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ちょっとビビりな私がnoteを書く理由

すごく軽い気持ちで「自分が思っていることを発信したい」と思って、簡単に始められるとネットで書いてあったnoteを使ってみることにしました

登録してプロフィールも書いて、こんなので伝わるかな?と思いつつもちょっとワクワクしながら作りました

これまで生活の中でwebの色々な記事を見ていましたが、実は、その記事がどこから発信されているものなのか、そういったことはあまり気に留めていませんでした

いざnoteを使ってみることにして、改めて発信元がどこなのかnoteなのかを気にするようになりました

私が見ていた記事は結構noteからあり、noteの記事とは気にしていなくても、共感を持って読んでいる記事が多かったのです

そして、noteにはどんな人たちが集まっていて、どんな発信をする人がいるのだろうか、と人気タグから様々な記事を見て、正直ビビりました

クリエイターと呼ばれる筆者の方々の肩書きが神々しくみえました 何かを主催していたり、経営していたり、元々の仕事がクリエイトな職業だったりする人が多く、何の肩書もない「普通の人」が来る場所ではないのかな?と「これは場違い」と思ってしまいました。

気づけば、noteを始めようと思ってから数ヶ月が過ぎていました 正直、自分にはクリエイターという呼び名をもらって、このnoteの場に立つ勇気が出ず、「する?しない?どうする?やってみる?私大丈夫?」自問自答の日々と日常を送り、ただただビビッて気後れし、登録してワクワクしていたことも忘れていました

そして、行こうか戻ろうか状態でフリーズしている時に、友人が転職することになり新しい環境へのちょっとした恐怖心の相談にのっていました

「私も友人も見えない何かにビビっている、これって心は穏やかではないよね。。。」
「ん、・・・これは・・・」
「そうだ!この今、ビビって立ち止まっている状態こそが私が発信したかったことだった」と我に返りました
ビビり生活で封印しかかっていたnoteを始めたいと思った気持ちを思い出し、ようやく始めました

私が発信したかったこと、それは「自分が和む調べを創る」=「オリジナルハーモニーデザイン」を創っていくことです

ちょっとビビりな私は、「そんなの誰も気にしないよ」って思うであろうことにビビッて、立ち止まり躊躇してしまいます そんなことはしょっちゅうです

noteを始めるにあたっても、「ロクな文章でもないのに発信して大丈夫かな?」「場違いかな?」などなど考え始めたらキリがないくらいネガティブループに入ってしまいました

よく、始められるのに始めない人は結局やりたくないだけ、と言う言葉を耳に目にします
いえいえ、元々やりたくないのではなく、怖気付いているのです
そして、怖気付いている間に、やっぱりしなくても大丈夫か、と思ってしまいます

これは、仲間がいるとそんなに怖気付くこともなく、楽しく進めていけることなのかもしれません
でも、一人でやっていこうと思ったら、得体の知れない不安の方が強くなっているのです

「きっと私と同じく、色々なことを考えて、ビビって怖気付いている人もいるだろう、やったことがないことを始めるのは不安がいっぱいで、それは当たり前のこと、そうとなったらやっぱり私はビビらずに、何も怖くないはずであるということを伝えなくては!」と、ようやく勇気が湧いてきました

そんなビビリな私が日常や仕事で色々な人と関わる中で、私自身も含め生きづらさややりづらさを感じている多くの人を見て考えていたことが、人と人との調和とは何だろう、ということです

noteを始める前のネガティブな感情も自分です 
もちろん、noteを始めると決意しPCに向かっている今の私も自分です 
どちらも自分でそれは自分が創る調べなのです 
他人に促されたわけでもなく、私自身が赴くままに「自分が和む調べを創る」ことができれば、周りとの関係も接している面や点は調和していくのではないかと考えています

周りや他人を気にして、そこに合わせようとすると自分は和める状態ではなくなります 
特に気が乗らない時は、疲れも半端ないでしょう
そんな時もあるからこそ、自分が和める状態を知り、そしてその調べを創ることができれば和やかで穏やかな毎日が送れるのではないでしょうか

それは人だけでなく環境も含めて自分の和みを知り、それを軸に周りとの調べを創っていけたら、それこそがオリジナルの調和です

「自分が和む調べを創る」=「オリジナルハーモニーデザイン」

この思いを少しでも多くの人たちと共有できればといいな、と思っています

それが、ちょっとビビりな私がnoteを書く理由です

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