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柔らかい日の光

「あらたふと青葉若葉の日の光」
と詠んだ俳句があったなあ。

朝、手早く掃除してコーヒーを飲む。
そのあと、クッションにもたれて放心していると、窓から柔らかい、春の、朝の、光が降りそそぐ。
そのうち眩しくて、眼を閉じねばいられなくなるが、全身が温かくなり、繭の中にいるような気分にさせられる。
無心になり、すべてをゆだねてしまう。
「あらたふと」とはこんな感じではないか。
違うか、もっと高尚な感じ?

いまの住まいは、東側が玄関で、居間で、窓ばかりだ。
陽が高く登ると、カーテンをひかねば眩しすぎる。
厚いカーテンは嫌なので、幾重にも薄地の布を掛けている。
布を通してさすひかりも、穏やかでいいものだ。

歳を経ると、明るい部屋はそれだけでありがたい。
気持ちがふさぐことがない。
近ごろ、何かにつけて感謝しているように思われる、それもちょっと気になるところだが。

仕事が続いたから、身体も休養を欲しているのだろう。
炬燵でまどろんでばかりいる。

ウグイスもホーケキョと鳴けるようになってきし、たまには外へ出よう。
春を見つけに。

野生化しただいこんの花。
持ち主がユンボで平すも、毎年楽しませてくれる。
最初は、誰かがだいこんの種を蒔いたのだろうか。
芽吹きの時や蕾の時だと、食材になるのだが、その時期は仕事が忙しくて出かけられない。
いつも満開の時、愉しませてもらう。



コーラスしている、たつなみ草。
とても草花とは思えない可愛らしさだ。
ほんとに歌っているように見える。
命名者は波に見えたのだろうな。

蝋を塗ったように艶やかな、キツネのボタン(きんぽうげ)。
少し歩けば道端にも咲いている春の草花たちだ。
「あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ」
山頭火も詠んでいる。

「ひさかたの光のどけき春の日にしずこころなく花の散るらむ」

春の情景を歌っただけだと思っていたが、この歳になれば違ったふうに感じられる。
花が散っていく姿は寂びしいものだ。
趣きはあるが。

しかし、来年もまた会えることだろう。
のどけき春に。
そう願う。
今日は春分の日。


読んでくださってありがとうございます。



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