#2 小・中学校のはなし
前回の投稿は思いをブチまけただけだったので、今回は経歴を書こうと思う
高校のことも書いてたら長くなったので、中学校までで区切りました
小学校・中学校は国立大学の付属学校で、意識高い系だった
定期的に研究発表があって、他の学校の先生とか教育機関のお偉いさんが授業を見学にきてた
人事的な評価に繋がるそうで、その度に担任が張り切ってた
コーラス部が異常に強くてしょっちゅう全国大会にいってたなあ
その頃の自分は、めちゃくちゃ短気で傲慢で、何か気に入らないことがあったらすぐキレてた
そんな奴が嫌われない訳がなく、小3ぐらいからハブられはじめた
イジメられなかったのは奇跡だったと思う
そこから人目を気にするようになって、ビクビクして上手く喋れなくなってって。
コミュ障の始まりはここな気がする
完全な自業自得ですね
友達がいない状況にようやく気付き、性格を180°変えた
誰にも怒らず、常に優しくをモットーにして過ごしてたら、小5のときくらいから何人かは一緒に遊んでくれるようになった
ありがとう
そんなこんなで、
エスカレーター式で中学校に入った
中学の偏差値は県で1番だったらしい
授業がめちゃくちゃ難しくて、テストも訳わかんなくて禿げそうだった
案の定ついていけなかった
他にもそういう人多くて、半分適応、半分落ちこぼれみたいな感じだった思う
印象的だったのは、音楽の筆記テストがあって、その構成がA4裏表1枚で大問2つの筆記形式ってのがあった
他の教科も記述問題ばっかで、一問一答なんて殆ど無かった
大学入試かよ
校則もめちゃめちゃ厳しくて、全校集会のときは
一言でも喋れば激怒される、髪さわるな、女子は女の子座り、男子はあぐらで座れ、なんて言われた
授業中も話し合い以外じゃ誰も一言も喋らなかった
そこは成績が全てみたいな風潮があって、馬鹿なやつはカーストの下の方にいた(一部運動部陽キャを除く)
勿論底辺にいた
なんだか監獄みたいな所だったなあ
そんなとこでも感謝してることがあって、親友と呼べる一生の友達ができたこと
そいつらがいなかったら学校やめてた
友達のこともいずれ話したいな
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました