鬼滅の獪岳が生きづらかった理由について、真剣に考えてみた
『鬼滅の刃』に獪岳という登場人物がいる。
クズで、不人気で、それなりに伏線(役割)を持っていながら物語上ほとんど意味がなかった存在。それが獪岳だ。
ただ、主人公・炭治郎を筆頭に、あまりにも眩しく愛すべきキャラクターばかりが登場する鬼滅の世界の中において、現実の自分が抱える問題を投影できるのは獪岳だけのような気がしてしまう。
今回は、そんな獪岳の発言と行動を紹介しながら、彼の欠落と幸せを感じるための難しさについて考えていきたい。
無駄に6300字ぐらいあるし、本当に獪岳のことしか考えていないから、そこだけは注意して欲しい。
*以下、鬼滅を17巻まで読んでる前提の話になります*
一体なんのために登場したのかわからない男・獪岳
無限城決戦の序盤、同期と義勇を除けば最重要人物であるしのぶが、比較的あっさりと童磨に殺されてしまう。その直後、嘆くカナヲのモノローグを善逸が引き継ぐ流れから登場した新しい上弦の鬼。それが獪岳だった。
この時点での獪岳には、コンテクスト的に相当な重要人物感が漂う。だが、実際は全くそうではなかった。
そもそも鬼滅の持つ優れた特徴の1つとして、「最終盤まで上弦の強さの位置付けがブレなかった」という点があげられる。
猗窩座は煉獄を殺害しているし、妓夫太郎も天元を引退させている。捨てキャラ感の強い玉壺と半天狗ですら、蜜璃と無一郎を含めた一団を壊滅寸前まで追い込んだ。代替要員の鳴女は特殊能力を駆使。そしてしのぶをあっさり殺害し、戦闘継続中の童磨。
黒死牟の登場前の17巻冒頭時点でさえこの強さを誇った上弦の一角として登場した獪岳はしかし、わずか4話(143話〜146話、143話・146話での登場合計は4ページのみ)であっさり倒される。先に登場していた童磨が闘っている幕間に、実にあっけなく、だ。
しかも、この敗戦により彼は、作中唯一の「隊士一人の力だけで単独討伐された十二鬼月」となってしまう。
なんなんだろう、彼の存在のこの無意味さは。
「善逸の成長を描くために必要な存在だった」という見方もできる一方、その後の善逸がストーリー上さほど意味のある役割を持たなかったため、これ以上ないほど無駄な捨て石になってしまったとも言える。
そして結局のところ、それが獪岳という存在の評価の全てなのだろう。
彼は、鬼滅という大河ドラマの中において、ごく一部の人間にとっての「過去の蟠り」でしかなかったのだ。
強キャラ感を出しながらあっさり一蹴されてしまった敵役も少年マンガには数多く存在するが、それは主人公側のNo.2的なキャラの強さを強調するという役割あってこそ。獪岳はそれにすらなれなかった。
「倒したはずの敵幹部の交代要員」は、読者からみれば不要な存在だが、(少なくとも作者や出版社にとっては)ストーリーの引き延ばしを可能とする存在にはなれる。これも少年マンガではおなじみだ。でも、獪岳はそれにすらなれなかった。
悲鳴嶼さんとの裏設定的なエピソードも、特に意味のあるものにはならなかった。
ただ、その存在の無意味さゆえに獪岳は、どこまでも「現実」を投影させることができるのではないか。
以下、そんな獪岳に纏わる言葉を読み解いていきたい。
「適当な穴埋めで上弦の下っぱに入れたのが、随分嬉しいようだな」
久しぶりに再会した善逸を相手にはしゃいでいるとき、冷めた顔で言われてしまった一言だ。これは相当恥ずかしい。普通なら恥ずかしくてたまらない気持ちになってしまう。
ただ、上弦に入れたのは嬉しいに決まっている。なぜなら上弦の鬼は、自分が憧れ、切望し、限りなく近づきながらも最後に拒絶された「柱」を圧倒する存在。100年以上に渡り、柱の誰もが倒せなかったエリート中のエリート集団だ。
獪岳からみれば、ある種の憎しみの対象であった「柱」以上の存在となれたわけで、はしゃがない方がどうかしている。枠自体も6つしかなく、滑り込めただけでも上出来と言えるだろう。
善逸に話しかける時もご機嫌だ。
変わってねえなぁ
チビで みすぼらしい 軟弱なまんまでよ
柱にはなれたのかよ?
壱ノ型以外使えるようになったか?
なあ おい善逸
自分を評価しなかったような環境(鬼殺隊)は、停滞したままに決まっている。進化していていいはずがない。
成長した自分が、善逸の変わらない姿を見下せることは、何よりも嬉しかったのだろう。
その気持ちはとてもわかる。
「俺は俺を評価しない奴なんぞ相手にしない」
お前が鬼になったことで師匠は自死してしまったぞ!と責め立てる善逸に対し、獪岳は一切の躊躇なく言い放つ。
知ったことじゃねぇよ
だから? 何だ? 悲しめ? 悔い改めろってか?
俺は俺を評価しない奴なんぞ相手にしない
俺は常に!! どんな時も!!
正しく俺を評価するものにつく
恩人に対し酷く冷たいセリフのように思われるが、獪岳からみれば師匠は「自分を評価しない存在」でしかないのだ。
その存在がどうなったところで、まさしく「知ったことではない」。
会社で不当に自分を低く評価していたような上司や、学生時代ぜんぜん自分のことを評価してなかった友人などがどうなろうと、多くの人は正直どうでもいいはずだ。
重要なポイントは、獪岳は「正しく俺を評価するものにつく」と宣言していること。「自分が絶対」「自分が一番」などではない。
つまり、人と人とが関係性を持つこと自体を否定しているのではなく、むしろ「自分が居心地のいい場所で過ごしたい」と考えているだけなのだ。
善逸側からみれば到底受け容れられる話ではないが、そう思うこと自体は、獪岳側からみれば至極真っ当な主張である。
だらだらと鬼殺隊に居残る隊士たちを横目に、「自分を評価しない人間たちとは、どれだけ長い年月の積み重ねがあっても、これ以上は一緒に過ごさない」という大きな決断を、自分できちんと下したという自負もあったはずだ。
その気持ちはとてもわかる。
「テメェみたいなカスと共同で後継だと抜かしやがったクソ爺だ」
上記に続き、獪岳は過去に噛みつく。
爺が苦しんで死んだなら清々するぜ
あれだけ俺が尽くしてやったのに 俺を後継にせずに
テメェみたいなカスと共同で後継だと抜かしやがったクソ爺だ
元柱だろうが 耄碌した爺に用はないからな
善逸は明らかにデキの悪い後輩であり、師匠を「じいちゃん」と呼ぶような(少なくとも獪岳の美学の中では)許容できない存在だ。
そんな奴に対し、先輩であり、きちんと師匠も敬い、客観的にも高い評価を得ているはずの自分が「共同で後継」などと言われてしまったら、獪岳でなくとも怒り狂ってしまうのではないだろうか。
いっそ善逸が単独で後継指名されていたほうが、獪岳も躊躇なく鬼殺隊を飛び出せたはずで、その後の悲劇も起きなかったかもしれない。そもそもの組織の評価軸自体が違う、と(怒りは消えないにしても)見限ることができるからだ。
しかし「共同で後継」の位置付けは、組織からは善逸と同程度にしかみていないことを物語っており、自分が善逸をみている程度にしか周囲からは評価を得られていないということになる。これは本人にとって耐えがたい屈辱のはずだ。
いくら「そうではない」と言われたところで、そうですか、と言える話では絶対にない。
我慢しろ・理解しろという方が難しいし、そもそも共同で後継という意味がわからない。2人同時に鳴柱になっても遺恨が残るであろう人事なのに、後継指名でしかないのだ。弟子は2人しかいないのに。
ちなみに4巻時点で登場した善逸の回想シーンで、獪岳は兄弟子として、善逸に桃を投げつけながら怒りをぶつけている。
じいちゃんなんて馴れ馴れしく呼ぶんじゃねぇ!!
先生は“柱”だったんだ
鬼殺隊最強の称号を貰った人なんだよ
元柱の指南を受けられることなんて滅多に無い
先生がお前に稽古をつけてる時間は完全に無駄だ!!
目障りなんだよ消えろ!!
なぜお前はここにいるんだ!!
なぜお前はここにしがみつく!!
善逸が内面に抱える何かはあったとしても、それを獪岳の方に慮れというのはまた別の問題だ。
しかも前後の善逸の不真面目な様子を見る限り、鬼殺隊や鳴柱のことを考えているのは明らかに獪岳であり、どうして善逸の方に自分があわせなければならないのか、その意味すらわからないだろう。客観的な話、そんなに嫌なら善逸の方が出て行けばいいのは確かなのだ。
我妻善逸 こいつはカスだ
いつもベソベソと泣いていた 何の矜持も根性もない
こんなカスと二人で後継だと抜かしやがった糞爺!!
獪岳にとって、善逸は美学や信念の否定者なのだ。
師匠の自死を嘲笑う獪岳に対し、善逸は「後継に恵まれなかった爺ちゃんが気の毒でならねぇよ」と怒り狂うが、この件に関しては師匠の方にも説明責任的なものがあったと思う。
あまりにも立場のない獪岳が、気の毒ですらある。
その気持ちはとてもわかる。
「俺を正しく評価し 認める者は“善”!! 低く評価し認めない者は“悪”だ!!」
鬼になって善悪の区別もつかなくなったな!?という善逸に、「善悪の区別はついてるぜ!!」と嘲る獪岳が示した評価基準がこれだ。
一見とんでもない基準のように思えるが、「自分が一番強い」などと主張しているのではない。「自分を評価しろ」と求めているだけなのだ。
黒死牟に遭遇した際の恐怖を回想していた獪岳からも見られるように、彼の心の芯にあるのは、とにかく「人から特別な評価をされたい」という強い気持ちだった。
「壱ノ型」以外の型を徹底して強化し、善逸を追い詰めていく獪岳の姿は、「圧倒的に優れた雷の呼吸の使い手」として認められたかったことを求めているようにも見える。
俺は特別だ お前とは違う
お前らとは違うんだ!!
攻撃を重ねる中、非難の対象が「お前」から「お前ら」になっているのも、そうした想いのあらわれだろう。
さらに、自分を優れた存在だと思ってはいるものの、決して天才だと驕っているわけではない獪岳は、善逸が尊敬の念を抱くほどひたむきであり、努力を重ねる真面目な男でもあった。
そんな男が、ただただ自分が真摯に取り組み、結果も出したことに対し、特別な評価を求めたことは、果たしてそんなに悪いことだったのだろうか。
その気持ちはとてもわかる。
「耐えられない 耐えられない!! そんな事実は受け入れられない!! あんな奴に俺が? 俺が負けるのか? 頭が変になりそうだ」
戦闘は進み、六つしか型がない雷の呼吸から七つ目の型を編み出した善逸によって、頸を斬られてしまった獪岳。
畜生!! 畜生!!
やっぱりあの爺 贔屓しやがったな!!
お前にだけ教えて俺に教えなかった
自身の強さへの自信というより、徹底して善逸を認めない姿勢から、そもそもの技の正当性を疑うことで心の均衡を保とうと試みる。
しかし、「これは自分で考えた技だ」と善逸から告げらたことで、もはや自身の敗北を受け入れざるをえない状況に追い込まれてしまう。
アイツが?
壱ノ型しか使えないアイツが?
俺よりも劣っていたカスが?
耐えられない 耐えられない!! そんな事実は受け入れられない!!
あんな奴に俺が? 俺が負けるのか? 頭が変になりそうだ
カスに負けることを受け入れるのは、「頭が変になりそう」なほどに耐えられないことであり、それは死よりも重いことだと感じている様子だ。
黒死牟遭遇時、「生きてさえいれば何とかなる。死ぬまでは負けじゃない」と述懐していた獪岳だったが、それはあくまで「圧倒的強者に跪くことは恥じゃない」からであり、「いつか勝てる、勝ってみせる」の気持ちは折れていなかった。
体中の細胞が絶叫して泣き出すような恐怖を乗り越えながら、上弦にまで登った獪岳はしかし、上記のセリフを受け継ぐ形で「死」そのものはあっさりと受け入れようとする。
いや
違う負けじゃない
あのカスも落下して死ぬ
もう体力は残ってないはず
アイツも俺と死ぬんだ
もはや引き分けでいい、負けなければそれでいい、という心境にまで至っているわけだ。
泥水をすすってでも生に執着してきた獪岳が、それすら放棄してでも受け入れられなかったのは、自分がカスと呼び続けた人間への敗北を認めることだったのだ。
そしておそらくそれこそが、獪岳の中にある芯のようなものだったのだろう。獪岳にとって善逸とは、努力もしない、ひたむきですらない存在であり、自身のこれまでの生き方に対する真正面からの否定者だったのだ。
それはもう絶対に認めていいものではない。
その気持ちはとてもわかる。
「独りで死ぬのは惨めだな」
引き分けを受け入れ、そのまま死んでいこうとした獪岳を許さなかったのは、突然の愈史郎だった。
人に与えない者は いずれ人から何も貰えなくなる
欲しがるばかりの奴は 結局何も持ってないのと同じ
自分では何も生み出せないから
独りで死ぬのは惨めだな
ただただ、獪岳の生を否定するためだけに現れ、善逸を助けたところを見せつけて去っていく愈史郎。
獪岳は何かを叫んでいたようだが、誰にもその声は届くことなく、ただ消えていくだけ。他のどの上弦よりも惨めで、何の意味もない死に様だった。
実際、独りで死ぬのは惨めなことであり、獪岳も他者に何も与えないままに生きてきたのだろう。
ただ、与える者と与えない者の差が何のか、どこにあるのかについて、答えを持っている人間などいるのだろうか。
それこそ、ある種の偶然や才能に左右される類のものなのではないだろうか。
言ってることも気持ちもとてもわかるが、じゃあ獪岳(自分)はどうすればよかったのか。その答えを、愈史郎も善逸も教えてくれるわけではない。
「心の中の幸せを入れる箱に穴が空いているんだ。どんどん幸せが溢れていく」
最後に。
自分を評価しないと師匠を憎み、自分と一緒にされたくないと後輩を憎んだ獪岳だったが、それでも自分たちにとっては特別な存在だったと語る善逸。
獪岳が 俺のことを嫌っていたのは十分わかっていたし
俺だって獪岳が嫌いだった
でも尊敬してたよ心から
アンタは努力してたし ひたむきだった
いつも俺はアンタの背中を見てた
特別だったよアンタは
爺ちゃんや俺にとって 特別で大切な人だったよ
だけどそれじゃ足りなかったんだな
どんな時もアンタからは不満の音がしてた
心の中の幸せを入れる箱に穴が空いてるんだ
どんどん幸せが零れていく
その穴に早く気づいて塞がなきゃ
満たされることはない
善逸にも師匠にも「特別で大切な人」だと思われていたのかもしれないが、結局獪岳がそれで幸せになることはなかった。
幸せの物差しが違う、というより、それに気づく力がなかっただけなのだろう。ただ、特別で大切だと評価されてることがわからなかったばっかりに「クズ」にしかなれなかったというのは、あまりにも悲しい話だ。
心の中の幸せを入れる箱に穴が空いてるんだ
どんどん幸せが零れていく
その穴に早く気づいて塞がなきゃ
満たされることはない
善逸はそれを穴のせいだというが、生まれた時から穴が空いているなら、誰も塞ぎ方を教えてくれないなら、獪岳はどう生きれば良かったのだろうか。
結局のところ僕たちの抱える「生きづらさ」とは、もしかしたら善逸のいう「箱に空いた穴」の話であり、幸せそうな人は皆ちゃんとその穴を塞ぐことができているだけなのかもしれない。
そんなことを、獪岳という「一体なんのために登場したのかわからない男」の台詞と行動を通して考え込んでしまった。
自分にも、その穴はおそらく空いている。その自覚がある。
ただ、それがなぜ空いてるのか、どう塞げばいいのか、いくら考えてもまったくわからない。
獪岳を嗤うことは簡単だが、獪岳にならないという証明は極めて困難なのだ。