【安曇野から発信する潤一博士の目】39~木曽は広い!~
国道19号やJR中央西線から見える木曽には、深い谷の底には、木曽川が流れ、川ぞいに人家が点在している、というような風景が続きます。そして背後の山々には、木曽ヒノキの林が広がり、昔から林業が盛んであった。これが、多くの人びとの“木曽観”ではなかったかと思います。
さて、写真①は、中央アルプスの木曽駒ヶ岳付近からみた木曽の全景です。御岳火山の南側に、高さがほぼそろった山地が広がっています。②は、中央アルプス山麓のやや高い所から、西方の木曽地域を写したものです。平らな、いく筋もの尾根の上に、御岳火山が載っています。③は、②とは逆に、御岳火山東麓から、東側(中央アルプス方面)を写したものです。やはり、高さがそろった尾根が、いく筋も延び、はるか東方には、中央アルプスがそびえています。
①、②、③から、はるか大昔には、この地域に平坦な高原状の地形が広がっていたのではないかと推測されます。④は、長野県南西部から岐阜県北部の接峰面図です。接峰面図とは、谷を埋めて、尾根の高さで、昔の地形を復元したものです(写真⑤)。長野県側には、標高1500~1600mの平坦面(阿寺面)が、岐阜県側には、標高800~900mの平坦面(阿寺面)が分布しています。両者の高度の違いは、阿寺断層による変位で、その落差は700mに達します(北側上昇)。阿寺断層は、坂下と下呂を通る左横ずれの活断層です(写真⑥、⑦、⑧)。
新生代第三紀末頃(200万年前頃)、この地域は、地殻変動がなく、安定した状態が続くなかで、河川の側方浸食がすすみ、浸食平坦面(準平原)が形成されました(三河準平原)。
80万年ほど前に、この地域や松本盆地周辺が活動期に入り、御岳火山の活動が始まりました。それ以来、御岳火山は、80万年の間、活動を続けてきました。
井戸尻 潤さんの小説「ハヤブサ消防団」では、その舞台、八百万町ハヤブサ地区を三河準平原の上に設定しているようです。
(地質学者・理学博士 酒井 潤一)