小さな喜び
なんでもないことで、とても喜ばれることがある。
先日民宿の掃除で移動中、宿泊客と立ち話をした。
島が大変気に入って移住を考えているが、女ひとりなので不安だという。
知らなかったが、現在は移住者支援を行政がしているようで、昔とずいぶん変わってきているようだ。
島での仕事のことやら、ちょっとしたことを話したら質問攻めにあい、現状を伝えたら、非常に感謝されて面映ゆくなった。
情報は多くても、生身の声は聞いていなかったのだろう。
初対面の人と話すのが億劫で、滅多に話はしないのだが、別に悪くないなと思う出来事だった。
最近は集落の班長を引き受けているので、会議やら、個別訪問があり、嫌でも会話が必要になる。
はじめは嫌々ながらでも、終わった時は、いつになく気持ちがいい。
先日、署名が必要だったので夕方訪ねることにした。
すると雨が降り出し、横なぐりに激しくなる。
雨具を着た姿をあわれに思われたのか、どの家に行ってもねぎらいの言葉をかけられた。
こちらは義務でやっているのだけれど嬉しかった。
最近こんな小さな喜びを大切に思うようになってきた。
大きな喜びや大きな変化はもういらない。
「えーそうかな?」
小さく縮こまるのもどうかと思うが、今はこの湯加減が心地よい。
また、物足りなくなる時期もきっと出てくるだろうが、今のところ満足だ。
余談。
国語や古典の文法を必死で覚えた記憶が残っていて、時々顔を出す。
「大きい」「小さい」は形容詞なのはわかるが、「大きな」「小さな」は連体詞なのだ。
「小さな」は活用しないから連体詞になる。
詳しくは、「活用のない自立語で体言を修飾する」だ。
「おかしな」も連体詞で、「きれいな」は「きれいだ」形容動詞の連帯形だ。
覚えていてもなんの役にも立たないのだが、頭の中はそんなものばかり入っている。
思い出せば、脳の活性化にはなるだろう。
植物は秋枯れ模様、台風から回復していないのもあるし、島の秋は淋しい。
冬になると、ハゼの木の紅葉と道路沿いのポインセチアが彩ってくれる。
今日も読んでくださってありがとうございます。