屋久島の深い静かな森の宿で語られたこと:第三夜
三人目の旅人の話:2022年5月2日
生きることは、旅すること。確か、美空ひばりが歌っていた。
人生を旅や道のりに例える人は多い。「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」と力強い宣言に至るものもあるが、その大半は長く曲がりくねった旅路の迷いや悩み、また、それを乗り越えるための勇気を伝えようとするものだ。
屋久島の深い静かな森の宿にあるこのバーは、いつの頃か「黒ひげ先生」と呼ばれるようになった還暦間近のオーナーが一人で営んでいる。客の大半は一人で訪れ、ロッジの横の焚き火のゆらめきと程よい酔いが重なって、普段は人には話さないようなことをついつい話し込んでしまうらしい。
この夜は、悩みを相談するために来たつもりはなかった。が、振り返れば、結果的にそうだったのであろう―――
私は、恐らくこれまで本気で打ち込めるものがなかった。見つけられていなかったのか、見つけようとしていなかったのかは分からない。ただ、相手が期待していることが何となく分かるのと、そこそこ要領が良かったために、相手を怒らせることも大きな失敗をすることもなく、穏便に過ごそうとしてきたのだと思う。そして、日々の生活に大きな不満もなかったし、それはそれで幸せだと思っていた。
このまま人生が進んで行くのはつまらないな、と思い始めた頃には30も半ばを過ぎていた。そんな折に会社で募集のあった社会人大学院の派遣制度の案内に気付いて、それが何やら入り口のように感じた。定員は1名だった。絶対に一番になりたいと本気で思ったのは、このときが初めてだったように思う。
『足るを知る』って良いことなんでしょうか?
黒ひげ先生に聞いてみた。黒ひげ先生と会話をする中で、これまでずっと良い言葉だと思っていたこの言葉に、得体の知れない危うさを感じていた。
黒ひげ先生は、私の言いたかったことを察してくれたように返してくれた。
「物質的な『足るを知る』と、精神的な『足るを知る』は別で考えればいいんじゃないかな」
物質的な、とは、三つ星レストランのフルコースが食べたい、麻布や広尾に住んでみたい、ブランドに身を包みたい、とか例えばそんなことだろうか。もちろん、これらを体験することによって初めて気付くこともあるだろうが、これは『足るを知る』という言葉が発する本来の意味であろう。
黒ひげ先生はこう続けた。
「自分が自分自身に納得出来るかどうかについては、『足るを知る』必要はないと思う」
いつの頃からか私は、諦めることも「足るを知る」に含めていたのかもしれない。上手くやれないこと、できそうもないこと、現状に自分を納得させること。精神的な「足るを知る」を無意識のうちに巧みに使い、穏便に過ごしてきた。これが得体の知れない危うさの正体であろう。
しかし、自分自身を真に納得させられなければ、つまらなさからの脱却はできない。つまり、ここで「足るを知る」必要はない。もちろん、急に明日からすべてのことに全力でチャレンジすることは簡単ではない。しかし、自分が本当に納得出来ているかを問いかければ、3つに1つくらいはやるべきことが見えてくるかもしれない。そのうちの3つに1つくらいは何とか次に進められるかもしれない。さらにそのうちの3つに1つくらいはうまくいくかもしれない。そうすることで、自分にしか歩めない長く曲がりくねった道のりができていくはずだ。
「足るを知る」が良い言葉になるかどうかは、自分が自分自身を納得させることができるように生きていくことができるのかにかかっている。黒ひげ先生はそんなことを教えているように聞こえた。
少し余談になるが、卒寿間近の黒ひげ先生の父親は、今でも畑を毎日耕しているらしい。横浜で一人暮らしをして、掃除も洗濯も、料理まで一人でこなしてしまう。そして、何よりの楽しみは友人と旅行に行くこと。今では、一緒に行く友人は一人になってしまったけれど、それでも年に何回かは那須に出かける。その話を聞いて、私はうらやましいと思った。
私と同じ世代の多くは、できる限り多くの時間を自分のために使いたいと思っている。仕事、家庭、子育て、ローンのプレッシャーといった中からそんな時間を持つことは本当に大変なことだ。私もそう感じている。しかし、いつかはすべてから解放される日が来る。その時、家族以外に旅行に一緒に行ってくれる人はいるだろうか。全ての時間を自分のために使えるようになった時に、一緒に過ごす仲間はどれだけいるだろうか。そんな人生を迎えるには、やはり自分自身が納得できる生き方を一生続けていく必要があるのだろう。
黒ひげ先生は我々が望んでいる答えを返してくれるわけではない。場合によっては、紡ぐ言葉を遮るように「それは違う」と言ってくれる。でも、もしかしたら、そういう人が最後に一緒に旅に出掛けてくれる人なのかもしれない。
バーで過ごす時間は必ずしも心地いいだけではない。しかし、我々の長いようで、いつ終わりがくるかわからない旅路にゆらゆらうごめく火を灯してくれるような、そんな至福の時間であった。
2022年5月2日 やまかず