公的機関への確認およびNPO法人との面談に関するメモにゃ📝🐈️
本日は今年に入って行ってきた公的機関への確認、その過程で得られた情報や言われた言葉を記載していきますにゃ🌸
その後、NPO法人との面談で経験したことを書き留め、現在の心境を語って締めくくりとしますにゃ🌱
一つの経験サンプルとして読んで貰えれば光栄ですにゃ🍵
それでは、ノンビリどうぞですにゃ🐾
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事の発端
12/3(火)
住民票の閲覧制限をかけているにも関わらず、毒親に家を特定された。
オートロックもすりぬけられ、ドアホンすらならさず、110番したが警察の到着は50分後であった。代わる代わる6名ほどの警察官が訪れて2時間ほど調書をとってもらった。
12/4(水)
朝の9時から17時まで
現在住んでいる地域の警察署(生活安全課)、交番、福祉事務所、保健所、マンションの大家さん、部屋の管理人さんに前日の事件を報告。
12/5(木)午前
午前11:25にマンションの大家さんに見守って貰う形で整体に行った。しかし僅か3分後の午前11:28に毒親が再襲来。
私は不在であったため、マンションの大家さんに高圧的な態度を取っていた。
整体まで大家さんが迎えに来て、護衛してもらう形で帰宅。即座に110番をして30分後に警察がくる。
僅か3日間で2回110番をして、総勢7名の警察官が1Kの極狭部屋に来る大事件に発展。
同日の午後
血迷った毒親が娘を探す可哀想な母親のフリをして交番に駆け込む。公的機関から書類が実家に届いて、マイナンバーカード関連の書類も同封されていたからその情報を元に、来たと発言。(そこに記載されていた私の障害年金目当てが本質。)
その旨を電話で聞いた私は会う必要もないと警察の方に言ってもらっていたので、「私の前に二度と現れず私と一切関わらない事」を望みとして伝えた。
[今日、帰ります]と言って、罪にも問われず毒親は交番を後にした。
後ほど判明したことだが、今回の事件では母親と父親と住処を別にしている叔母の3名で襲撃していた。
避難
12/6-9(金-月)
警察から「一切外に出るな」と指示されていた私は、自分の部屋を出ることも愛した街を歩く事も、買い物に行くことすら出来なかった。
有り難いことにマンションの大家さんがコンビニで食事を買ってきてくれていた。備蓄していた食材とともに頂きつつ、カーテンの隙間を布で埋め、電灯も非常時用のものを使用していた。
12/6の深夜に遠方の仲良しさん(通称、家主さん)が迎えに来てくれる。身一つで、後部座席に駆け込み、7,8と紆余曲折を経て9日にその方の部屋に匿ってもらう生活を始める。
12/10-15(火-日)
精神の過剰な疲弊により呆然自失。
12/16-22(月-日)
問題となっている部屋の水道を止める。
電気も止めたかったが退去時のみと言われた。
また在宅ワーク用の部屋であったため通していた光回線も止めたかったが、これも退去時のみと言われた。
住んでいない家賃
使用していない電気やネット
これだけで毎月8万円を棒に振る事が判明
(障害年金は月に10万円)
法テラスに電話相談の予約を入れる。
クリスマスと長期休暇
12/23-26(月-木)
人間界はクリスマスシーズン。
私は法テラスで1回目、2回目の相談。
1回目は30分の相談を20分で切られた。
(法テラス側の用意した判例事例が全く不明の弁護士)
2回目は私の用意した弁護士だったので、丁寧に対応はしてくれた。
しかし、母親の発言のみでは証拠不十分と言われた。
家主さんがインフルになり、軽い家事と冷えピタを貼る程度ではあれど看病生活に入る。
12/27-1/6(金-月)
人間界は年末年始による長期休暇。
全く身動き出来ず激しく苦悩。
仕事初め
1/7-15(火-翌週の水)前半
次に住む家を探すべく不動産に確認するも、状況を話せば門前払いの連続
その中でもNPO法人の連絡先を教えてもらい、電話相談させてもらう。
最初は訝しげな対応をされるも、現在住んでいる地域の福祉事務所と繋げることで私の情報を共有してもらい、本格的に相談に乗ってもらえる形になる。
1/7-15(火-翌週の水)後半
日本年金機構
健康保険組合
国民健康保険
税務署
福祉事務所
保健所
個人情報保護委員会
住民基本台帳係
全てに電話し以下の2点を確認。
・自分の情報はどのように扱われているか?
・外部に渡った形跡はあるか?
結論としては以下の通り
私の情報は全てにおいて非開示。
閲覧制限がかかっている。
そして、外部に漏れた形跡もない。
言われた言葉で特に興味深かったのは以下の3つ
要するに私に一切の非はなかった。
情報は非開示で、全て閲覧制限がかかっており、漏洩の形跡も皆無。
この時点で責任の所在はなくなり、私は誰に対しても訴訟を起こし賠償請求が出来なくなった。
誰も責任を取らない、取れないからである。
NPO法人
1/16(木)
NPO法人の方と面談
私の今の状況は収入の安定しない自営業で、
確定申告では毎年200万円ほどの赤字を出している。預貯金も100万円を遥かに下回る。
この状況では、部屋を借りることも不可能と話すが、もしかしたら行けるかもしれないと、その方の目の前で不動産に連絡をする。
結果、
・確定申告書の提出
・最低でも300万円以上の預貯金通帳の提示
・マイナンバーカード
↑上記3点の提出を求められる
障害年金が在るので、家賃3万円ほどならば支払える。家賃滞納もこれまでないし、クレジットカードや税金関係もきちんと支払ってきた事も伝える。
しかし、「どのような症例で障害年金を受け取っているのか?身体なのか?」と聞かれる。
正直に、精神と伝える。
ただでさえ曇っていた受付の声が消え、ため息が静かに漏れ聞こえた。
念の為に部屋の管理人に確認すると言われ一度、電話を切られる。この間約30分。
ものの3分後に、受付から駄目でしたと一方的に言われ電話を切られる。30分もかけて話した内容を本当に管理人さんに伝えたのか?と疑問に思いつつ、私も法人の方も口をつぐむ。
無力感だけが部屋を包んでいた。
「これが貴方の現実なのね。」彼女は、そう言った。「ただでさえ傷だらけの貴方を更に傷つける結果になってしまい、申し訳なかった。」と続けてもらえた。
13時に集合して16時までの3時間。
先ずは家を決めること。
その後、地域の福祉事務所や保健所、警察とつながること。
可能なら2月に引っ越し、3月に確定申告を終えること。
(運転免許証も3月から5月の間に更新必須&パスポートも年内に更新必須)
短日バイトなどの再開は早くて来年。
それまで資金が持つか不明。
仮に生活保護になっても障害年金を受給しているので、与えられるのは精々2万円ほど。
厳しい監視と人間界の一般的な就労移行(週五日勤務)の強要は免れられない。
法人の案内できる仕事はA型事業所やB型事業所のみ。1日働いても500円もらえれば運の良い場所である。到底、生活はしえない。
そんな話をしてからの電話対応であった。
もう流せる涙もなかった。
現在の心境
私の現在の感情は98%が恐怖と結びついた虚無感、そして毒親への憎悪である。
この期間、女性相談所や自殺防止センター、保健師等にも電話相談した。その際、次に住む家や引っ越し費用などの実質的な助けが必要であることも伝えた。
しかし、彼らは何もしてくれなかった。
繋がりさえしないことも多々あった。
繋がっても電話代はこちらの負担であった。
彼らが何のために存在しているのか分からなくなった。同時にそれは自分自身に対しての思いにもなった。
究極の2択
自死を選ぶか
毒親の抹殺を選ぶか
この2択しか残されていない。
それほどまでに追い詰められている。
現在進行形で追い詰められている。
臆せず言えば今、どちらもしていない事が奇跡である。
その奇跡は残りの2%が力添えしてくれている。
実際に匿ってくれている人
こんな状況でも「ネコちゃん自身はスゴクスゴク頑張ってて頑張りすぎてる!」って労ったり「いつでも待ってる」と声をかけてくれるnote友である貴方や配信や地域の仲良しさんとの繋がり
この優しさのみで、私は必死に踏ん張っている。今もめげずに家を探している。
生還=奇跡
毒親サバイバー、というのは生き延びているだけで奇跡に近いのだ。事実、私も3度以上、三途の川を眺めている。
モノクロで背丈ほどある草がサラサラと音を奏でている。その草を掻き分けていくと、白黒でも綺麗と分かる水が川のように左側から右側へ穏やかな丘を伝いながら流れている。
あぁ、ココを渡れば良いのかと安堵する。
だが、来てはならないと向こう岸から追い返す声がする。影があるが、誰なのか何人なのか分からない。
途端に眩い光に包まれて暗闇を通り抜けて現実世界に戻る。私の首を絞めている父親の不敵な気持ち悪い笑みが目の前に映る。
また逝けなかったのか。
生きていながら私の瞳には光が失われていた。
そんな経験を3度もすれば三途の川は既に見慣れた景色になる。だが、やはり渡れない。
ならば、と毒親のいる環境から離れた。
本来なら、この離れた環境下で苦しんでいた時期と同じ程の時間をかけて心を休めなければならないと言われている。
だが、彼らは執拗に私を追いかけ回し仕事を奪い家を壊し、環境を穢してきた。
全身火傷と同じ
私は言うなれば全身火傷を負っているようなものである。清らかな風と空気と、清潔な水と包帯、適切な処置を受けてもなお完治は難しい。
にも関わらず、その火傷に毒親は更に100度の熱湯をかけ、塩を塗り込んできている。
そういう状況を精神的にやられ続けているのだ。
そんな私達、毒親サバイバーがどのような心境で、ツミビトにならぬよう日々励んでいるのか。その記事を近々、書く予定だ。
ひとまず、何とか生きながらえている。
それだけだ。
○○○
1/16、つまり昨日、NPO法人の方とお会いしたのですにゃ◯最寄り駅までは家主さんにクルマで送ってもらいました。その後は1ヶ月半ぶりの1人行動でしたにゃ🐾
とても、とても怖かったです。。
全く関係のない土地
バレてるハズはない
そう頭で理解していても身体は恐怖で震えていました。ストレスで激しい腹痛に何度も襲われながら、それでも何とか法人の方との面談を終えました。
見つからなくて良かった。
殺されなくて良かった。
こんな感情を離れた土地ですら抱いています。
自分の住んでる地域に引っ越しや書類手続きなどで戻らねばならないとき、どうなるのか分かりません。
それでも今は精神の再建は後回しにしてでも、環境の再現に向けて出来るだけの努力を重ねていますにゃ📖
本日も最後までお読み頂き、有難うございますにゃ🐈️
余談: note 6周年だそうですにゃw
6年目の記事が変わらず毒親サバイバーなのが切ないですけど🎈
懸命に生きてきた証として有り難くバッジを頂戴しますにゃ🌸
いつも仲良くしてくださり、有難うございますにゃ🐈️