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「初」と「自分の刀」と「生き辛さ」
1.初めまして。
どこの誰が、いつこの文章を読んでいるかは分かりませんが、これが自分のnote初投稿です。学生時代、新しいノートの初めの1ページ目を丁寧に書いたことがある人なら、きっと気持ちを分かってもらえるでしょう。その思いで、このnoteの初めを書いています。
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2.「初」に込められた意味と自分のイメージ
ここまで読んで気づいた方もいるかもしれません。「初」という言葉が多くないか?と思ったのではないでしょうか。実際、この短い文章だけで4回も出てきています。
「それほど多くなくね?」と感じるかもしれませんが、文中の主語の「が」よりも2倍も多く登場しているのです。
「初」という言葉には、特別な意味が込められています。
「新しい未来に希望と期待」を見いだすこと。
何事も「初」めては、これからの未来への希望や期待を含むと考えます。
そんな「初」の気持ちを、この文章の冒頭に込めました。
だから、ここからは自分の「新しい未来への希望や期待」を書くべきです。
また、「これからこう生きるぞ!」という決意を込めて語るのが普通かもしれません。
でも、ちょっと待ってください。「初」という漢字をよく見てみると、衣偏(衤)に刀。深い意味がありそうです。
自分が「初」という漢字から受け取るイメージはこうです。
着ていた服を急いで空中に脱ぎ捨て、地面に落ちるまでのふわりと浮かぶ間に、自分の刀を鞘から抜き、真剣白刃取りのように一気に叩き切る――そんな躍動感ある瞬間。
もちろん、これが本当の成り立ちかは分かりません。
もし、他人に「本当はこういう意味ですよ!それ違いますよ」と言われても「そんなことに全然興味無い。知らねえよ。黙ってろ。」と“言い切る‘’ことが出来ない。自分はそれに対して、悩んだり、考え込んだりしてしまう。
つまり、自分の服は切れるが、他人の発言に対してスパッと‘’言って、切れる‘’ように自分の刀は出来ていないのです。
自分の刀は、切れ味が鋭いものではなく、『るろうに剣心』に登場する、刃と棟が逆になっている『逆刃刀』のように、他人を傷つけることができない、そんな刀です。
ここからが本題です。お付き合い下さい。
『逆刃刀』=『自分に攻撃のベクトルが向いて、生き辛さを感じる性格』というイメージで書いています。
他人を切ろうしても、刀の鈍器のような部分で叩くことしか出来ず、相手は死なずに逆に自分が切られてしまう。
だから、他人を切ろうとしない。そもそも自分の刀は他人を切る仕様になっていないし。
皮肉にもこの刀は自分や自分の服は切りやすくなっているのである。次はそんな話です。
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3.自分と相方と他人、自分と相方を切る刀
芸人としての日々を送っていると、自分自身を切ることばかりしてしまいます。「自分の書くネタが面白くないんじゃないか」「自分には才能がないのではないか」と、自分で自分を追い詰めることが日常茶飯事です。
そして相方も自分自身同様によく切ってしまいます。
これを書いている今も相方への厳しい言葉が浮かびます。「なんでネタ覚えてないんだよ!」「なんで自分ばっかり頑張ってるんだ!」と。
なぜ相方を切れるのかと言うと、あいつは自分にとって「身近な存在」、つまり「身に近い存在」。自分にとっての衣、服だからです。
ここまでまとめると、自分と自分の服。要するに、自分自身と相方は自分の持っている刀で切ってしまえる。ということです。
でも、他人を斬ることはできない。それは、自分の持っている刀が『逆刃刀』だからです。
自分だけではなく、「生き辛い人」は生きてきた中で『逆刃刀』を受け取ったタイミングがあるんです。幼少は木刀で、大人になると真剣を持ちたいのに。『逆刃刀』を持ってしまった。
(木刀で戦ってます。とか、刀すら持ってませんという人もいると思います。この話は今度また。)
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4.逆刃刀で生きる覚悟
今の時代、SNSでは鋭い言葉で他人を斬ることが賞賛されることもあります。巧みにディベートし、人を言葉で追い詰める、「切り捨てる」ことが正義とされる場面もあります。
でも、自分はそう生きたくはない。逆刃刀を手に、他人を傷つけずに生きていく覚悟を持ち続けたいのです。自分が傷ついたとしても。
いつか真剣を手にして人を切ったら、応援を止めてください。
昔、人切りが正義の時代があって、それが殺人として悪という共通認識が生まれ、SNSの登場によりまた、人切りが正義の時代が来た。そう考えています。
今の時代は『逆刃刀』じゃ生きていくのは辛いんですよ。正義では無いから。もし、普通の刀を持っていたなら、自分はもっと簡単に他人を斬って正義の顔をして生きていけたでしょう。けれど、持っている武器は『逆刃刀』。他人を切らず、自分と相方と向き合いながら生きる道を選びました。それが自分にとって漫才でした。
芸人1年目。漫才師。23歳。武器:逆刃刀
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5.逆刃刀で戦う漫才師の道
たとえ、この芸能界が刀どころか銃やミサイルが飛び交う戦場だとしても、逆刃刀を握りしめて戦っていきます。それが自分のスタイルだから。自分自身を信じ、相方と共に、真っ暗なトンネルの中でも、かすかに見える「新しい未来への希望」を目指して歩んでいきたい。
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6.最後に
このnoteでは、『逆刃刀』を手に、最後は天下を取る漫才師の、それまでに思ったことや、感じたことを書いていきます。
皆さんには、自分(私のことです)がどんな壁にぶつかり、どんな風に笑いを届けるのかを見守ってほしい。それを皆さんから自分への「新しい未来への期待」とします。
そして、自分は希望を、あなたは自分(私)への期待を胸に、逆刃刀を手に、共に戦って欲しい。
最後に、もう一度だけ言わせてください。
初めまして。
これが「初」の持つ希望と期待を込めた、「自分の刀」を決めた漫才師の「生き辛い」物語の始まりです。
この文章の中で、自分自分自分。何度言っただろう。何度も自分の中で考えている。「私は」と、このnoteを通して外に考えを表明していきたい。
「初」と「自分の刀」と「生き辛さ」
2024年9月24日