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大いなる沈黙へ / 映画の中の小屋 / その9
2016年6月28日
今回の「映画に登場する小屋」は、「大いなる沈黙へ-グランド・シャルトルーズ修道院-」(2005年の作品)です。
キーワードは「不所持」「ミニマル」「意識的な貧しさ」そして「小さな部屋」です。
上映時間じつに162分、そのあいだ一切のナレーション、音楽なしで、まったくの無音になることもあるし、さらに動きの少ない映像の連続という、ついウトウトしてしまうドキュメンタリー映画なのです。
フランスのアルプスの中腹に建つグランド・シャルトルーズ修道院は、その禁欲主義で有名な修道院です。修道士たちは清貧と沈黙を守ります。
通常でしたら訪問者が内部に入ることは認められないこの教会から、フィリップ・グレーニング監督への撮影許可が下りたのは、監督が撮影の申請をしてから16年後のことでした。
ようやく許可が下りたものの、いくつかの条件を提示されました。
監督がひとりで撮影すること。
自然光で撮ること。
ナレーション、音楽は挿入しないこと。
監督はその通りにひとり、半年ほど修道院に滞在し、修道士たちと生活を共にしながら撮影したのだそうです。
修道士は1日の大半をひとりの部屋で過ごします。
僧衣やお皿を自分で洗い、薪割り、庭の手入れ、読書、礼拝とやることはたくさんあります。
しかし休暇や自由時間はほとんどありません。
夜も2~3時間祈りを捧げたら3時間眠り、また2時間祈る…の繰り返しで、完全に休息する時間はないのです。
修道士さんの個室がこちら。
![](https://assets.st-note.com/img/1709882120493-q0w0gmDQcu.jpg)
部屋の基本セットは祈るための空間と、テーブル、薪ストーブ、藁敷きのベッド。
部屋に関しては、ある程度の個人の自由が認められているため、人によって部屋の様子が少し違います。
アフリカ人のベンジャミンは、修道院に入ってから6ヶ月のあいだに細々したものを集めて部屋に置いていますが、その一方でフランシスの個室(上の画像)は、7年経ってもほぼ空の状態のままです。
![](https://assets.st-note.com/img/1709882152413-UwEL8gIdKo.jpg)
![](https://assets.st-note.com/img/1709882215573-FnQEaBbIig.jpg)
ひとりひとつづつ平屋の小屋が割り当てられます。
前庭と通路があり、庭(ハーブ園)の手入れも修行の一環となっています。
![](https://assets.st-note.com/img/1709882240613-h8BYeC6h6p.jpg)
流しには水差しにタライ。これでお皿を洗います。
こちらはみんなの食事を作る広い台所です
![](https://assets.st-note.com/img/1709882274589-WATCicC0iX.jpg)
どうしてそんなにも広いのかといいますと、たとえば2人が野菜を切るために並んだときに、お互いがお互いの存在に気がつかないくらい離れて作業することで「沈黙の誓い」を守り易くしているのだそうです。
![](https://assets.st-note.com/img/1709882316900-qwuWYSoB8P.jpg)
大きな手ノコで丸太を切っていきます。
切る前にはきちんと物差しでマーキングしてます。ソーホースが便利そうでした。薪を運搬するための道具も使い勝手が良さそうです。
新入りのベンジャミンが斧でパカーンと薪を割ると、割れた薪が飛んで、傍らのストーブや壁にガンガン当たっていたのが可笑しかったです。
修道士さんたちの着る僧衣は、テイラーさんが仕立てるのですが、切った生地の切れ端も残らず取っておき、その無数の欠片は縫い合わされて布になるそうです。
また、修道士が亡くなると彼の着ていた衣装はボタンも含めて全て再利用されます。
![](https://assets.st-note.com/img/1709882420084-e4PfbdZCz6.jpg)
これは集められた古いボタンたち。基本的に捨てられるものは何もないそうです。
修道士さんたちは、日曜日にピクニックに出かけたときには会話をしていいことになっているようで、そのときだけはまるで少年のように笑い、遊ぶ姿がありました。
でもこの修道士さんは、ネコたちにごはんをあげる際に大声で名前を呼んでいました。
![](https://assets.st-note.com/img/1709882448533-s4lEvLIuCM.jpg)
彼はスプーンでお皿を叩いて大きな音を立てたり、大きな動作をしていたので、集まってきたネコたちは、そのたびにビクッとしていました。
(監督インタビューに答えが書いてありました。やっぱりこの修道士さんは規律を盛大に破っているそうですが、修道院側はこの映像を笑って許したのだそうです)
(ちなみに完全なる沈黙を守らなくてはならない場所もいくつかありますが、それ以外の場所では作業に必要ならば最低限しゃべることを許されているそうです)
途中、床屋さんが修道士たちのアタマをバリカンで剃る場面が長く挿入されていますが、それは人が生きていくうえで「実際的な触れ合い」が大事な要素であるという監督の持論によるものだそうです。
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バリカン担当の老いた修道士が、剃り終えた修道士のアタマをブラシで撫でてあげる場面が印象的でした。
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修道士さんたちの聖歌や、祈りの言葉のリズムや、手にした数珠(というのかわかりませんが)を一粒ずつ、親指で送っていく動作を見ていましたら、チベットの僧院で見聞きしたものを思い出しました。
祈りというものは原始的な行動のひとつだと思うので、その所作が宗教を超えて知らずのうちに似ていても不思議ではないのかもしれません。
※この記事内の修道院の解説はBavaria Films International & Zeitgeist Filmsによる監督のインタビューから得た情報が元になってます。