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小説『予測不能の1秒先も濁流みたいに愛してる 』を読了したのですが

ミュージシャン 黒木渚 の小説『予測不能の1秒先も濁流みたいに愛してる 』を読了したのですが

想像力の範囲内の青春小説だと軽く読んでたら、文章・展開に感情移入させられ鼻の穴から手を突っ込んで脳味噌ガタガタ言わされ吐いた(実際、吐いた)

「予測不能の1秒先も濁流みたいに愛してる」あらすじ

誰にも話したことがないけれど、私は光と共に生きてきた。
未来について想像するとき、私の頭の中には必ず白い光のイメージが浮かぶ。
眩しくて白いーーあの光はスポットライトか、それも彼か。

音楽を始める動機なんて、不純だっていいじゃないか!
高校二年の「シッポ」は中学時代からの片思いの相手、森園太陽に接近するために軽音部に入る。
好きな音楽はパンク、好きなバンドはクラッシュ、セックスピストルズ、ダムド、ニルヴァーナ……これ、全部嘘。

だけど太陽に近づくためにシッポが周到に用意した「設定」は、徐々に彼女の中にあった「音楽の光」を捉えて、追い越していく。

音楽家兼小説家・黒木渚が初めて描く青春と音楽。
青春はエゴイスティックで汚くて、生々しい。それでも眩しい一瞬の光だ。


黒木渚公式サイトより

Webサイトでのあらすじを見たり、各メディアでの発言で「自身の中に青春が残っているうちに掴み取り落とし込んだ”」、「不純な動機から音楽を始めた主人公がどうなっていくか」、「どろどろとした人間関係を描いた”と公表していたので、物語は予測可能な内容で進んでいったんです。

集め過ぎた前情報のせいでありきたりに感じつつあった青春小説は、(もとより彼女の作品は読み易いが)幾作品かの発表を経て、より読み易くなった文章と、彼女の音楽作品を漂わせる表現を見つけようとするミーハーな心、そしてファン目線の評価の底上げと嚙み合って、みるみる残りページ数を減らし、

途中から行き馴れたチェーン店に入り、一番奥の座り慣れた席で、ブレンドとモーニングを注文しつつ読み続けたのです。

物語は変わらず予測可能な範囲のいくつかの転換を過ぎて、終息に向かっているように見えた。見えただけだったんです、黒木渚を甘く見ていたんです。

今回の小説も “絵(情景)”が終始よく浮かぶものでした。主人公の最初の行動から、まるで手にとるように“絵“が想像できた、臨場感ってやつに近いものです。
ストーリーは「好き•嫌い」から「生きる•死ぬ」へのグラデーションを濃くしていき、それにつれて“絵”の生々しさも濃くなりました。

男性は女性より特定の対象での限局性恐怖症の惹起が多いと言われてますが、私が本作で頻繁に出てきたその対象?表現?で卒倒した経験は無かったんです。

しかし濃い情景のレバーブローを何度も叩きこまれてガードが下がっている隙に、脳味噌だけ取り出されて別世界の液体に溺れさせられたようです。

気付けば冷や汗、そして軽く眩暈。まさかとは思いました、自分が一番。インターネットで「検索してはいけない」グロ画像を見て培われた耐性なんて蹴散らされました。

でも、読み進めるスピードが収まらない、そんなちぐはぐな読みやすさ。

そして第2章の最終段落の、初めの鍵括弧を見たとき身体の違和感がピークに近づきました。

予測の枠を維持しつつ、予測の情報量に身体が完全に拒否反応を示したのだと思うのですが、フィクションをはみ出てくる表現力への恐怖、古谷実さんの「ヒミズ」とかを初めて読んだ時のような感覚。

もう進んではいけないと主人公と自分の指に投げかけても止まらない。

感情移入し過ぎた。年を取ってサスペンス・ホラーもどこかで冷めて見ていた自分は偽物で、
生と死がお遊びではなく、本物を知っている作者が書いた創作の“絵“に、私の薄弱な実体は押され、内臓が飛び出しそうになっていたのです。

その時の自分の顔を見た人はどう感じたか聞いてみたいものですが、もちろん横の席に声をかける訳も、暇もなくトイレに駆け込みました。

大便器から顔を上げたあと、洗面ブースに移動して唇に残ったモーニングのゆで卵のカスを洗い流す顔は青く、病人みたいな顔色でした。

よく黒木渚はファンについてエンパス(共感力過多)が多いと言います。

自分にもその自覚はありましたが、今回は参りました。黒木渚の文章に完全に溺れた。予測可能と思い込まされ油断してました。

席へ戻った後、小説はクライマックスを越えて、読み易さは変わらぬまま最終ページを迎えました。

結びに、
この小説だけを最後まで読んだ人と、

先に音楽作品『予測不能の1秒先も濁流みたいに愛してる』を聞いて小説を読んだ人は、受け止め方が変わってくると思います。

文字だけではない。リズムや音色などを読後に受け取ることで、最終章が単純な破滅でないことが色濃く感じられると思うのです。

そういった意味では、ミュージシャン黒木渚のファンではなかったら。
小説を入り口に「予測不能の1秒先も濁流みたいに愛してる」と出会っていたほうが深く溺れることができたのではと考えてしまいました。

内容の紹介になるので書けていませんが、文学の中での音楽の活かしかたが絶妙でした。

この作品群の締めは7月の 黒木渚のワンマンライブだということは間違いないでしょう。

音楽と文学が重なり立体になることで更に1段階、受け止め方を変えられると期待しています。

【チケットe+】
https://eplus.jp/sf/detail/0942410001

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