阿部詩選手の号泣騒動に関する「べき論」の違和感
皆さんこんにちは!
シンガーソングライターで介護福祉士のモリナガマサカズです。
パリ五輪女子柔道52kg級の阿部詩選手が2回戦で敗退し、試合直後に会場にて号泣してしまった事で賛否両論が巻き起こっていますが、
今回はこの件に関して僕が感じてる事を書いてみようと思います。
◾️あの号泣を見て最初に感じた事
あの泣き方を見て僕も正直ビックリしたのはビックリしました。
ただ、かと言って、「みっともないなぁ」とは思わなかったです。
「うわぁ こんなふうにまでなってしまうんか…」
っていうのが正直な感想。
かわいそうで見てられないなぁと思いましたが、
彼女にとっての2回戦敗退は、
「普通の状態ではいられなくなってしまうほど、受け入れ難い事が起こってしまった」
って事なんだなと理解しました。
あぁいう人目もはばからぬ号泣になってしまったのは、それだけ血の滲むような努力をしてきたって事の裏返しだと思うし、
周囲からの期待に対するプレッシャーも相当なものがあった事は言うまでもありません。
「何がなんでも金メダル取りたい」という気持ちで挑んだ結果が、まさかの2回戦敗退💦
負けた直後は直ぐに立ち上がれず、表情からもかなり動揺してる事がはっきりと分かりましたが、相手と一礼して握手するなど、彼女なりになんとか平静を保ってたんじゃないでしょうか?
ところが畳から降りてコーチのところまで行った途端に、いろんな想いが込み上げてきて、もう感情を抑える事が出来なかったんでしょうね。
◾️僕が最初に聞いた賛否の「否」は以外な人だった
次の日僕は職場で女性利用者のHさん(70代後半)とこの話題で話す場面がありました。
「やる事ないからテレビばっかり観てるわ、オリンピックも始まったしね」
と、おっしゃられたんで、
「昨日、阿部詩ちゃんかわいそうでしたね」
と僕が言うと
「負けてかわいそうやったけど、あんなとこであそこまでピーピー泣いたらアカンわ。やっぱり限度ってあるやん」
と、おっしゃられたんです。
その方は他人に対して厳しい事を言うタイプではなかったんで、かなり驚きましたが、
“これはこれで率直な意見だな”
と思いました。
その方がそんなふうにおっしゃってた事を他の職員に伝えると、
「えっ!? Hさんそんな事言ってたんですか?? 意外と厳しいですね」
とある職員さんは言い、
「でもネットとか見てたら賛否両論凄いあるみたいですよ。その反応の違いってどっからくるんですかね?」
と言う職員さんもいました。
そこで初めて僕は、“あの号泣に対して厳しい意見もそんなに多いんや” って事を知ったのです。
◾️賛否両論は理解できるけど、意見の書き方に物申したい!
改めてネットでの反応を見てみると、本当に賛否両論、色々な意見がありました。
どっち側の意見にも「なるほどな」と共感できる部分はあるのですが、
なんでその書き方なん?
えっ!? どの立場からもの言ってるの??
と思ってしまう事も非常に多いです。
なんて言うか、正論述べてるつもりで気持ち良くなってるだけで、相手の背景等を汲み取ろうとする優しさがまるでないんですよね
例えば、
「あんな場所で号泣するなんて考えられない。泣くなら控え室で泣くべき」
といった「べき論」が僕は苦手です…
言ってる事は正論かもしれないけど、かなり冷たい印象を受けます。
そんな事言われなくても本人も分かってる事だし、別に「あそこで泣くのがいい」と思って、自らの選択と意思でああなったわけでも無かろうに…
なぜそこに対してもう少し理解を示せないんでしょうかね?
あぁしたかったわけではなく、
あぁなってしまった
それも分からないのでしょうか??
東国原さんが阿部詩選手の号泣に苦言を呈した事で、これまた賛否両論が巻き起こってますが、正直この件に関してはちょっと気の毒に思うところがあります。
と言うのも、
東国原さんは「武道家としてどうなんでしょう?」と、「武道家とはこうあるべき」といった「べき論主張」で私見を述べ始めたものの、
最終的には、「もうちょっと毅然としていて欲しかった。というのはありますね」と、個人的な願望を強調した表現で締めくくっていました。
最初の「武道家としてどうなんでしょうね」は正直不用意だったと思いますが、
「もうちょっと毅然としていて欲しかった」は個人的な願望なんで、そこまで批判されるような言葉ではないと思うんです。
何を望むかなんてその人の自由です。
個人的な願望さえ発言する事を許さない。“空気を読んで黙ってなさい” といった風潮がもしもあるんだとすれば、これもまたとてもおかしな事です。
阿部詩選手に対して「べき論」を使う必要性を僕は感じませんが、批判や攻撃の意図がまるで無い事が文面からちゃんと読み取れて「こういうふうに振る舞って欲しかった」と単に「願望」を書く事はなんの問題もないと思います。
◾️今回の号泣騒動を学びに変えるとしたら何!?
今回の阿部詩選手の号泣騒動に限らず、一般の方が世の中で起こってる出来事に対して、いろんな意見があったり、色々書きたくなる事もあると思います。
書く事は自由ですが、書き方に最大限の配慮を見せた上で、相手の背景にも理解を示し、言葉も慎重に選びながらご自身の意見を書いてみてはどうでしょうか?
また、世の中の出来事に対してだけでなく、実生活で関わってる誰かに対して何かしら苦言を呈したい時も同じだと思います。
「べき論」を、そんな事言われなくても分かってる人に対してストレートに使うのって果たして賢いのでしょうか?
「分かってても、それができてなかったんだから言われてもしょうがないんじゃない?」
っていう意見もあるかもしれませんが、それを言うなら少々回りくどく言い方にはなってしまいますが、
「こんな事、私に言われるまでもなく、〇〇さんなら充分わかってるはずなのに、今回こうなってしまった事がとても残念です」
といった感じの伝え方をする配慮が必要だし、またそういう伝え方の方が絶対刺さるはずです。
なぜならこのような言い回しは「私はあなたの事を、高い意識レベルを持った人だと評価しています」というメッセージになるからです。
人は自分に落ち度があった事を理解していても、「なんでそうしたの?こういう時は〇〇すべきでしょ!」と言われたら
“いや、それは言われなくても分かってるよ、そんなことも分かってない奴みたいに言わないでくれよ”
と思うものです。
こうなると「この人の中では自分の評価は低い。期待されてないんだろうな」という認識を持ちます。
そこで「見返してやろう!」と反骨精神を持って頑張れる人はいいですが、
「あんまり期待されてないんだったら、そこそこの頑張りでいいか」
とふてくされちゃう人もいると思います。
どうでしょうか?
それでもあなたは「べき論」を「いや、これが正論だから」とそのままストレートに使いますか?
僕自身もヒートアップしたら、ついつい「べき論」を使ってしまいたくなるところがあるので、気をつけていきたいと思います。
ではでは😄
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