カサンドラの妻たちへ②
簡単ながらに私の状況を説明しておきたい。
カサンドラ症候群の私の夫は会社経営者。
このため回りからの理解を得にくい状況である。
夫婦としては今年で20年目に突入した。
よくよく考えれば以前(出逢った頃)からの予兆は沢山あったのだけども、そうとはわからずに、私は相手の良い面を見るようにして、悪い面は見ないようにしてきた。
その結果、積み重なってきた皺寄せが3年くらい前に発露するに至る。
いつも自分に自信を持っていて、押しが強い部分を、出会った当初は頼もしく映ったし、言葉足らずながらに気前が良い所は空白を埋めるに事足りているように思われた。
そのようにして、悪いことも良いことと置換してやり過ごしてきたことで、3年前に思いもしないようなことが起きてしまった。
悪い部分をあっさりと見過ごされて続けてきた相手は、私の前ではいつの間にかすっかり裸の王様になってしまっていた。
それまで相手を疑うということがなかった自分には確実に欠損していた視野が出来上がっていたのだ。
その彼は既に誰の言うことも聞かず、他人との協力や共生が必要な場においても、思うがままに振る舞う暴君となり果てていた。
彼を裸の王様にさせてしまったのは他でもないこの私だ。この3年ほど、そのことで自分を責めてきた。
自分を責める中で自分がカサンドラであることに思い当たる。
何かおかしい、何か変だ。私が事を正常化しようとすればするほど、私に圧がかかってくる。彼の常軌を逸した行動を問題にしようとすればするほど私が悪者になる。理解者を探すが、良い相手なのに と非難を受け続けて、疲弊する毎日だった。
そんな中で悶々としながら、日々をやり過ごすのみだったが、ある日相手の親友から心配して電話がかかってきた。
相手の悪しき噂を聞いた親友が、一体どうなっているのか、確認のための連絡をくれたのだった。このことで私は自分の軸がおかしいわけでないことを確信するに至る。
これがなければ私はいつまでも迷宮に閉じ込められたままだったのではないかと考えられる。
だからと言って、相手ただ1人を悪者にするカサンドラ症候群と自分を認定をするのは、よくよく考えなくてはならないことであり、逆説的ではあるが、安易な認定は、一時の気の紛らわせにはなっても、何も解決しないことであることをよくよく自覚しなければならないと 今の所は考えている。
だけども相手も自分も幸せに生きていくためには、迷宮から一度は出てみる必要があると思われる。その方法の一つとしてカサンドラ症候群と認識することは、心が一時的に救われる方法であることは否定しない。
カサンドラに救われ、いつしか胸を張ってカサンドラを卒業する必要があると思うのである。
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