終わること、祈ること - How It Ends - DeVotchKa
Hold your grandmother’s Bible to your breast
手にしたあのおばあちゃんの聖書を胸に抱き
Gonna put it to the test
結果を確かめてみるとき
You wanted to be blessed
望んできたのは祝福のみ
And in your heart
その心の奥では
You know it to be true
真実だろうと気づいてる
You know what you got to do
為すべきことは知っている
They all depend on you
ただきみだけにかかってる
And you already know
そうしてきみはもう分かってる
Yeah, You already know
そう、きみはもう分かってる、
how this will end
どんな終わりが待ってるか
There is no escape
逃れる術は何処にもない
From the slave catcher’s songs
主の元へと連れ戻す歌が響き
For all of the loved ones gone
去ったすべての愛しき人々に
Forever’s not so long
永遠はそう長くはない
And in your soul
そのきみの魂の奥に
They poked a million holes
空いた穴は数え切れない
But you never let them show
でもきみ以外は誰も知らない
Come on, it’s time to go
でもほら、さぁもう終わり
And you already know
そうしてきみはもう分かってる
Yeah, You already know
そう、きみはもう分かってる、
how this will end
どんな終わりが待ってるか
Now you’ve seen his face
ついにきみはあの方に謁える
And you know there’s a place in the sun
そしてあの陽の光の中にある場所で
For all that you’ve done
報いられる君の為したすべて
For you and your children
きみときみから生まれた子らのため
No longer shall you need
もはやもう必要はない
You always wanted to believe
信じる以上に望んできたものなんてない
Just ask and you’ll receive
ただ求めれば与えられるに違いない
Beyond your wildest dreams
希望が馬鹿げていようと関係ない
And you already know
そうしてきみはもう分かってる
Yeah, You already know
そう、きみはもう分かってる、
how this will end
どんな終わりが待ってるか
You already know
きみはもう分かってる、
You already know
きみはもう分かってる、
You already know
きみはもう分かってる、
how this will end
どんな終わりが待ってるか
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『リトル・ミス・サンシャイン』で使われていて、全編にもこの曲のアレンジやなんかがたくさん流れている。いわばテーマ曲として置かれている形だ。
この作品は、大人になってから観た中でも最も印象深い作品のひとつだ。こんな風なコメディが、ドラマが、誠実さが映画にはあるんだ!と感動した。
しかしあの作品とこの曲をどう絡めて捉えることが出来るかというのはしない。(たしか)この曲の方が先だし、『リトル・ミス・サンシャイン』語りを始めると、好きすぎてただの『リトル・ミス・サンシャイン』語りになってしまう。
死の受容についての歌だ。キリスト教の色が濃い。そういうキリスト教的文脈でしか捉えようのない部分もある。
とは言え、人生というものに何かを期待し、出来れば人として良き人間でいたいと願いながら(良き人間でいたいと思わずとも必死に社会的成功を目指すとか)、じゃあそれらが最後の最後、報われるのか、報われたと思えるのか、という期待、そして何より不安はキリスト教と関係なく僕らにもあるものだ。そして、きっと報われないしどうしようもない、死は単なる現象で、死でしかないと何処かで知ってしまっている。
その上でそれでも報われて欲しいと祈ってしまう。どうやっても、死は、終わりは、来てしまうのだから。
死と限定せずもっとシンプルに、終わり、とだけ捉えて歌の情感を感じることもできる。友情の終わり、恋愛の終わり、家族の終わり。これらもまた何かしらの死であることに変わりがないからだ。
そしてそれらも、大して報われるわけじゃない。ただ終わっていくだけだ。エントロピーの法則に従って、あらゆるものは終わっていき、散らばっていく、そういう風にこの世界は出来ているのだ。そういうものなのだ。どうしようもない。そういう風に出来ているのだから、もう、どうしようもないことなのだ。こんな風に、あらゆる「死」について思い悩み、涙するしかないぼく自身も、この意識も、いつかはすべて消え去り、何にもなくなるのだ。大したことじゃない、大丈夫。
そうは思っても、そうは分かっても、祈ることはやめられない。あらゆるものが剥ぎ取られていき、失っていく一方の人間に、人生に最後まで残されるのは祈りだ。僕らは祈り続けるように出来てるのだ。報われないとは分かっていても報われて欲しいと祈るしかないようになっているのだ。ひとつひとつ、出来ることは失われていく。ひとりひとり、誰かはそばから去っていく。それが存在というもののあり方であり、存在が辿るあらゆる道、そのあらゆる道の総体としての人生なのだ。ただ祈りだけが失われない。その祈りが報われるかは全く別だとしても、でも祈りだけはそこに残る。