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「慣らし保育で子どもを諦めさせる説」に警鐘を鳴らしたい件。

◆衝撃の"諦め論"が波紋

「保育園は子どもに諦めを教える場所だ」――最近、こんな過激な主張が話題になっています。
「泣いても無駄だと悟った子どもは、やがて黙り込む。それって諦めを植え付けているんじゃないの?」的な。
この言葉を聞いて、思わず目を疑う私。いやいや、うち、全員保育園に預けて思いっきり慣らし保育してるし、なんなら慣らし保育の期間すら思いっきり短縮してもらってますけど。。。
まあ、私の家のことはともかく、毎日、子どもたちの笑顔と涙に向き合う保育の現場を、そんな一面的な見方で切り捨てていいのでしょうか?
今回は、この"衝撃の諦め論"を考えていきます。果たして、子どもたちは本当に「諦め」を教え込まれているのか。それとも、そこには別の物語が隠されているのか――。


◆物議を醸す"諦め論"の正体

まず、この過激な主張の中身を紐解いてみましょう。

  1. 「諦めさせる保育の蔓延で、子どもの心の叫びは無視される」

  2. 「泣き声は諦めの証。心を殺して黙るしかない」

  3. 「保育者も慣れっこになり、人格性が欠如している」

  4. 「これこそ現代社会の闇。子育ての崩壊だ」

なるほど、確かにグサッとくる指摘です。でも、ちょっと待ってください。本当にそんな単純な図式で片付けられる問題なのでしょうか?


◆現場からの反論! 知られざる保育の真実

保育の現場で日々奮闘する先生たちは、きっとこう叫びたいはずです。

「私たちは諦めなんて教えていませーーん!」

  • 限られた時間の中で、一人一人を抱きしめ、寄り添い続ける

  • 遊びや声かけを工夫して、不安な気持ちに橋を架ける

  • 保護者と密に連携し、子どもの心に寄り添うヒントを探る

つまり、ここにあるのは"諦め"の押し付けではなく、子どもの心に寄り添い、限られた人員の中、子どもの声に応じている懸命な努力なのです。
だからこそ、子どもが泣き止むのは「諦め」ではありません。むしろ「この場所も、この先生も、案外安心できるかも」という新しい発見の瞬間かもしれないのです。


◆「諦め」ではなく、「成長」の物語

保育園での日々は、子どもたちにとって大きな挑戦の連続です。でも、その一つ一つの経験が、実は驚くべき成長の機会になっているのです。

  • 新しい環境への適応力が育まれる

  • 他の子どもたちとの関わりを通じて社会性が芽生える

  • 様々な感情と向き合い、自己表現力が豊かになる

以上のことは児童発達心理学の知見からも明らか。
子どもたちは、保育園という場所で「諦める」のではなく、むしろ「乗り越える力」を身につけているのです。泣き声が減っていくのは、決して心が折れたからではありません。新しい環境に適応し、自分の居場所を見つけ、たくましく成長している証なのです。

(執筆:森 雄一/作業療法士/TECCO代表)


◆最後に:保育園は希望の場所

保育園は「諦めの場所」なんかじゃない。むしろ「希望の場所」と呼ぶべきでしょう。なぜなら、ここには子どもたちの未来を信じ、その成長を全力でサポートする大人たちがいるからです。
子どもたちの涙も笑顔も、すべては大切な成長の証。
次回もこの「〇〇説に警鐘をならしたい件。」シリーズは続きます!
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