十五夜つれづれ
密かな愉しみという言葉がふと浮かんだ。
よし、タイトルにしょうと決めたはいいが、何も出てこない。
さもありなんだ、一人暮らしでは密かに愉しむ必要はないのだから。
毎日何かしら愉しみを見つけているが、隠れてやら、こっそりではない。
家族に内緒だったり、忙しい中に時間を見つけての愉しみのほうが、格別にときめくだろう。
長いこと考えたが、今の私にはふたつだけ。
弟が送ってくれたシャインマスカットと巨峰を、お裾分けせずに一人占めして惜しみながら「おいしい!」と食べている姿はまさに密かな愉しみだ。
もう一つはnoteを書くこと。
これも秘密の密かな愉しみに入れよう。
これ以上続かないので、あとはつれづれなるままに書くことにする。
台風でしばらく青空を見られなかった。
早朝に、部屋から青い空を眺めながら、ぼーっとできるのは穏やかなしあわせだ。
歳をとって時間に余裕があるからできるのだろう。
老いるのもまんざら悪くない。
とりとめのないことを思いながら、見るともなく、流れていく雲を追う。
空が青いのは、いろんな色が集まっている太陽光の中で、青がいちばん散乱しやすい色だから、というのはおぼろげに知っているが、青でよかったとしみじみ思う。
自然現象は全て科学で証明できる時代だが、じぶんの好きなように感じることで詩や小説が生まれる。
答えの決まった科学や数学の美しさもあるが、文学にはおよばない。
などと考えた朝のひとときだ。
数日前から毎晩、まん丸の月がでているから、今宵の十五夜もくっきり見えるだろう。
まつわる雑学を一つ。
平安時代の宴に丸い菓子がでていた。
源順(みなもとのしたごう)が読んだ和歌にちなんでつけられた、その丸い菓子を最中(もなか)という。
「池の面に照る月なみを数ふれば今宵ぞ秋の最中なりける」
現在の最中は江戸時代、吉原で売り出されたのが起源だという。
お月見が最中の由来だとは、上品なお菓子にふさわしい。
庭に一つだけ穂が出ているススキがあったので、お団子も作り、少し早いがお月見気分を味わってみた。
縁側がないので窓を開け、今宵は清酒をいただくことにしよう。
今夜はどうぞ夜空を見上げくださいまし。
今日も読んでくださってありがとうございます。