フリースタイルピアニストけいちゃん作詞作曲シンフォニア(映画「美男ペコパンと悪魔」主題歌)の世界を紐解く…かもしれない曲の感想文Vol.2
【Vol.2 色が気になる】
〈シンフォニアMVはコチラ↓〉
〈映画「美男ペコパンと悪魔」公式HPコチラ〉
〈はじめに〉
これはシンフォニアを聴いて私が個人的に感じたイメージとインスピレーションによって歌詞の内容を推測や考察し自分の為に解釈していくものである。
無数にある解釈の中の1つとしてそういう捉え方もあるかと気軽に楽しんでもらえたら嬉しい。
さてVol.1で紐解いた(かもしれない)歌詞の続きを考察していく。
ご興味ある方はVol.1をご一読いただきたい。
〈前回のVol.1はコチラ↓〉
【色がどうも気になる】
Vol.1の最後で「色になって」の意味を感情が顔色に出てバレバレと解釈したのだが安心してはいけない。それは単に序章であり氷山の一角でしかない。なにしろけいちゃんの作る世界は曲も詩も多重構造なのだから。
バレバレ論は解釈①としよう。
【色になっての解釈②】
「色になって」→真っ白な状態から色が付いて…と考えることは出来ないだろうか?
男女は映画を演じた俳優の2人であるとする。
演じていない素の自分が真っ白(まっさら)
→役に入ると色がつく(つける)→色になる状態だと考えたらどうだろうか。
“なって"等の語尾は韻を踏む為なので言葉のど真ん中の意味を考えた方が良い気がする。
"色になる"だとやらされているのではなく自らその状態へ持って行くような主体性が感じられる。
ちょ待てよ?
俳優という立場で言っている言葉と考えた場合は最初から全部意味が異なってくる…
「愛してるの意味」はこの男女が恋愛関係にある場合の話ではなくて演じる役、演じる内容として語る"意味"なのかもしれない。
「愛してるの意味」」が大事な役柄、まだ暗い早朝ロケ、長い待ち時間で思わず出る退屈な吐息、フィクションを演じるというのはある意味嘘と言えるかもしれない、目を瞑って集中し役に入る、若い芽を摘もうとしてるヤツがいても蹴散らして色になって(役になりきって)やるぜ!…みたいな。
そしてMVで描かれている舞台上の悪魔(魔法生物にも思えるがややこしいので悪魔と呼ぶ)はスクリーンの中の映画そのものの象徴なのか!
だとしたらVol.1から述べてきた解釈①は映画の中の隼人と亜美の話になるだろうか。
美男ペコパンとボールドゥールの姿はMV中には描かれていないが映画の登場人物や物語や演者全てまでもが悪魔の姿に集約されて表されているのだとしたら!?
今まで男女の座っている正面から見て舞台挨拶の時のようにスクリーン前に立つ悪魔という位置関係で考えていた。
映画見ようってのに悪魔さんストロボやら原作本やら持って真ん前に立たれても何も見えんのよ大きいしと思っていた。
だがそれは間違いだった。ごめん悪魔さん。
あなたが映画でありスクリーンであり演じている人達の象徴だったのね(土下座)
【解釈①まとめ】
・MVの男女は映画の登場人物の隼人と亜美
・ペコパンとボールドゥールほか登場人物やスクリーン、映画そのもの全ての象徴が悪魔
・なんか色々訳アリだがバレバレ
【解釈②まとめ】
・MVの男女は俳優さん達
・「愛してるの意味」とか役柄や演じる内容について語り合っている
・「色になって」は役に入る(演じる)こと
以上ここまでの歌詞は解釈①と②の多重構造と考えると全て辻褄が合う。
めでたしめでたし…
ん?そういえばシンフォニアは3声からなる。
「3つの世界を描いていて描いていて描いて…」
(脳内をこだまするけいちゃんの声)
…③もあるか(吐息)
カオスだ(泣)
【Vol.2おわり】
【Vol.2後記】
Vol.1で2500字も書いたのにそれはただの序章にしか過ぎなかったと知ったVol.2
3つの世界を描いているという多重構造により
歌詞が全く"前に進まねんだ"状態です。
【つづく】