範囲の権利を不行使とする必要があるのか」と。
その弁護士は、話を逸らすばかりで、正面から回答することはありませんでした。
弁護士の先生ですら、この問題の本質的な問題点が分かっていないことを痛感しました。
ですから、一般企業の担当者がご存知ないのも無理はないと思います。
イラストレーター の皆さんーー
契約書にサインする際は、その内容をよく読み、理解し、さらによくよく考えてください。
「著作者人格権を行使しない」と書かれていた場合は、内容変更を求めて、交渉することをお勧めします。
このページを読んでもらってもいいと思います。
「イラストレーターズ通信」の会員イラストレーターは、「著作者人格権不行使」の契約書を示された場合も、クライアントとよく話し合うことで、多くの場合この項目を変更していただけています。
丁寧にイラストレーター の立場を説明すれば、多くのクライアントは理解して下さいます。
そして円満な関係を保ちながら、仕事を進めています。
クライアントの多くは悪意があってこうした契約を求めてくるわけではありません。イラストレーターの権利を必要以上に取り上げてしまうことを知らないだけなのです。
ちゃんと丁寧に説明しましょう。
きっとわかってくださいます。
なおーー
このnoteに書いた解決策は、顧問弁護士からも様々なアドバイスをいただきながら考案しました。
この場を借りてお礼申し上げます。
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こちらの記事も、あわせて読んでいただけると嬉しいです。
《イラストレーターに知って欲しい「著作権譲渡」のリスク》https://note.com/moriryuichiro/n/nf534429ece7b
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(※注1)
「著作権譲渡+著作者人格権不行使」の契約の場合に、イラストレーターの名誉をおとしめる用途に承諾なく流用することが可能になります。
「著作者人格権の不行使のみ(著作権譲渡はしない)」の契約であれば、イラストレーターの承諾のない用途に流用することは出来ません。ただし、広い範囲での利用を許諾していたり、利用範囲を曖昧にしていると、知らない間に利用されてしまう可能性もあるでしょう。
(※注2)
独占禁止法により、取引上優越的地位にあるものが取引相手に不利な条件を要請することが禁じられています。
詳しくは、つぎのURLの「コンテンツ取引と下請法」をご覧ください。
https://www.jftc.go.jp/houdou/panfu.html
(※注3)
「著作者人格権不行使特約のある契約は無効だ」と裁判で訴えることになった場合は、弁護士選びに注意しましょう。世の弁護士の多くが「著作者人格権不行使特約のある契約書」を勧めています。そして実際にそうした契約書をたくさん作っているはずです。過去に作ったそうした契約書が皆無効になってしまうと、その弁護士が困ってしまうかもしれません。だから、本気で「著作者人格権不行使の契約は無効だ」とする裁判を起こしてくれる弁護士は、かなり少数派ではないかという気がします。万一、こうした契約でトラブルになった場合は、「著作者人格権不行使特約は無効」という立場をとっている弁護士を探しましょう。