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「〝頭の中の自分〟と〝からだの中の自分〟を一致させる」
人には「頭の中の自分」と「からだの中の自分」という「二人の自分」がいて、「気質」とは、その「からだの中の自分」の特性のことだということを書いてきました。
その「頭の中の自分」は「自己評価に基づく自分」です。そしてその「自己評価」は、育ちの過程における「他の人からの評価」や「どういう体験をしてきたのか」ということからの影響も強く受けています。
お母さんから「お前はバカだ」と言われて育った子は「自分はバカなんだ」という自己評価をするようになる可能性が高いです。すると、本来は憂鬱質ではなくても憂鬱的な気分が強くなり「頭の中の自分」は憂鬱質になってしまうのです。
でも、「からだの中の自分」が憂鬱質ではない場合は、憂鬱質としての能力は持っていません。「音に対する感受性」も「人の心に対する感受性」も高くありません。
その逆に、本来は憂鬱質の子であっても、お母さんから「あんたは素敵な子だ」と肯定されて育った子は、自分でも自分を肯定するようになる可能性が高いです。
すると「からだの中の自分」は憂鬱質であっても、「頭の中の自分」は多血的、胆汁的な働きが強くなり、憂鬱的な気分に引きずられにくくなります。
お母さん達に「あなたは自分の気質は何だと思いますか?」と聞くと、出てくるのは「頭の中の自分」の気質ばかりです。でも、表現ワークをすると、「頭の中の自分」ではなく、「からだの中の自分」が出てくるのです。だから、表現ワークをすることで「本当の自分の気質」が分かりやすくなるのです。
その「からだの中の自分」の多くは「生まれつき」のものです。それに対して、「自己評価に基づく頭の中の自分」は「過去の体験によって創り出されたもの」でもあります。
そして、その「頭の中の自分」と「からだの中の自分」が一致していれば心もからだも楽になるのです。でも、「ありのままの子ども」を受け入れることなく、「親の期待」を押しつけるような子育てをしていると、そのずれが大きくなってしまうのです。
多血質の人は周囲から肯定され、自由に満たされているような時は、「多血質としての特性」を存分に発揮できて自己肯定感も高くなります。
これは多血質だけでなく他の気質の人でも同じです。どの気質の人でも、周囲から肯定され、自由に満たされているような時は他の人からの評価に合わせる必要がなくなるため、「自分の気質」が素直に表に現れて来るのです。すると「頭の中の自分」と「からだの中の自分」が近い状態になって来ます。
そういう状態の人は比較的正確に自分の気質が分かるような気がします。
また、「頭の中の自分」と「からだの中の自分」の状態が近い人は自分の中に矛盾がないため、日常的にストレスを感じにくいと思います。
でも、他の人の目や評価を気にして生きてきた人は「他者の目」を基準にして自己評価をする癖がついてしまい、「からだの中の自分」を無視、否定するようになります。
すると、「頭の中の自分」と「からだの中の自分」のずれが大きくなり、日常的に強いストレスを感じるようになってしまいます。だから疲れやすいです。そのような状態の人は自分の気質も分かりません。
また、他者からの評価を気にしていなくても、生活の中から自由が消えてしまうと「頭の中の自分」と「からだの中の自分」の状態がずれてしまいます。
多血質の人は、子育てなどに束縛されて自由を失ったり、パートナーや周囲の人との人間関係が上手く行かなくなったりすると急に自己肯定感が下がります。すると、多血質としての特性が発揮できなくなり憂鬱な気分が強くなります。そして、「自分は憂鬱質なんだろうか」などと思い込むようになったりしてしまうのです。
「からだの中の自分」は多血質なのに「頭の中の自分」は憂鬱質になってしまうのです。すると苦しくなります。
そして今、そのような状態のお母さんが多いです。
ちなみに、意外かも知れませんが、「頭の中の自分」も「からだの中の自分」も憂鬱質を自覚している人は、そんなに苦しんでいないのです。むしろその世界を楽しんでいる人すらいます。
「頭の中の自分」と「からだの中の自分」がずれているから苦しくなるのです。