2020年イラン旅 遊牧民のお宅へ行くも、お腹を下して羊のベルに怯えるの巻
イランに来たもう一つの目的は遊牧民に会うことだった。遊牧民への憧れは大学生のときからずっとある。財を蓄積せず、自然(草や暖かな気候)を追って移動する暮らし。大地を敷物のしたやテントの中で感じられる、あの距離感。水平線まで、草原や自然の起伏が続く景色。中国の内モンゴルとモンゴルの遊牧民を訪ねたことはあったけど、もっと乾燥した土地の遊牧民にも会ってみたかったのだ。
イランの遊牧民のひとつであるカシュガル族。ギャッベの作り手としても有名な彼らに会うには、シーラーズからザグロス山脈まで車で5時間。ジープみたいないい車ならたぶん4時間。(未舗装の砂利っぽい急斜面をガ―って下れるのか、そろそろ~っとブレーキかけつつ下るのかの違い)
行きの車の中で、私はジャガイモのトマト炒め煮(以下、トマトポテト)をナンでつまみつつ、頬張っていた。作ったのはたしか4日前の夕方。それから長い間冷蔵庫で出番を待っていたトマトポテト。なぜ4日も間が空いてしまったのかは、ちょっと複雑なのでここでは言えないが、口に入れた瞬間、ピリッとした。唐辛子は使っていないんだけどな。うん、すごいヒスタミンっぽい「ピリッ」だったけど、トマトのさわやかな酸味ってことにしておこう。食べきれないから、残りはお昼に。(食べ物を捨てるという選択肢はない)
乾燥した街並みから、積もった雪がちらほら見える地域を抜けて、山を越えるたびに、木々が緑を取り戻していく。そのうちに、地面も緑に覆われる。
今回はジープじゃないけど、川も渡っちゃう。
時間と日差しと風雨がつくりだした、大地の模様。そこには、なんとなく、繰り返しのリズムがある。
早朝にシーラーズを出発し、目的のお宅(マルダンルー家)についたのは10:30。羊山羊の糞の臭いはするも、羊たちは外出中。
生後2日の子羊たち(犬かと思った)と1頭のロバだけがのんびり時間を過ごしている。たまにロバが啼く。残念な鳴き声とは聞いていたが、残念っていうレベルじゃない。あたり一帯に響く、ヒッともアッともつかないひき笑いに、ご丁寧に黒板をひっかくあの音が添えられている、そんな声だった。緑の草と水の流れる音、鳥のさえずり・・・ロバの叫び。ちょっと耳が痛いんですが。絵面はめちゃくちゃ美しいんだけれども。
またもや私は自分が勝手な理想(の遊牧民・風景・音)像をつくっていたことに気づかされる。内モンゴルでめっちゃスマホとfacebookを使いこなす遊牧民を見た時のような。
マルダンルー家のお母さんは、ギャッベづくりの名人。お母さんが織った山羊の模様のギャッベの上で、お昼ごはんをご馳走になる。トマト人参ライスとピクルス。(さすがに冷蔵庫なしで夜まではもたないだろうと思って、ここで残りのトマトポテトを平らげる。今思うと、普通にアウト。)
お母さんが、羊たちと出かけているおじさんに大声で「ごはんだよ」と呼びかける。おじさんと羊たちは、カランコロンとベルを鳴らしながら、帰ってくる。このベルは、一番ゆっくりな羊の首に、ちゃんとついてきてるかを知るために括りつけられている。カランコロン。私はこの音がすこぶる気に入ってしまった。
その後は、近所の死者が出たお宅への弔問に同行した。「悲しい顔をつくらないとダメだよ?その家についたら笑顔はダメ。」ってお父さんに言われるも、私は緊張すると顔が引きつって笑ってしまうのだ。マスクしていいですか。
そのお宅では、お菓子とお茶をご馳走になったが、ガイドさんが交わされる会話を通訳してくれるわけでもなく、故人のこともよくわからないので(老衰で亡くなられたおじいさん、とだけ)、案内された小さな石造りの建物の入り口からちらちら顔を出してくる7歳ぐらいの男の子と、アイコンタクトでコミュニケーションをとったりしていた。(もちろん悲しい顔で。笑顔はなし。)
永遠にごろごろはしてられるけど、じっとはしていられない私にとって、この弔問の時間は永遠のように感じられた。(ヒマだった)
その後、マルダンルー家のご親戚のテントに遊びに行く。
このテントは台地みたいな開けた土地にあった。子どもたちもいて、ロバも静かだったので、とても居心地がよかった。(自分の感触として、大人は大人同士でしゃべってるけど、子どもたちは旅行者とコミュニケーションとろうとしてくれる。言葉を教えようとしてくれたり。好奇心の違いだろうか)
おやつのきのこの串焼き。すっっごく美味しかった!
夜ご飯に、鶏を一羽しめてご馳走してくださった。血抜きはおざっぱに。内臓はレバー、ハツ、砂肝は食べるが他は犬にあげる。焚火でぐつぐつ、トマトチキンスープになる。
日が落ちてから、ランプとストーブの灯りを囲んで、みんなでテントで円になって、トマトチキンスープにパリパリのナン?を浸して食べる。沁みる。
ここのお家の女の子、ファティマちゃんが本当にかわいかったので、似顔絵を描こうとしたのだけど、全然その可愛さが表現できず諦める。イランで初めての挫折。
ずっとここに居たいなと感じながらも、帰る時間に。外は地平線まで星。
マルダンルー家の寝心地は、毛布があったかくて最高だった。ただ、明け方、お腹が苦しくなる。なんか、すごい、苦しい。ちょっと気持ち悪いかも?
あ、これはお腹が痛いんだわ。下すってやつだ。(その可能性を意図的に考えないようにしてた)
まだ明るくなりきってない早朝の草原を、安心して用を足せる場所を探してうろうろ。あ、トイレットペーパーないじゃん。これは、伊沢正名さんの提唱する「はっぱのぐそ」を実践するいい機会や!と葉っぱも探す。なんとか、お腹の限界の前に、茎の短いフキ?のような葉っぱと、大きめのオオバコみたいな葉っぱを何枚かゲット。テントの方から隠れられるように、木の陰で用を足す。(その木も細かい葉っぱなのであんまり目隠しにならない)
ふう、間に合ってよかった!葉っぱも問題なく使えた。(毒とかなくてよかった。)
気を取り直して周辺を散策しようと、小川のおたまじゃくしをながめていると、またもやお腹が・・・!ふたたび葉っぱを探す。
以下、散歩→葉っぱ探し→のぐそ、の繰り返し。あたりも明るくなってくる。
そのうち、朝ごはんをつくる焚火の煙があがりはじめる。いつ、私はテントに戻れるんだろうか。
まだお腹が下り続けているので、のぐそをしていると、鳥のさえずりととともに、遠くから羊のベルが聞こえてくる。カランコロン。
やばい、おじさんが朝ごはん食べに帰ってくる・・・!
しかもその場所は谷のようになっていて、周囲を丘が取り囲んでいる。その稜線は羊たちの通るルート。もちろん、おじさんも通る。稜線の上から谷は360°死角なし。つまり、私の隠れ場もなし。
丘のシルエットに、ヒツジの影が見え始める。近づくベルの音。
いそいで、葉っぱでお尻を拭いて、服を整える。
間に合った・・・?間に合ってない?見上げると、ヒツジたちとともに、歩くおじさんのシルエットが見える。直接確認する話でもないし、間に合ったかは神のみぞ知る。
このしぼりたての山羊のミルク、おいしかったなあ。
何はともあれ、ザグロス山脈の自然を、目・舌・耳・お尻で満喫したのでした。