【小短編】コーヒーの原液みたいなエゴを薄める
電車に揺られて、隣り合わせに座った高校生が二人で話している。
「世界中が敵になっていると、思う日、ない?」
鞄を抱えたほうが、スマホを見ているほうに尋ねる。
「残念ながら、あるねえ」
スマホから目を上げずに頷く。
「王様でも革命家でもロックミュージシャンでもないから、そんなことないって、わかっているんだけど」
鞄のほうも、正面の車窓を眺めたまま、話し続ける。
「王様だって、何様だって、思う日は思うんじゃない」
スマホのほうが、慰めの言葉を掛ける。
「そうかな。だとしたら、少し安心する。私だけがおかしいわけではないわけね」
鞄のほうが安心したように自分の腕をさする。
「コーヒーの原液みたいなものらしいよ」
スマホのほうが、スマホを鞄にしまいながら、鞄のほうを見る。
「何それ」
鞄のほうもスマホのほうを見遣る。
「自我。自己愛。エゴ。自分だけに集中する気持ち。ナルシシズム」
スマホのほうが指折り数えて言う。
「エゴがコーヒーの原液ってこと」
鞄のほうは眉根を寄せて尋ねる。
「そう。原液は薄めたほうが良いらしい。沸騰して煮詰めても、碌なことにはならない」
スマホのほうがのんびりと答える。
「薄めるって、そりゃ、手放せたらどんなに楽か知れないよ。あーあ。他人になりたい」
鞄のほうが背伸びをする。
「はは。それはなんか分かる。私も他人になりたい」
スマホのほうが笑う。
「薄め方って、それなのかな。コーヒーを薄めるなら、水か、氷か、牛乳か。何かが必要でしょう。それが他人」
鞄のほうが言う。
「他人で薄めるエゴ・コーヒー。なんか、ちょっと嫌だな。他人に、エゴに触って欲しくないな」
スマホのほうが顔を顰める。
「そうだね、嫌いな他人は厳しいかもね。でも、この会話とか、他人に話すと楽になることってあるじゃない。私はいま、実際に薄まってるよ。ありがとう」
鞄のほうが言う。
「それは善かった。どういたしまして」
スマホが微笑む。
「では、エゴを薄める牛乳に任命してあげよう」
鞄のほうが微笑む。
「それは、別にいいかな」
スマホのほうがスマホを取り出して目を落す。
「何でよ。私の好きなコーヒーの薄め役ナンバーワンだよ」
鞄のほうが心外そうに主張する。
スマホのほうが笑って言う。
「だって、私、ブラック派だから。苦手なものは飲みたくないし、好きなものを楽しんで飲みたい。そういうエゴは、持っておきたいんだよねえ」
鞄のほうは、スマホのほうを見ながら、眉根を寄せてしばらく無言で考えていたが、やがておもむろに頷いた。
「完全に失っていいものではないね、エゴ」
スマホのほうも真顔で頷き返して、神妙な面持ちで言った。
「そうだよね。厄介だけど、自分を守る程度にはちゃんと無いと困るよね。でも、ありがと。牛乳にノミネートできただけで、とても光栄です」
そう言われて、鞄のほうが機嫌よく笑った。
「どういたしまして」
(終)