見出し画像

『縄文人も恋をする!?54のQ&Aで読みとく縄文時代』読了📖

一問一答、読みやすい!
ゲーム実況ならぬ、読書実況(読みながら書く)で備忘録😙

Q:外国にも縄文時代はあるの?
A:縄文時代は日本の歴史上での時代区分。ゆえに日本のみ。外国では新石器時代前期などとなる。
Z(雑感):縄文時代と書かれているものは日本の歴史か。その時代の生活様式や考え方は、まんま日本人の元になってるということなんだ。

Q:昔の年代ってどうやって測るの?
A:大気中にある通常の炭素原子以外に炭素14が1兆分の1の割合で含まれていて、それが窒素に変化し半量に減るまだ大体5730年。発見された人骨の炭素14の残量を測定することで何年前に亡くなったか推定できる。
Z:なるほど。ちょっと疑問だったからスッキリ。今ではもっと精度があがったるんだろうな〜、なんか感動😌考古学っていうと文系なイメージだけど、理系の知識もがっつり大事なんだ。

Q:縄文人の特徴は?
A:顔高が低く、丸顔。彫りが深く鼻が高い。エラが張っている。眼窩が四角でやや目尻が下がる。眉上弓は直線的。歯の噛み合わせが爪切りのよう。小柄だが体つきはたくましかった。最新の研究では成人男性で162㌢程度。
人骨からは太っていたか痩せていたか、一重まぶたか二重まぶたか、ヒゲが濃かったかはわからないが、縄文人と遺伝的に近いアイヌの人々をモデルとして復元想像し、図化している。
Z:鼻は高くないけど、だいたい当てはまる…確実に縄文人のDNA入ってる😅

Q:縄文人はどんな服を着ていたの?
A:完全な縄文時代の衣類の出土例はまだない。しばしば土偶の形状や文様が参考にされる。縄文時代には祭祀が発達したので、普段着の「ケ着(けぎ)」と、特別な時用「ハレ着」があったと推定される。
Z:きゃー、土偶ちゃんが大活躍ね🧡ケ着とハレ着があったなんて、人間ってやっぱ美的センス、半端ない!

Q:縄文人の一生ってどんな感じだった?
A:少しでも生きながらえた赤ちゃんは、土器の棺桶の中に入れて埋葬された。土器は母体の象徴、母体に戻しすみやかな再生を願ったようだ。無事に成長した子供は、2歳前後に離乳し集団生活に参加。幼児期以降、しだいに男女別のグループで行動。男性はだいたい16歳頃遅くとも18歳頃、女性は第二次性徴の発現で成人儀礼が執り行なわれ大人に。成人儀礼の一環として、地域や時期によっては、上顎左右の犬歯を抜歯した。儀礼以後に結婚、出産。
妊娠痕のあり方は北海道6割、岩手・福島5割、愛知2割、岡山1割と、北から南へ行くほど低くなった。これは北海道の方が厳しい環境で集団の安定的存続のために多産の必要性があったのでは。地域によって出生率が違うのは興味深い現象。
縄文時代の社会には、男女という性別区分や身内とヨソ者という出自による区分、大人と子供の区分や年齢段階による細かい区分が存在。区分に基づき、この耳飾りはつけていいけど、この首飾りはダメ、というような装身具の着装原理があったと推察。みなで仲良く暮らしていたというイメージがいるが、意外としきたりやタブーがあって行動が制限されるややこしい社会だった。
Z:あら?平和なイメージが少し崩れたよ😢

Q:縄文人は恋愛結婚だった?
A:人を愛することはあったはずだが、集団が消滅しないように他集団から結婚相手を求める外婚制が有力。集団を無視して本人たちの意志のみでの自由な結婚はまずありえなかっただろう。一夫多妻婚が存在した可能性は高い。フリーセックスは回答しがたいが、社会的承認なしでは何らかの制裁を受けただろう。
Z:自由結婚は、ごくごく最近のこと。今年の大河ドラマ、平安時代だけどこのときも結婚はそれほど自由ではなかったし。生存率が低かったり、階級的な考え方が多分に影響してるだろうけど… 人間ってなんか大変😓

Q:縄文時代にも戦争はあった?
A:戦争の定義次第ではあるが、集団間における激しい争いがあったという説と戦争がなかったという説の両方がある。攻撃によって受傷した人骨数が1%にも満たないとはいえ、殴打による鼻の骨折、石斧による一撃で頭蓋に穴があいている受傷人骨が一定数存在する。縄文時代にも集団間や個人間における衝突と暴力はあったと考えざるをえない。
Z:大規模な争い、戦争はなかったとしても、受傷人骨という証拠があって、人間同士の争いがあったのは非常に残念😭勝手に平和な暮らしを想像していたからショックは大きい。でも、事実を受け止めて、未来の人間社会はどうあるべきかを考えなければ。同じことの繰り返しでは大きな脳みそを持っている意味がない。

Q:土偶は植物や貝の精霊を模したものだと聞きましたが本当ですか?
A:男性原理に基づく呪術具に石棒、女性原理の象徴の代表例が土偶。土偶が人間の女性をイメージして製作されたという点は、まず動かないだろう。土偶をことさら植物や貝の精霊のみに引きつけて理解することは難しいし、多くの考古学者はこの説を否定的に捉えている。
土偶は、新たな生命を生み出す象徴として、そして新たな生命が与えられることによって解決できると思われたことすべてに対して、呪術的な形式として用いられたと考える。
Z:なんだって!?先日読んだ本の説、思いっきり否定されてる💧どの時代も諸説あり、なんだな。それだけにいろいろな想像ができてロマンがあるんだよねぇ…😚

Q:縄文語ってあったの?
A:縄文人は私たちと同じ現生人類だから、当然言葉を話していたと思われる。おそらくはしっかりとした文法があり、動詞や形容詞などさまざまな単語もあっただろう。
Z:文字はなかったのかな?文字があれば、もっと縄文時代のことがわかっただろうに😆

Q:縄文時代の弓矢の名人はどれくらい遠くから獲物に命中させることができたの?
A:ずばり、わかりません。世界各地の狩猟民の人々に「弓矢や槍の名人とは、どういう人ですか」ときくと、「獲物に気づかれないようにできるだけ近くまで近づいて射ることができる人」と答えるそう。狩りは獲物をとってなんぼのもの。遠くの的への命中率が狩りの優劣ではないのかも。
Z:より実用的な考え方は、今大切かも。今日も雨の降り方がおかしいし、地球規模の課題解決が急務だなって感じる。縄文人も含めて脈々とつながってきた命、地球がなくなって終わり〜にしたくない。

Q:縄文時代を知るために訪ねておくべき縄文遺跡や博物館はありますか?
A:日本全国にはすばらしい縄文遺跡がたくさんあるし、博物館も数多くあって悩むが、いくつかご紹介。
「国立歴史民俗博物館」
日本の歴史と文化について総合的に研究・展示する博物館。縄文時代の展示は、私が展示シナリオの作成、演示を行った。実物資料に加えて精密な複製品や学問的に裏付けられた復元模型などを積極的に取り入れ、第六回展示学会賞を受賞。
Z:おっと、自慢が吐露😚でも、確かに素晴らしくリアルだった。なんと言っても、この博物館の土偶たちをみて、私は縄文に興味をもったのだから!

わくわくしかない幻想的な入口
人間の歴史、はじまるよ
展示序盤ですでに心鷲掴みにされる…かわいさ爆発🧡

他にもいくつか紹介されてた中で、一番家から近いところは
「釈迦堂遺跡博物館」山梨県笛吹市
遺跡群からひじょうにたくさんの土器や土偶が出土していて、そのうち5500点あまりが重要文化財に指定。
5500点ってそれだけでも数多いのにもっとあるってこと!?今度行ってみよ😃

各地の代表的な縄文遺跡マップ

いろんな土偶に会いにいくぞっ!!
本やネットでいくらでも見れるけど、実物を見ることに意義があると思ってる。なんでもそうなんだけど、対峙することで感じるパワーみたいなものがあって、私はそれを大切にしたい😊

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集