内密出産は本当に母子を救うのか

「内密出産 国内初か」

2022年1月、こんなニュースが駆け巡りました。匿名で子どもを預かる「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を設置している熊本市の慈恵病院が、内密出産を希望した女性が出産した、と発表したのです。

内密出産は、相談機関では実名を明かし、医療機関では匿名で出産する制度で、ドイツでは法制化されています。慈恵病院も「制度を導入した」と発表しましたが、国内では法制化されておらず、熊本市は「法に抵触する可能性がないとはいえない」として控えるよう求めています。

大きく報道されましたが、この女性がどこの誰か報道側は把握していないはずです。どこの誰か分からないまま、病院側の発表をそのまま伝えているのは「大本営発表」みたい、と思います。

批判はありますが、報道は実名が原則です。もちろんケースバイケースで匿名にすることもありますが、報道する側は実名を把握した上で匿名にするかどうかを判断します。例えば投稿された文章がどんなに素晴らしくても、実名が書かれていないものは掲載しません。普通の取材では、どこの誰か分からない人から聞いた話をそのまま書くことはありません。責任が持てないからです。今回の場合、どこの誰か分からないまま、その女性が実在の人物であるという根拠も不明なまま、発表を検証もなく垂れ流すのは報道のあり方として危ういのではないかと思います。

報道によれば女性は未成年で、「出産したことが分かれば、親との縁が切られる」と心配しているとのこと。女性が不安に思っている気持ち、悩みの深さを想像すると、たまらない気持ちになります。私も実際、「妊娠を親に言えない」と黙ったまま自宅で出産した人に取材しましたが、出産後に親に告白したところ、実は妊娠に気づいていて、「いつ話してくれるのだろう」と待っていたそうです。すんなり受け入れてくれ、怒られることは全くなかったといいます。

妊娠出産の相談を受ける複数の人に話を聞いたところ、異口同音に「秘密にしなければ、というのは思い込みのことが多い。言ってみれば受け入れてもらえ、なんだ、秘密にしなくてもよかったんだ、と拍子抜けする人は多い」と言いました。「親に縁を切られる」という切実な悩みを否定せず、寄り添い、そして親の側にもアプローチして状況を受け入れられるよう支援するソーシャルワークも必要ではないのでしょうか。

何より、「親に縁を切られる」という危機感から、実母との縁を切られてしまう赤ちゃんに思いを寄せたいと思います。「大きくなって保管されている実母の情報を知ればいいじゃないか」という話ではありません。親に「捨てられる」ことは虐待であり、人権問題でもあります。本人に大きな心の傷を残します。慈恵病院とは関係ありませんが、30年以上前、産婦人科医院の前で置き去りにされた女性を取材しました。この女性はこう言いました。

「どうして私は生まれてきたのだろう。生まれてきて、よかったのかな」

生まれてきたことを肯定できない。自分で自分の存在を肯定できない。親から捨てられることは、想像を絶するほどの苦悩と禍根をもたらすのだと思い知りました。女性にとっても、子どもを産んだことを「なかった」ことにはできないはずです。

内密出産がなければ孤立出産したかもしれない、と言われます。果たしてそうでしょうか。出産した女性が「孤立出産したかもしれない」と言ったからといって、本当に孤立出産したかどうかは分かりません。分からないことは分からないのです。希望的観測や憶測をもとに、ストーリーを描くのは報道の仕事ではありません。

では、どんな女性たちが孤立出産しているのでしょうか。私が取材したところ、女性が発達障害や精神疾患、知的障害が背景にあるケースがあります。「どうしていいか分からない」ことが多いようです。先日報道された、福岡県で知的障害のある女性が出産し、遺棄罪で起訴されたケースでは、「妊娠したら病院に行く必要がある」ことを知らなかったそうです。こうした女性たちに必要なことは何でしょうか。「内密に出産できますから来てください」ということでしょうか。地域の保健師や医療機関、行政などがその女性の情報を共有し、場合によっては介入し、支援することではないのでしょうか。

また、「生まれたら赤ちゃんポストに預ければいい」と考えて、妊婦健診も受けず、一人で出産に臨む女性たちがいます。熊本市が設置した赤ちゃんポストの検証部会も、ポストの存在が「孤立出産を誘発している可能性がある」と懸念しています。私が取材した、子どもを預けた女性も「もしポストがなければ自分で育てていたと思う」と言いました。

生まれたその日に虐待で亡くなってしまう「0日児」を減らしたい、と内密出産を推奨している国会議員さんたちがいらっしゃいます。内密出産で「0日児」が減らせるのでしょうか。厚生労働省の虐待報告を見ると、医療機関で生まれた子どものうち「0日児」はゼロです。一人で出産すると死産してしまったり、出血多量で母体が亡くなってしまう危険があります。「出産は医療の介助を受けなければならない」と知ってもらうことが重要なのではないでしょうか。医療の介助を受けなければ子どもの命を脅かす虐待になる可能性もあり、もし子どもが死んでしまったら「埋葬していた」つもりだったとしても死体遺棄罪に問われ、実名報道されます。

複数の報道を見ても、「男の責任」について触れたものがほとんどないのは残念です。報道する側が男性優位であることの証左ではないでしょうか。法改正するなら、「妊娠を知って逃げた男に責任を取らせる」ようにしたらどうでしょう。例えば交通事故でもけがをした人を救護しなければ罪に問われます。それと同じように、妊娠させた男が逃げたら罪とする。それが女性を孤立させないための実効的な方法ではないでしょうか。今回、内密出産を希望したとされる女性の相手は、「暴力を振るう」と報道されています。ならばなおのこと、その男を逃がしてはなりません。

医師は神様ではありません。医師が話していることも、科学的根拠やデータに基づいているのか、宗教的信念や希望的観測なのか、見極めることが必要だと思います。

私は内密出産の海外での状況なども含めて著書『赤ちゃんポストの真実』に書きました。「命を救え」「孤立出産を防げ」という高揚感の中で「命が救える根拠はない」という事実を提示しましたが、一部の人には拒否反応があります。「救っていると信じたい」という願いがあると思いますが、事実に基づかず、「信じたいものを信じる」ことは危うさがあります。正義感や善意による高揚感の中こそ、批判されたとしても報道する側は客観的で冷静な目を持つ必要があると思います。


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