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屋久島の灯台が10年ぶり?に一日だけ公開されるというので、メイさんと張り切って見に行ってきた。

屋久島の灯台は、明治時代に作られた灯台では日本の最南端のものであり、以前は灯台守が灯台の横に住んでいた。
今は、その家は無くなってしまっているが、灯台自身は活躍している。

屋久島を境に、黒潮が太平洋側に流れていく。
この島が東シナ海と太平洋の分かれ目なのだ。
山の上から見ると、沖に黒潮が流れているのがわかる。
色が黒いだけでなく、黒潮に沿って雲がたつ。
そして、この黒潮に乗って数多くの魚やクジラなどが行ったり来たりしていると思うとなんか嬉しくなる。

実際に、屋久島ではホエールウオッチングのツアーなどは無いと思うが、陸から見えるほど、鯨の通り道でもある。

以前に、トッピーという高速船が鯨と衝突してしまいエンジンが壊れて海を漂流したことがある。

灯台の上から見た青く澄んだ海


さて、明治時代からある灯台は、国防という意味でも重要な役目を負っていた。バルチック艦隊が日本を目指してくる際に、太平洋側に来るにしても日本海側に行くとしても、屋久島の沖を通るのである。

きっと明治時代も今も変わらないこの美しい景色に、当時、双眼鏡を片手に見守っていた人がこの灯台に立っていたのだろうと思うと、心は遥か歴史の彼方に馳せてしまうのだ。

海上保安庁の人から、灯台のレンズをくるくると回すのに、錘を使っていたとの話を聞いた。そして、錘が一番下に落ちてくると人力で機会を回して上に引き上げたいたとのこと。
だから、灯台守は夜も寝れないのである。
それも今や機械が行い、更に、センサーがついて日の入りを感じて灯りを灯す。また、巨大なレンズの下には、免震装置まで完備されていて地震が来ても灯台は灯りを灯し続けるという。

明治時代のレンズ


南海トラフ地震の注意が出ている中で、屋久島の海はとても静かで青い。

世の中には、地震の被害、台風の上陸、そして不条理な戦争や殺害がある中で、自然はいつも泰然自若としている。

いつか人も動物もそして建物でさえ、植物の中に飲み込まれて森となっていく。

僕は、いずれ土に帰るからこそ、何か少しでも自分でできることを生きた証として一人で足掻いていたい、それこそが、自分が灯せる灯りなのだ。小さくてもいいから自ら光る孤独な灯台となりたいと思うのだ。

遠くに口永良部が見える、変わらない海


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