九、入党
戸山ヶ原の畑仲間から、共産党に誘われた。
「資本論」のゼミナールで学んだ理論を、実践に移すときだ。そのために、仕事も辞めた。でも、踏ん切りがつなかい。
監獄にぶち込まれるかも。食うに事欠くことになるかも。俺みたいなへなちょこに務まるか?両親は、どんな顔をする?
だいいち、今の共産党の極左的な方針には賛同しかねる。党内も分裂している。マルクス、レーニンを超える理論は未だ現れていない。単なるシンパに留まっておくべきでは?
兄なら何と言う? 兄なら…「ベストを尽くせ」と言うだろう。
「俺にはわからん。ただ、お前が思うベストを尽くせよ。」
そう聞こえた気がした。
今の党は何だ?机上の空論、意地の張り合い、分裂に次ぐ分裂。虫けらのように扱われてきた労働者のための世界をつくるんじゃないのか?そんなことだから世間の目が冷たいんだ。でも、だから…だからこそ…そんな逆風の時代だからこそ、やる意味があるんじゃないか?
党はいずれ必ず正しい方向に収斂する。やってみよう。仲間の推薦を受けて、入党した。
一月後、党が発行する新聞の事務局の仕事に就いた。
新聞社をレッド・パージで追われた元部長。
「ぼくが古巣の新聞社の前でビラを配るとね、皆んなお辞儀して受け取るんだよ。」
大きな体をゆすって笑う。
コンクリートむき出しの薄暗い事務局。
小さく派手な下着が窓際ではためいている。俺を誘ってくれた畑仲間の奥さんのものだ。手伝いで出入りしている。何もこんなところに干す必要はないだろう。見て見ぬふりをする。
この建物には色んな人が出入りする。大学教授、東大生、著名な女性活動家。活動家さんは東大生君と同棲しているらしい。結構な話だね。
部屋は暗いが人間関係は明るい。ただ、ふっと妙な雰囲気を感じることがある。俺の知らないところで事が動いている。
「ご苦労だが君、留守番頼むよ。」
そう言われて一人居残った、皇居前の大規模なメーデー。デモ隊が警官隊と衝突し、相当の怪我人が出ている。ニュースの速報で知った。二人が拳銃で撃たれ死んだ。
事務局が吸収合併されることになり、俺はあっさりお払い箱になった。収入が無くなるが、党員としての活動は続く。
百人町の家で毎晩開く細胞会議。分裂に分裂を重ねる我が共産党。
議論が沸騰して深夜に及ぶが、さっきからずっと空転していることに誰も気が付かない。実践あるのみ。行動あるのみ。
そう言うが、俺たちはどこに向かっている?
深夜零時を回ってから、糊を入れたバケツを持って、ポスター貼りに出掛ける。前後に見張りをつけ気を付けて歩く。
夜も更け深閑とする戸山ヶ原。真新しい都営アパートがぼんやりと建っている。郵便受けにビラを入れる。
俺はここで百姓をしていた。
つい、この間まで。
百人町は交通の便が良い。
「アカハタ」の支局長が寝泊まりするようになった。玄関脇の三畳。台所のフライパンを我が物顔で振るう。専従の安い手当てで買える材料じゃあ、野菜炒めがせめてものご馳走だ。
「今晩厄介になるよ。」
党の最高幹部の一人が泊まりに来た。試しに議論を吹っかけてみる。軽くあしらわているのが良くわかる。
翌日、私服警官連中がぞろぞろやって来る。家宅捜索だと言う。理由も言わない。そこら中引っ掻き回し、本や書類、メモ類に至るまで洗いざらい持って行った。
生活資金が足りない。
税金を滞納し、執達吏が来る。家財道具を持ち出す。
家具屋だった兄が作ったタンスを運び出すとき、父が手伝った。
何故そんなことを?呆れる俺と目が合う。何一つ、非難がましい表情をしない。
浪々の身で正月を迎えた。
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