『無境界 2020年2月15日 夜』
明日からは、また山形に自然に触れに行くので、今日は家で家族と一緒に過ごした。掃除をして、食事を作って、食器を洗った。午後からは二人が居なくなったで、パワハラ防止の指針に基づく、パワハラ研修のテキストを作成した。以前に比べて、焦らず自分のペースで仕事ができていると思う。
1.無境界
無境界とは、自分(主体)と現実世界(客体)の境目がなくなるのかと思っていたが、何となく自分(主体)が溶解してなくなっているのだと体験し始めた。
いつかは有名になれるのではないかと妄想が完全に否認されたことより、ああこれで良いのだという諦めとともに、こだわりなどもなくなり、完全に現実に身を任せられる感じになった。
別に不都合もなく、毎日が流れていくので、少し不思議な感覚である。
逆に、自分しかしないことが分かり、相手からサポートを求められても、相手に何かをしようとする必要なく、自分軸でやりたいことをやることが現実に影響することが体感できた。
2.過去と未来は人間の妄想(メルマガ用)
1月5日に、時間の概念は人間が作り上げたものということが体験できた。これをそのままメルマガにするのは表現が難しい・受け取りにくいので少々受け取れる表現で書いてみる。
「過去と未来は人間の妄想」だと理解できると、人は自由になれると感じたので、今回は時間について考えていることをお伝えします。
昨年、カルロ・ロヴェッリという物理学者が書いた「時間は存在しない」という本が日本語に訳されています。彼は、一般相対性理論と量子力学を統合する、量子重力理論の専門家だそうですが、僕はこの本を読んでいません。
物理学と言うより、僕の表現で「過去と未来は人間の妄想」を表現してみたいと思います。
まずは、過去から解説したいと思います。
自分が過去だと思っていることは、「事実」でしょうか?現実だと人が認識していることは、「事実」と「解釈」に分けられると言われています。つまり、「事実」だと認識していることには、必ず「解釈」が入るということです。
私は、過去だと思っている記憶は「解釈」の塊ではなないかと思っています。つまり、過去とはその人固有の「物語」だと言えるでしょう。よって、集合体として「過去」という共通の事実はないように思えます。
次に、未来ですが、皆さんも未来を想像していると思いますが、どこの起点から想像しているのでしょうか?それは、自分が過去の事実だと思っていることをベースに、論理的にこうなる可能性が高いと認識したものが未来になると考えています。
過去がその人固有の「物語」だとすると、未来もその人固有の「物語」だと言えるのではないでしょうか?
過去も未来も「物語」だとすると物語の世界に没頭するのは、もったいないですね。
人は1日に6~7万回思考するそうです。そのうちのマイナス思考の割合は80%だと言われています。つまり、1日に5万回マイナス思考をしているのです。しかも、95%は前日・それより前に考えていたマイナス思考を繰り返しているそうです。 このマイナス思考が「過去と未来の物語」ではないかと思っています。
つまり、思考の80%が単なる妄想でしかないということです。この80%をやめることができれば思考の生産性が上がると思います。
では、どうしたら良いでしょうか?現実世界に生きる、今を感じるしかないように思います。過去のトラウマを手放し、未来に憂いから離れて、ただただ生きることが自由になるための方法ではないかと思っています。
会社の時間に過去と未来という概念をなくしたら、どうなるでしょうかね。
納期という概念がなくなる。
会議も意味がなくなる。将来に向けて、決めることもなくなる。
方針・計画ももちろん不要である。
会社は成り立たないと思いますが、今の仕事に没頭できて何となく楽しそうですね。