十一、労働
民商(民主商工会)の書記の仕事に就いた。商店や町工場の経営や税金の相談、記帳指導などをする。自宅の一部を事務所として提供した。
「親父さん。やってますか。」
中華そば屋の調理場の暖簾をくぐる。
親父が出てきて、包丁を俎板に突き立てる。
「青二才に、何がわかるんだ?」
背筋を寒くして退散した。分別臭く”指導”しているが、俺は世間のこと、この親父のこと、何にも分かっちゃあいない。仰る通り。青二才だ。
収入は僅か。ともえが学習テストの採点の仕事を始めたが、すぐに家計が底をついてくる。
自宅の一部を売ることにした。山梨県出身の男がここを買い、連れ込み旅館を建てると言う。
両親は何一つ嫌な顔をしない。建替え工事の大工たちと仲良くなって、仕事を手伝っている。工事にちょっと手違いがあると、ともえがきつく注意する。結構勝ち気なんだねえ。
我が家の玄関は連れ込み旅館になる側にあったので、一家の玄関を新たに作った。大工がちょっと洒落っ気を出す。格子戸の冠木門、門冠りの松、竹の目隠しを嵌め込んだ塀。
「お部屋、空いてますか。」
深夜、そっと尋ねてくるカップル。お宿は隣だよ。
中華そば屋の一件が、気になっている。分別臭く指導するのはもう沢山だ。俺は”労働”を、頭じゃなく体で理解しなくちゃあいけないんだ。
自宅で開く毎晩の"細胞会議"にも、嫌気が指してきた。俺たちがな、党員諸君。俺たちが毎晩こうして議論を戦わせていたってな。労働者の生活は一つも良くならないんだ。
企業で組合を作ろう。それも大企業じゃあ駄目だ。理論の実践。これを地で行くなら、自前で組合を作るやり方を知らないような、本当の労働者たちの中に入っていかなければ。
党の仲間に相談した。文京区のガラス製品製造の会社にツテがあうと言う。発送課の仕事に就いた。俺ももう三十歳。ここらでそろそろ、一つ仕事を成さないとな。
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