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一、東京

1945年、8月。

焦土と化した東京に残ったのは、帰るべき田舎を持たない者だけだった。

俺もその一人だ。田舎では食えなくなって、見切りをつけて一家で出てきた。帰る場所なんか無い。

人形屋。それが俺たち家族が光明を見出した商売だった。起き上がると目が開いて、横になると閉じる。小さな漁村でいろんな商売を立ち上げては畳んだ父が、東京で始めたのはそんな人形をつくる店だった。

洋風の出立ちが当時珍しく、よく売れた。子どもだった俺は自分の背丈ほどもある工業用ミシンで彼女たちのパンツを縫った。

店の名は、布帛(ふはく)人形研究所。母が名付けた。

「製作所ちゅうより、研究所ちゅうほうが、信用つくでのん。」
母のいつまでも抜けない田舎の言葉は、漁村の海を思い出させる。三浦半島の海岸にへばりつくようにしてひっそりと生きる村。裸の婆さんが腰まで海に浸かって、夕陽を見ていた。

両親と姉と俺。一家で休まず働いた。

卸を通さず直接小売店に売った。自転車の荷台いっぱいに積んだ人形。ふらつくハンドルを懸命に押さえた。

浅草寺仲店通りの玩具屋。「ちわー、毎度ありがとうございますー。」裏口から精一杯の愛想で呼びかける。

俺たちより先に上京していた兄は、家具屋で住込みで働いている。忙しい合間を縫って、時折住込み先から夕飯を食べに来る。母がいつも心底喜ぶから、父も俺もつられて嬉しい気持ちになる。兄は人の話を聴くのが上手い。人を安心させるのが上手いのかもしれない。

やがて戦争が始まって、俺が通う商業学校でも軍事訓練が始まった。

「最近、授業は殆どやらなくなった。毎日訓練、訓練だ。」
裸電球が眩しい。兄は黙って聞いている。

「この間は、生徒全員軽井沢に連れてかれてね。訓練だって言うんだよ。土砂降りなのに宿舎から引っ張り出されてね。今からここで匍匐前進しろ!って言うんだよ。銃剣なんか持たされてね。それから敵陣に突っ込む訓練もした。教官が行けッ!と号令したら、皆んなでワーッ!と叫んでね。その時ふと、これが実戦だったら、と思ってね。背筋が寒くなった。」

「兄さん、聞いてる?」
兄は、黙っている。

初めての空襲で、家のすぐ近くの化学工場に爆弾が落ちた。鼻を衝く臭気が漂い、植木が黒ずんで枯れた。あの工場では毒ガスを作っていた、そんな噂が流れた。

隣組の防空訓練が毎日行われる。防火水槽の水をバケツで汲む。そいつを手渡しでリレーして火元にかける。

「こんな事して意味あるのかって、皆んな言ってるよ。なぁ、兄さん聞いてるの?」
兄は笑って、意味なんかないさ、と言った。

身長156センチ、体重46.5キロ。小柄だが、胸囲は82.5センチと逞しい。故郷の海で泳ぎ鍛えている。そんな兄は徴兵検査を難なくパスした。赤紙は直ぐに届いた。

母は心底泣いた。三人の子を幼ないうちに失くし、長男同然だった兄。「何れは」と心を決めていた。それでも、辛い。

「近所に何を言われるかわからないから。」
兄は笑って発った。最後になるかもしれない息子の姿を、父はただ凝視していた。

そんな兄はビルマに転戦した知らせを最後に、行方がわからない。母は生存を頑なに信じている。

赤紙は、程なく俺にも来た。



戦争に負けて酷寒の満州から命からがら東京に帰ってきて、驚いた。

空襲から起こる火災を抑えるために、俺たちの家は引き倒されていた。残った家も、大方燃えて無くなっている。両親と姉は助かり、荻窪のドブ臭い仮の宿に逃げていた。

東京が大空襲にあったことは知っていた。「たのむ生きていて呉れ」ただそれだけ願っていた。

しかし…。これが東京か。
そこにあったはずの家々の、炭化した残骸。未だ煙の臭いがする。まとわりつく土埃。

俺たち一家が駆けずり回って、一つずつ築き上げてきたもの。

店はもう無い。家も無い。東京が、丸ごと無くなってしまった。兄は、どこへ行った?

お国のために、家族のために。すべて、空虚に思えた。

怒りのぶつけどころはどこにも無かった。ただ、耐えた。

俺たち家族には、どこにも帰る場所が無い。この東京で、やっていくしかない。皆んなすべて失った。皆んなゼロだ。やるしかないだろう。よーい、ドンだ。

人形屋はもうダメだ。材料が無いし、そもそも買い手がもういない。仕事をみつけなければ。こんな仮住まいの小屋は早く出たい。市ヶ谷の高台にある復員局に飛び込んだ。

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