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アイドルマスターSideMモバゲー版(モバエム)が明日終わる


1月4日14時23分にこれを書き始めた。
最後のストーリーを読もうとしていたがモバエムに重くて入れないからだ。
ハマったソシャゲが1カ月でサ終(コンテンツ自体は生存しているがコンスタントに更新され続けない)した経験はあるものの、5年――1930日あまりを一緒に走ったソーシャルゲームが終了するのは初めてだ。それにも関わらず、あまりにも心が凪いでいて自分でもびっくりしている。
アーカイブはどうなるか今はまだわかっていない。めくるためのアルバムが残るかどうかもわからない。幸いネットは集合知であるから探せばエピソードやストーリーなどは出てくるだろう。自身の残したスクショや画録もある。
それでもこうだったよという、どこかのFRAME担当Pの思いを少しだけ残しておこうと思う。

①出会い

私の記憶が正しければ自分は出戻りPになる。
手元のスクショと照らし合わせてみると最初にSideMに出会っていたのは2014/7/27のようだ。なぜか翼と輝の会話のスクショが2枚残っている。
またこういう時記憶を補完してくれるのはTwitterだ。こちらも確認すると1日前の26日にモバのスクショが確認できた。
その後、2017/1/3に「またやろうかな」という呟きが確認できた。約3年ぶりの出戻りだ。
2017/9/15にMステのスクショになっている。おそらくだがSideMのアニメがはじまる!というのがきっかけだったのだろう。23日のつぶやきには「BeitもFRAMEも出るし、楽しみ!」とある。
2017/9/16には音楽アプリに「勇敢なるキミへ」ならびにいくつか気にいったであろう楽曲が入っている。すぐ買っている。
2017/9/21、モバエムをはじめた。
2017/10/19、専用のアカウントを作っている。早い。
どんどんスクショはFRAMEだらけになっている。よくわからないバグ画面までスクショしている。
2017/11/11のTwitterでは「信玄誠司という人間に惚れている〜中略〜この人たちに後ろめたいことはやめておこうとなる。心のストッパー」などと呟いており、おおよそ2ヶ月の間でPになる決心をし、さらには道徳心も学んでいる。

モバエムのなかで一番何が印象に残っていますか?と聞かれると「アイドルチャレンジ!迎春書初演戯」のイベントと答える。
Pになって初めての信玄さんの上位。今でもこの絵柄が一番好きだ。
だが改めて見返すとびっくりするほどスクショの数が少ない。Pになりたてで右も左もわからずとにかく諭吉を排出せねば、走らねばといっぱいいっぱいだったことは覚えている。
朝から晩まで仕事の合間や退勤後、出勤前など時間が許す限り走り、パケット定額に感謝したことはこの期間ほどなかった。
2枚取りできるほどの上位には入れない、その事実は新人Pでもわかっており、走っては引き、走っては引きを繰り返し、ようやく長チケ――当時は「長チケ?」とつぶやいているので正しい省略かはわからないがこう呼ばれているものと認識していたのだろう――で手元に1枚の金人間と共に信玄誠司が訪れた時はもう喜びともうこんなに走らなくていいという安堵があった。
そうしてなんとか1枚圏内に残り、チェンジができた。
長かった。本当にここまでとは思わなかった。
昨今無料10連などがあるソシャゲも多いが、イベントのガシャを引くなら基本課金なことに驚きつつも本格的に走り始めたのである。
ちなみにMステの【ファッショナブルミッション】でも同様に苦しい戦いがあった。1枚までが長く、そして2枚目はもっと長いのである。値段もぼんやりと記載してあるのがより辛かった道のりを語っていた。

②ライブ参戦

2018/1/2 ご用意されてもいないのに仙台のホテルを取っている
2018/1/20 ご用意されない。
2018/1/25 「P名刺を作りたい、作った!行った!楽しかった!ってなりたい」と言っている。
2018/1/27 ライビュの一般を取った。
2018/1/29 仕事で落ち込むと一瞬一人になるために倉庫にこもっていたがFRAMEの曲を聞くと言っている。
「ぼっち参戦でもいい、会場はみんなプロデューサーだ。」
「FRAMEは人生の背骨。」

2018/2/2 ライビュ前日。
アイマスについて調べてP名刺を交換するという文化を知った先日。名刺交換ができるかどうかはおいておいてP名刺を一生懸命作っている。
そしてライブが22時まであることにも驚いているし、当日にはいつの間に買ったのか隼人の一天堂のジャムパンを食べているし、ミックスペンラも買っている。たぶん人生においてライブのために買った、振った初ペンラになる。
呟きで思い出した、帰りのバス待ち中に普段とは違う人の多さに知らない人に声をかけられたのだ。何があったのかと。
まだPになって日も浅い、周りは同じ映画館から出てきたPばかり。下手な答えはできないと絞り出した。
「遠方のライブを映画館でみんなで見てたんです」
「なんの?」
「ゲームのです」
「ふーん」
そのあと、SideMはゲームか?ゲームであってるよな?と自答しながら帰宅した。
2018/2/10 いつの間にかライブが当たっているし、ペンラポーチもちゃんとしたP名刺も作っている。
2018/2/24 仙台に前乗り。
ホテルで手紙をしたためている。これはコロナ前だったのでできたことだろうなと思う。当日、プレゼントボックスにいれるとき手が震えた。
2018/2/25 当日
「増元さんが今日が一番カチッとハマった、と言っていた。そんな日に見れて生きていてよかった」とある。
仙台の会場で肉眼で見れたことを鮮明に覚えている。
そこに「信玄誠司」がいた。
ライブで興奮冷めやらぬからと、はじめて友人にLINEした。
今まで出不精でめんどくさがりで人ごみの嫌いな、そもそも2次元が至高などと言っていた人間が半年やそこらで仙台にまで来て、リアルイベントに参加している。
名刺交換という仕事――名刺もなければ交換もしないで良い職業のため――でもしたことのないことを初めて会った人としている。フラスタなどという文化もないジャンルにいた人間が、フラスタに参加している。
ライブの終わったホテルで、来てよかったなと心の底から思った。
自分が好きなもののためなら、いろいろなことができると知れてよかったと今でも思う。

③5年は多い

ひとつずつ追っていきたいが量が膨大すぎる。
とにかくSideMを、FRAMEを知って出不精でめんどくさがりで漫画しか追って来なかった人間がアプリに登録し、モバゲー版もはじめ、曲も買い、グッズも買い、ライビュにも行き、約半年で仙台にいるような熱量を与えてくれるSideMというコンテンツに感謝しています。
315プロのアイドルに出会えたこと、FRAMEのPになれたこと、信玄誠司という人間を知れたこと、人生のロールモデルにしたいと思えたこと、いつの間にかあなたの年下だったPはあなたの年上になりました。
FRAMEを知って何度「FRAME最高!」「FRAME大好き!」と言ったことでしょう。
Mステから入ってモバエムを知ってより彼らのことを大好きになった。
ストーリーで知り得た新情報に沸いて、ずっとTwitterで検索し続けていた。
パンケーキを見たら英雄の顔が浮かぶし、苦手な納豆もガシャを引くために7年ぶりに食べたし、ハンバーグで元気になった。
今日まで「全部が最高!」と言えはしなかった。
アニメは全員がアイドルしている姿が見れると思っていた。
直前まで「サプライズで発表になるんだろうな」と信じていた。
「アニメしたらメイトで交換できる景品にもなっちゃう?!ポイント貯めておいてよかったー!」と思ったこともあった。
モヤモヤも正直少しずつ出てきた。アンケートやご意見も送った。

それでもいろんな企業とコラボしてくださったり、ライブも本当に楽しかった。
315プロのアイドルたちは何かしら理由があってアイドルになっている。ときにそれに励まされたり、支えてもらった。彼らの元職業が出れば「お!」とも思った。
消防の出初で封鎖される通勤経路にも寛容になれたし、警察24時はやっていれば見るし、自衛隊の雑誌も興味深く読むようになったし、自衛隊の車両やヘリが来るイベントにも「これにもしかしたら信玄さんが…」と思いながら行った。
何よりも良かったのは「防災についてより考えるようになった」ことだと思う。もともと防災意識は高いほうだったが防災グッズとのコラボは本当に嬉しかった。彼らの思いが形になったとさえ思った。

FRAMEの木村龍と千葉PUSHさんとがコラボした救命救急の講習にも参加した。
いま私の手元には、職場で受けた普通救命講習の終了証と龍くんが載っているオンライン救命講習会の受講証明証がある。
職場の講習で消防署の担当者にこう聞かれた。
「この講習以外に参加したことはありますか?」
みんな教習所で習ったとおずおずと手を挙げた。私もその一人だ。
だけど次の講習のとき、きっとこのことを思い出して手を挙げる。
できれば講習が役に立つことがなければいい。
でも備えあれば憂いはないし、きっと彼らは困っている人がいたら体が動くだろう。私もそうでありたいし、何より私はFRAMEのプロデューサーだ。
「プロデューサー(さん)ならそうすると思ったよ」って言われたい。
そんなこと起こってほしくはないし、防災グッズだって役に立つようなことがあってほしくはない。でももしできることならそんなときが来てしまったら背中を押してほしい。


ゲームのひとつが終わるだけ。
でも何の気なしにはじめたゲームで人命救助の方法まで学んでしまった。
埼玉にも行ったし、プロミにも行ったし、同郷の方とお知り合いになれた。なんならライブ後、ではまたって地元のライビュで会った。
びっくりした。人とこんな風に知り合ったりできるのかと。
それは8年という年月で彼らが成し遂げたことでもある。
SideMは終わらない。
膨大なスクショもきっと消せない。
なんならMステのアプリも起動できないのに残っている。
気付いたらTwitterのアカウントがなくなっている方もいた。
でもこの出会いがあったからこそ、「現場で出会う」ことのハードルが低くなったし、そのコンテンツにいる人は優しいんだよということを身をもって学べた。
それでも叶えたかった未来は本当に今日だったのか、そう考えてしまう。
私が出会った彼らは「モバエム」にいる彼らだ。
海外なんか行きたくない。
最高のライブが最後になってほしくない。
明日も明後日も明々後日も十年後も、正面からライブなんか見れなくていい。ずっと舞台袖でスポットライトに照らされた姿を見ていたい。
できることなら。

Mステからモバエムに入って、そこから約5年。
モバゲーからはじまったSideMは8年。
長かったようで短いモバエムとのさよならはあともう数時間だ。
今は緊急メンテに入っている。嘘だろ。
でもそれくらいたくさん愛されている。これからも愛され続ける。

1月5日の仕事は休んだ。

明日、SideMのモバゲー版が終わる。


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