青春とお洒落と古着
『オリーブOlive』という雑誌を中高生の頃から愛読していた。
青春時代のお洒落バイブルだった。
そして田舎の純朴なオリーブ少女だった私は東京を目指した。
上京当時はフレンチカジュアル勢力が強く、アニエスベーのスナップボタンがいっぱい付いてる黒のスウェットカーディガンにボーダーTシャツ、ベレー帽というコーデが定番スタイルだった。
美大だったせいか校内には、実習で汚れてもいいように頭にタオルを巻いたつなぎ服のガテン系、パンクロックな人(モヒカン頭にガーゼシャツ着て頬に安全ピン刺してて怖かった…)、ゴスロリ、ロン毛で冬でもTシャツにシャカシャカしたナイロンみたいなジャケット着た渋カジ(時代だなぁ)、ダメージジーンズにネルシャツのグランジ系、フレッドペリーのポロシャツにチノパンとローファー履いたトラッド系など様々なファッションが入り乱れていた。
DCブランドも全盛期だったので、コム デ ギャルソン、ニコル、ヴィヴィアン・ウエストウッドなんかにも憧れていた。
しかし貧乏画学生だった私には、それらはとてもじゃないが手が出なかった。
そんな時、これだ!と目に留まったのが、古着(今風に素敵に言うとヴィンテージ)と呼ばれる服たちだった。
上京後に住んでいた中央線沿線の街には古着屋が沢山あり、高円寺、西荻窪、吉祥寺、国分寺辺りのお店によく通った。
中央線沿線には演劇やバンドをやってる人が沢山住んでおり、ちょっと癖のある独特な街が多かったが、私の青春時代の思い出が沢山詰まっている。
救世軍バザーにもよく顔を出していた。そこは当時、日本に駐在していた外国人が帰国する時に寄付した服やアクセサリー、食器や家具類なども豊富だった。
たまに下北沢や原宿や代官山の古着屋にも行った。
いろんな店に足繁く通ううちに、古着にも種類があることがわかってきた。
日本の昭和レトロ、アメカジやミリタリーなどもあったが、私が特に好んだのはガーリーなヨーロッパ物だった。
古着(ヴィンテージ)の魅力的なところは、刺繍やレース、くるみボタン、パイピングなど細かいディテールまで今では考えられないくらい手の凝んだ作りだった。カラフルな色使いやロマンチックな柄なんかにもウットリした。
ほぼ全てが一点物で同じ服を着てる人がいないし、ブランド物に比べてリーズナブルなので、ほとんどが画材代に消えてしまう少ない仕送りからでも何枚か買えたし、とっかえひっかえいろんなコーデを楽しめた。
当時、周りで古着を着ている女の子はいなくて、一人だけ1960年代にタイムスリップしたようなAラインのワンピースなどを着ていた私は浮いていたのか、クラスメイトに「しゑにさんて、どこで服買ってるの?」と、よく聞かれた。
思い返すと、すでに小学校高学年くらいから私の古着好きは始まっていた。
父親の古いキャメル色のコーデュロイのズボンを見つけてブカブカだったけど裾をくるくるロールアップしてサスペンダー付けて履いたり、母親が10代の時に着ていたお手製のワンピースやスカートやブラウスが納戸からゴッソリ出てきた時は、それらも喜んで着ていた。
手に入れた古着もそのまま着るだけでなく、Gジャンやガーディガンに色とりどりのラインストーンやビーズを縫い付けたり、ボタンをデッドストックの可愛いのに付け替えたり、お金はなくとも自分なりにリメイクしたりもした。
全身ガーリーにするのではなくて、革のライダースジャケットにヴィンテージの花柄ワンピースを合わせるような、ハード系×ガーリーコーデっていうのが好きだった。
30代でアンティーク着物にドハマりしたのも、当然の成り行きだったのかもしれない。着物を着た時も、若い頃に古着屋で手に入れたビーズやエナメルのバッグ、夏着物には藤で編んだフランスの古い籠バックなんかをよく合わせていた。
働き出してからはクラブ通い(ママのいる方じゃなくて踊る方)もするようになり、アナ・スイやヒステリック・グラマーなども着るようになった。
岡崎京子さんのマンガに出てくる女の子みたいなトンがった格好も好きで、よく見る雑誌が『CUTiE』になった。モデルの中川比佐子さん(金子國義さんの絵から抜け出てきたような方だった)、今は女優の渡辺真紀子さんや市川美和子さんが表紙を飾っていた。アバンギャルドなデザインは好きだったけど、ヒップホップ系のダボっとしたストリートファッションは好みじゃなかった。
最近また90年代のファッションがリバイバルで人気らしい。
その一方で全然テイストが違うけど、綺麗な色と独創的で美しいラインと柄のシビラと妹ブランドのホコモモラ、繊細で可愛いらしくどこか懐かしいオリジナルテキスタイルを生み出すミナ ペルホネン(当時はミナ)の服も好きで、それらはガーリーでディティールの凝った古着が好きだった自分の好みに合っていたのだと思う。
これらのブランドは流行とか関係ないので長く着られる。
ミナが新宿伊勢丹に初めて出店した時にポップアップショップで友人と服を見ていたら、いかがでしょうか?と、物腰の柔らかい男性店員さんに話しかけられ
「オリジナルの生地がとっても可愛くて手が込んでて素敵なんですけどぉ、家で洗えない服ばっかりなのと、値段が高すぎて庶民には手が出ないんですよねぇ。それからサイズが小さめできついかも。」
と言いたい放題の私達の話を、ニコニコ微笑みながら聞いていた感じの良い店員さんだったが、後にその方がデザイナーの皆川明さん本人だったと知り焦った。皆川さん、その節はすみませんしたっ。でもその後、頑張って購入した服やバッグたちは今も手元にあり一生ものです。
新卒から転職を繰り返し数社で働いたが、わりと服装は自由な所ばかりだった。しかし日本で最後に転職したIT系の会社はカジュアル禁止でそれなりにキチっとした格好をしなければならず、仕事の時はモード系のモノトーンの服ばかり着るようになった。年齢的にもだんだん古着が似合わなくなり気分的にもしっくりこなくなって、いつのまにか着なくなっていた。
ほとんどあの頃の古着は処分してしまったけれど、どうしても手放せなかった、ビーズ刺繍がびっしりあしらわれたペパーミントグリーン色のモヘアのカーディガン、百年前のアンティークレースがクラシックなブラウス、サラっとした肌触りのジョーゼット生地で出来た燻んだピンク色のふんわりした小花柄ワンピースなど、数着は手元に残してある。
おばあちゃんになった時にまた着たら可愛いかも、と思ったりしている。
今私が住むこの国では、年配になるほど鮮やかな色やカラフルな柄の服を纏う女性が多く、白髪に目が覚めるような真っ赤やイエローの大きな花柄のワンピースを着たおばあちゃん、服だけじゃなく髪の毛やバッグや靴まで全身を紫色のグラデーションでまとめているマダムなど、はっとして見入ってしまう。なんかいい。
髪の毛がピンクだろうがブルーだろうが、どんな格好をしていようと変な目で見られたり何か言われることもない。人は人、自分は自分、という個人主義の国ということもあるし、人とは違う方がいいという価値観だったりする。
けっこう堅い職業の人でも鼻ピアスしてたりタトゥ入れてたり、日本では考えられないくらい自由だ。
私は白髪は染めずに、これからはグレーヘアの似合う人になりたい。
歳を重ねてからまた古着のお洒落を楽しんでみるのもわるくないかも、と思ったりしている。