死の間際、救急に電話したら嘲笑され叱られたDebra Stevensの死、炎上事件についてのメモ、ノート、覚書
2019年8月24日、アメリカ合衆国アーカンソー州フォートスミスは記録的豪雨に見舞われ、その中で1人の女性が亡くなった。写真の女性、デブラ・スティーブンス(Debra Steavens)である。
普通、天災で人が亡くなったとしても、人々は心を痛めはしても憤ったりはしない。それらの死や犠牲は不運、悲劇であって、事件ではないからだ。
しかしデブラの死はフォートスミス警察とその職員に関して炎上を引き起こした。人々はニュースのコメント欄に怒りのコメントを多数寄せ、批判を集めたあるひとりの職員、その人物を投獄せよという署名活動までもがオンライン署名サイトChange.orgで実施された。これは今でも確認でき、これを書いてる現段階で66000人近くが署名している。一体何がそれほどまでにデブラの死を特別にしたのか?
署名に書かれていることを参照するならば、車ごと洪水に呑まれ、車内に入り込んできた水で溺れそうになる中救急に助けを求めて連絡したデブラは、その電話口で「黙れ」「死ぬわけない」と言われ、そのまま溺れ死んでしまったというのだ。
この記事はデブラ・スティーブンスの死について、彼女の電話を受けたドナ・レノー(Donna Reneau)について、事件全般についてのメモ、ノート、覚書である。
事件の概要
デブラの死とドナの対応、責任者による公式声明などを伝えるニュース動画を貼っておく。
事故が起きるまでの経緯
2019年8月24日、アーカンソーが記録的な豪雨に襲われたその日の明朝、47歳のデブラ・スティーブンスは車でフォートスミスの家々を回り、新聞の配達を行っていた。彼女は21年間この仕事をやっていたという。既に道が封鎖されていたり洪水で使用出来なくなっていたために、デブラは普段とは違う、馴染みのないルートで車を走らせていた。
この時点で、洪水のかさは水の底が判断出来ないレベルだった。流れる泥水が地表を覆っており、果たして底がら土なのかアスファルトなのか、それとも穴なのか川なのか窪んでいるのかはまるで分からなかった。デブラには土地勘もなかったことを思うと、危険を察知し回避するのは不可能だったろう。
とある集合住宅の駐車場を横切った後、路上を流れる水にコントロールを奪われた車は道から外れ、流されるままに木の茂った小さな川へと突っ込んだ。小川とは言え、大幅にかさを増していた水はすぐさま車を飲み込み、窓などからの浸水が始まった。
その時点でデブラから平常心はすっかり失われていた。ただでさえ無茶苦茶な状況であるのに、それに加えて彼女はカナヅチであると自認していたのである。結果、大量の水への恐怖心がデブラを支配してしまったのだ。
彼女はまず同じように新聞配達をしていた義理の母に連絡し、続いて911、救急へと電話をかけた。
デブラとドナの22分
通話の内容はフルで公開されており、今でも参照することが出来る。この音声には恐らくデブラの最期の最期と思しい瞬間までもが記録されている。
デブラが電話口で説明したところによると、車内の水はこの時点で胸にまで達していた。
救急通報を受けたドナ・レノーは冷静に、あるいは冷徹に、職務上の鉄則に従ってパニックに陥っているデブラから位置情報や車の特徴を聞き出そうとする。しかしデブラはキンケード(Kinkead 大通りの名前)の端の方で近くには集合住宅がある、とは答えられるものの、詳しい場所までは把握出来ていない。
「配達で担当しているエリアなのだから、少しは検討がつくでしょう?」というドナからの言葉に対し、今日は洪水で普段の道が使えず、よく知らないルートへ入り込んだから分からないのだ、としかデブラは述べられない。ろくに分からない場所で、泥色の洪水に飲まれきった車内に閉じ込められ、完全に恐慌状態へと陥っていたデブラが自身の位置情報を正確に説明出来るわけはなかった。
通話記録におけるデブラの発言のほとんどは泣き叫びながらの「助けて欲しい」「怖い」「溺れ死んでしまう」「死にたくない」などなど死に直面した人間の悲痛な叫びで占められている。
それに対し、ドナは至って冷静に「落ち着いて」「あなたは死なない」「あなたが溺れ死ぬことはない」と返す。そう言われたところでまさにこの瞬間も車内に水が流れ込み、たった今溺れ死そうになっているデブラが安心できるはずはない。ドナからの言葉に反して泣き叫んでしまう自分についてデブラは何度も何度も謝る。「ごめんなさいそれでも怖いの、死にたくないの」と。この様からは、きっと普段のデブラは慎ましく人の良い性格だったのだろうというのが読み取れてしまい、あまりに痛ましい。またデブラはずっとMa’amとつけている。言わばずっと敬語で話しているのである。
ドナは得られた少ない情報から「この辺りか?」などと具体的な住所などを挙げるが、やはりデブラは土地勘のなさとパニック故に、キンケイド通りについてと集合住宅についてしか返すことが出来ない。ドナは分からないものの大体のあたりをつけ、警察官や消防士を手配し、デブラにも「彼らが助けてくれる」と伝えている。しかし、結局のところ救助は間に合わなかった。
ドナの具体的発言
全体的に冷静、悪く言えば冷淡に聞こえるドナの話ぶりであるが、トーンだけでなく個別で取り上げられ批判されている発言がいくつもある。しかし、救急通報の受け手の一般的なトーンや言葉選びの実情を僕はよく知らないし、実際どれだけ不適切なのか正直よく分からない。とりあえず僕個人が聞いてて印象的だった会話を取り上げてみよう。
5分30秒頃、「怖いのは分かるが、私はここで椅子に座ってる以外何もできない」とドナは述べている。確かにそうだが、とは言えそれを相手に言う必要があるのかという気もする。
8分30秒頃、「パニックになっても酸素を消費するだけだ」とドナは言う。これまた事実ではある。
続けて、携帯が濡れてダメになっちゃう、と言うデブラに対し、「携帯の心配をしてるの?死にかけているから泣いてるんじゃないの?」と言う。うーん。
車に火がつくかもしれないと言うデブラに対しては、「水の中にいるんだから火はつかない」と返している。
9分45秒あたり、「一緒に祈って欲しい」と頼むデブラに対して、ドナは返事をしない。聞こえてるか?と加えて聞かれて、一言一句聞いていると返事をし、一緒に祈ってはあげない。
11分あたり。ヤバめな発言たちがこの辺りで連続する。
「これで勉強になったでしょう、これからは水の中で運転しないことね。」
ハマるまで気づかなかった、というデブラに、「水は急には現れない。」
水の高さはどれぐらいか、というドナの質問に対し、自分より高いと思う、と答えたデブラ。それに対してドナは「そうは思わない。あなたは1メートル足らずじゃないんだから大丈夫。」
13分頃。デブラは、救助隊は自分を家まで連れてってくれるかしら、と聞く。家にペットがいるから帰ってあげなきゃ、と。パニックで物事の順序がおかしくなっている様の典型だ。これにドナは分からないと答えている。
14分40秒あたり。これもヤバい。デブラが「私を見ている人たちがいるのに、何もしてくれない」と嘆く。ドナは「あなたに関しての通報が色んな人から来てる。彼らは何もしてないわけじゃない。〜 彼らは自分で危険に突っ込んだりしない、だってあなたは自分で危険に突っ込んだんだから。」
さらに、「もう雨が降ってるときにこんなことしない」というデブラに対し、「それはいいアイデアね」と返す。うーーーーん……。
16分30秒頃、デブラは水がもう首まで来た、と言っている。続けて、ドナが辺りをつけたエリアに救助が到着したようで、ドナは「あたりに人が見えないか」「消防車のサイレンは聞こえないか」と聞いている。デブラは水がうるさくて聞こえない、と答えている。
19分ごろ、ドナが笑いを堪えきれなかったかのような声が聞こえる。
さらに1番取り上げられている部分、パニックに陥って喚くデブラに対し、「デビーさん、黙ってもらわなきゃいけません(“Miss.Debbie, You’re gonna have to shut up”)」とドナは言う。ここは本当によくよく叩かれている。やはりShut upという言葉はキツいんだろう。
続けてドナはデブラに対し怒鳴ってもいるし、さらにはこの前後で「消防隊いないの?ホントに??(“No fire? Are they really??”」と口にしてるのがデブラ側にも聞こえてしまっている。
そして22分、車が流され始めた!とデブラは言っている。そしてその直後、「息が出来ない!(I can’t breathe!!!”)」と金切り声でひたすら繰り返し、通話はそのまま途切れる。電話が完全に水没してしまったのだと思われるが、もしこの推測が正しければ、我々はデブラのまさに死の瞬間を音声として参照出来ていることになる。その声はあまりに必死で、ここだけ切り取ればふざけているようにさえ聞こえかねない。現実離れしている。
通話が途切れたのは通話開始から22分半ほどの時点、午前5時頃。
そして警察と消防がデブラを車から引っ張り出し、心肺蘇生法を施したのはそこから約1時間後だった。
事件後の展開
炎上に至るまで
https://floodlist.com/america/usa/flash-floods-arkansas-august-2019
この記事の記述などを見るに、この日フォートスミスで命を落としたのはデブラだけだったように見える。だからなのかは分からないが、警察の彼女への対応が適切だったのかどうかが強い関心を集めた。それらの要望に押し負けたフォートスミス警察はデブラとドナの通話内容を公開。その結果、当然というか何というか、一地方でのあるひとつの悲劇は全国レベルの炎上案件へと至ったのである。
人々の怒りに反して、ドナはこの一連の対応について処罰を全く受けなかった。二週間前の時点で彼女はこの仕事を辞めることが決まっており、これが最後のシフトで、この通話が彼女の最後の仕事だった。だから適当な仕事をした、と推測する人もいる。
処罰がないことに関して、フォートスミス警察の責任者は会見で、
「既にここで働いていない人物を私たちが処罰することはできない」
と回答し、「最後のシフトだから手を抜いた」説を強化してしまっている。加えて、既に職員でないから罰せないというだけでなく、
「我々はより良い対応をすべきではあった」
「生きるか死ぬかの状況かに関わらず誰に対してであれ、(責任者として職員には)ああいう受け答えをすることを望まない」
としつつも、
「たとえ彼女が退職しておらずとも、(ドナは)仕事を続けることが出来ただろう」
「彼女は法律上の違反は犯していない」
「内部規定上の違反も犯していないだろう」
とも回答していて、そんなバカなと不満を買っている。
炎上初期のコメントには、「こいつは名前を公表されるべき」というのも確認できる。このコメントが不正確なものでないのなら、メディアか市民によって特定されてドナの名前は晒され広まったのだろうか?ここはよく分からない。しかし後述する警察の内部調査報告ではドナの名前が出ているので、警察側も何にせよ秘匿は諦めたものと思われる。
ドナへの処罰は無し、という警察の対応を受けて、市民の怒りは爆発、『ドナ・レノーを投獄せよ』というオンライン署名にまで至った。
余波など
デブラの義理の母はこの事の顛末に心を病み、事件から三週間後に亡くなってしまった。義母は当該新聞のこの地域における配達の管理職であったということで、デブラの悪天候下での配達の強行に責任を感じざるをえない立場でもあった。
事件から4ヶ月後にフォートスミス警察による内部調査の結果が公表された。そこでの記述も、
「オペレータの対応に職務上の怠慢を示すものはなかった」
「危機的状況において、とりわけ相手がパニックに陥っている際、厳しい物言いや命令口調になる事、声を荒げる事は頻繁に起こりうる」
というもので、怒り狂った市民にとっては不可解な内容であった。
また報告書にはレノー本人の発言として、
「いくつかの発言や、もっと親切で寄り添うような接し方が出来なかったことは後悔している」
「だが厳しく聞こえる発言の多くは、デブラから必要な情報を聞き出すためのものだった」
等々と紹介されてもいた。本心かもしれないが、しかし同時に如何にもそれっぽく見える弁明で、これでは人々が納得するはずもない。『投獄せよ』署名の賛同者は未だ増え続けている。彼女が許されが訪れるとすれば、それはいつかも分からぬ先のいつか、事件が忘れ去られるその先になるだろう。
他の情報の整理、私見
デブラの死、ドナの対応、その後の炎上についてよく取り上げられている要素は大体書いたように思う。ここからは僕なりの感想である。
私刑、晒しについて
人々はドナに憤っており、それが大多数の意見であるように見える。この事件とその結末は事実ひどく痛ましい。デブラの最期は哀れという言葉では不十分だ。また確かにドナは態度がクソ悪かった。擁護のしようがない、皮肉、嘲笑としか取れない、「なんでそんな言い方すんの?」と頭を抱えてしまう発言がいくつもある。だからドナを叩き、罰を受けろ、罪に問われろ、と怒る人々の気持ちもまぁ理解出来る。
しかしそれでも、ドナが私刑を受けたりまともに生きていけないような晒され方をするのはどうかなぁと思う。怒る人々の言葉は、まるでドナひとりがデブラを殺したとでも言ってるかのような言い振りである。人を断罪するからには、その「罪」というのが果たしてどの程度事実なのか冷静に考えてみる必要があるだろう。
ちなみに正直なところ、基本原則として私刑や晒し行為はよろしくない!と僕は思っている。しかし一方で猟奇殺人鬼や性犯罪者のような再犯率の高い犯罪者が晒されるのはしょうがないよねぇ…とも思っている。つまり僕の頭と心と倫理観はゆるふわで、矛盾しまくりなのだ。だから、私刑/晒しに反対だからドナを叩くなと言ってるわけじゃあない。ドナの態度や発言は酷かった。叩きたくなる気持ちも分かる。
現場の映像
まず現場の具体的な様子を改めて、別の動画で見てみよう。
非常に視界が悪い。窪んだりしていない地面ですら膝上ぐらいまで水かさが増している。洪水というのは見た目以上に遥かに流れの勢いがある。人命救助を仕事とする警察官や消防士といえども、水辺のプロではない。この動画が始まった時点でも車の位置は分かっているがしかし近寄ることは出来ない、という状況のようだ。
続いては、フォートスミス警察が発表した時系列を確認し、救助活動、その経緯の解像度を上げ、果たしてドナにどの程度過失があったのかを考えてみたい。
そもそも間に合ったのか問題
ドナからの救急要請を受け、約3分後には消防隊が現場に向けて出発している。警察隊は、他の案件に対応中だったため、約7分後に現場に向かっている。
救助隊たちが現場に着いたのは通報から12分後。この現場というのは多分、ドナがあたりをつけた集合住宅の駐車場付近だろう。
しかしそこから12分間、救助隊は車の厳密な位置を特定出来ていない。ドナは通話の中で、「集合住宅の住人があなたについて通報している」と述べており、ならばそれらの通報者からデブラの正確な位置を聞き出せていたのでは?という疑問も湧く。この辺りもドナが職務怠慢だったと指摘される一因だ。
救助隊が到着してから9分後、救助隊はボートを現場に持ってくるように要請し、その30秒後、通報を受けてから22分程でデブラからの通話が途切れる。
林の中に隠れていた車を救助隊が発見したのは、通話開始から24分後、恐らくデブラが溺れてから2分後である。
デブラが溺れてから4分後、水のかさと流れの速さ故に普通に車に接近するのは無理だと警察は判断。ここで救命胴衣とロープの装備に着手し、救助を試みる。時系列には書かれていないが、これも失敗に終わったようだ。
ようやくボートが現場に到着したのは、ボートの要請から16分30秒、デブラが溺れてから16分後。
そこからデブラを車から引っ張り出し、心肺蘇生法を始めるまで、なんと42分かかっている。デブラとの通話が途絶えてからは58分。当然デブラの蘇生は失敗した。
この発表された時系列が確かならば、ドナがデブラに親切に思いやりを持って優しく接していたとしても、あるいはもっと早く正確な位置を割り出し救助隊に情報を伝えていたとしても、結局現場レベルでの対応が間に合わなかったのではないかと思えてならないわけである。
コールセンターはちゃんと機能していたのか問題
内部調査報告書の内容をまとめた記事からも色々なことが分かる。
この日、この時間帯に911通報に対応していたオペレータはたったの4人、しかもオペレータたちをサポートするはずの監督者はこの時間は不在だった。
そんな状況の中、3時前より1時間半強、デブラからの救助要請が来た4時40分頃までにセンターへかかってきていた要請は25本、デブラへの対応が始まってから別にかかってきたのは19本だという。それを監督者なしで4人のオペレータが捌いていた。捌かざるを得なかった。
また、警察は消防に次いで救助活動への従事を要求される立場であるのに対し、現場に出れていた警察官は9人だけだったともいう。
つまり、救助要請を受け対応を行うはずのコールセンターは、業務が滞りなく回ることなどあり得ない、完全なパンク状態だった。
ドナは無能だったのか問題
また、ドナが無能なオペレーターだったというようにも捉えづらい。報告書によると、確かにドナは洪水および流水に関する訓練を受けておらず、いわゆる鉄砲水がどれほど速く、どれほど深くなるのかを知らなかった。しかしこの点に関してもドナが怠慢故に知識がなかったとは言い難い背景がある。フォートスミス警察の警官たち自体、基本的に水難救助の訓練も受けていなければ、特別な装備も通常携行していなかったというのだ。つまり、警察組織全体で水難救助を軽視していたのである。
ドナは5年間オペレーターとして働き、新人を指導する資格までも持っていた。事件が起きた2019年8月の半年前の2月には『今年度の優秀オペレーター』(”the fire dispatcher of the year”)として表彰されてもいる。もし本当に彼女が無能であったならばこのような扱いを受けることはあり得ないのではないか。
先にも紹介した責任者、ダニー・ベイカー(Danny Baker)もドナについて、「彼女は過去5年間で数えきれない人命を救ってきた、立派な人間だ」「彼女のキャリア全体がたったひとつの出来事で定義されてしまうのはあまりに不幸だ」とコメントしている。
警察組織が一般的に、身内と組織を守るための保身工作隠蔽工作に走ることはままあるが、それは名前を公表しない、通話を公開しない等のかたちを取るものであって、名前も顔もすっかり晒された時点でもここまで褒めちぎるからには、少なくとも彼本人は上司として心からドナを評価しているとしか思えない。
指示は適切だったのか問題
位置を特定するのが困難で、特定したところで接近することが出来なかったのだとしても、ドナが「ドアを開けて、あるいは窓を開けて、あるいは破ってでも逃げろ」だとか、「車の屋根の上に登れ」だとか指示を出していればデブラは助かった、という意見もある。事実ドナは22分間、落ち着け、待て、という指示を繰り返すばかりで、他の命を守る行動を全く指示していない。これは確かに怠慢に見える。
がしかしこれもドナの責任とは言えない。上の記事によると事件当時の規定では、911オペレータは「安全な状態を保ってください」「電話を切らないでください」程度の指示出しのみが許され、危険が伴う行動を勧めることは許可されていなかったのだ。
まとめ
……というように、様々な情報を整理してみると、ドナ・レノーが怠惰で無能で職務上の義務を怠ったと結論づけることは出来ない。彼女が情報を送ることが出来たのは人員不足の救助隊のみであり、適切な業務遂行が不可能な状態にあった限界コールセンターで、ろくに知識もない分野の救助に携わることになり、ろくな指示も出せなかった。その上で出来ることはやったものの、デブラ・スティーブンスの命は救えなかった。
終わりに
ドナ・レノーの、誰が見ても分かる明確な過失は、人として最悪の態度で対応したこと、たったそれひとつである。もしデブラが助かってさえいればこれも過失にはならなかった。
どうして5年間もこの仕事に携わり、評価されるだけの結果を出しながら最後の最後でこんなクソみたいな態度を取ってしまったのだろう。ずっとこんな態度だったけどこれまでは相手が誰も死ななかっただけなのかもしれない。しかしデブラは死んでしまった。ドナが最後の会話相手になってしまった。故にドナは「死にかけの女性を嘲笑し怒鳴りつけ挙句見殺しにした」オペレータとして晒し者になり、パブリックエネミーとなった。
もし66000人の署名者の想いが結実し、彼女が裁かれることになるとすれば、その場合裁きの対象となるのは「土壇場でプロフェッショナルとしてやらかした罪」ではない。彼女が犯したのは「土壇場で人としてやらかした罪」なのであり、得てして後者にこそより重い罰が求められる。つまりこの話に教訓を見出すならば、生産性だとか効率だとか自己研鑽だとか自己責任だとか能力主義だとかその他なんだかんだと言われるが、やはり人というのは有能な悪人になるよりも無能な善人でいた方がずっと良い、ということになるだろうか。ならないだろうか。
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