使い古された言葉
昨夜ふと庭に出てみると、満天の星としか言いようのない星空だった。
「うぁーきれいだ」
最近の月の出は0時頃と遅いし、それに秋晴れで澄みきっているからだ。
山の上ではもっと多くの星が見えただろう。
星野道夫を読んでいるせいか、オーロラを実際に見たらどんな気持ちだろうかなどと考えた。
その感動を表現するのに、神秘的だ、星も満天の以外は思い浮かばない。
使い古された常套句は、陳腐になってしまうのでなるべく使用したくないが、いくら考えても見つからない時がある。
比喩のうまい人は想像力が豊富な人だろう。
美辞麗句は必要ないが、静かな中にもちらりと華のある文章を書きたく思う。
しかし文は人なりという。
いくら繕っても見え隠れするものがある。
鑑賞するだけならばよいが、書きはじめてしまった。
遅きに失するが、語彙を探すだけでなく、品性も探さなければ。
ところで、使い古されたと同じ意味で手垢がつくという言いまわしがある。
昔、古道具屋に入り浸っていた頃、店主がよく言ってた言葉だ。
何度も競りに出されたり、長く飾られたりして人目に触れた商品を「手垢がついているから売れない」「手垢がついているから新鮮さがない」などと。
蔵出しではじめて日の目を見た道具類は輝いていると。
駆け引きの必要な仕事だから、品性はわからないが物を見る目は確かだったようだ。
これは経験からくる目利きだろう。
あわてて品性のと言ったところですぐに身につくわけではない。
ものを書くことは、文章がどうのより、感じることが大事だと思う。
何か感じたら、素直に言葉にしてみる。
それを繰りかえしていけば、文章は後からついてくる、だといいのだが、そうはうまくいかないようだ。
文章についてあれこれ悩みはじめたら書けなくなってしまう。
今回は未だにタイトルが決まらない、ため息がでる。
まとまりのない文章になってしまった。
それでも読んでくださってありがとうございます。