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「気質と教育」(みんな一緒、みんな同じを求める教育には無理がある)

日本の教育では、「子ども達はみんな同じという前提で、同じ事を教え、同じ結果を子ども達に求めるような授業」をしています。

そして、「みんなと一緒にみんなと同じ事が出来ない子」を「問題児」「発達障害児」として特別扱いしたり、排除したりして、残った子ども達の均一性を保とうとしています。

発達障害と呼ばれるような子は、基本的に他の子に合わせることが出来ないのでこの枠から外れます。

そうでない子ども達は、多少のことなら自分らしさを封印して他の子や先生の指示に従うことが出来ます。それが「普通」ということです。
中には「みんな一緒」「みんな同じ」に何の違和感も感じない子もいます。むしろ、その方が安心できる子もいます。日本にはそのタイプの子が多いです。でも、それが苦手な子は苦しくなります。そして学校に行けなくなる子も出てきます。

でも、大部分の子は、苦しくても、自分を封印し、みんなに合わせることに慣れてしまいます。でもそういう子は、今度は思春期頃、学校を出た後に問題を抱えることになります。
子育てをするようになった時にも、そのような状態の子は途方に暮れることになります。

確かに、日本は、そのようなやり方で明治維新以来ズーッとやってきて今までは大きな問題が起きませんでいた。私が子どもの頃(昭和30年代)も、一クラス50人以上いましたがクラスが荒れることもなかったです。不登校の子もいましたが少しです。私のクラスにはいませんでした。

どうしてそういうことが可能だったのかというと、明治維新の時は「富国強兵、欧米に追いつけ追い越せ」、戦後は「高度経済成長」などというような「国民全体が共有出来るような目標」があったからです。
目標を共有していたから方法も共有出来ていたのです。

でも、今の日本にはその「国民全体が共有出来るような目標」がありません。そしてみんな、「失っていた自分らしさ」を求めるようになってきました。でも、今の日本には「自分らしさ」を見つけ育てることが出来るような教育哲学も方法もありません。今まで必要がなかったからです。

そんな時、「気質」という考え方はその手がかりを与えてくれるのです。また、発達障害の子との関わり方にも手がかりを与えてくれます。

気質が異なれば、感じ方も、考え方も、意識の状態も、からだの状態も異なります。その結果、得意な科目も違います。算数が得意な子と苦手な子とでは基本的な思考回路が違うのです。そのことに気づかなければ、いくらいっぱい勉強させても算数が分かるようにはならないのです。
もう、子ども達に「みんな一緒、みんな同じ」を求める時代は終わったのです。

先日、境界知能(障害までは行かないけどIQが低い子)の人が、「みんなと一緒が出来なくて苦しかった」と書いている文章を読んだのですが、その子の能力を生かすことが出来るような教育するのなら、IQなどというものは関係がないのです。

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4月から茅ヶ崎で対面の気質講座を始めます。月一回で土日などの休日の午前中にやります。
8月はお休みにしますが、翌年の3月まで11回やります。

Zoomでも気質講座もやります。こちらは第三金曜日の午前で、10月までの6回です。(8月はお休みです)

いずれも参加費は2000円/回です。ご興味のある方は<a href="mailto:kodomotachihe@yahoo.co.jp"><シノ></a>まで「気質の講座について」と件名を書いてお問い合わせください。

あと、呼んでいただければどこでも行きます。

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