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わたしたちのクリエイティブは誰かをつなぐ、かもしれない。

※フィクションではありません。
ありのままの感情を忘れたくなかったので、思いのままに書き連ねています。

年末、ご夫婦で営んでらっしゃるお米屋さんに貼らせてもらう販促用のポスターを作らせてもらった。

そのポスターには原産地のお米を名札シール形式でで付けていってもらい、ご自身で運用していただくスタイルにしていて、制作だけでなく活用法や運用方法、ディスプレイのお手伝いもさせてもらったりもしていて。
すごく楽しい案件だった。

サービスで、ポスターの中にご夫婦の似顔絵を描かせてもらったりもした。

そんなこんなで初夏、ついこの間。
お米を贈りたい方がいて、せっかくだからそのお米屋さんを久々にお伺いした。
どう使われてるのかも見たかったから。

伺ったその日は、ものすごい雨だった。
久々に入ったお店は、雨のせいか少し暗く感じた。
でも奥さんのお顔を見て、あ、なんかこれ違うと瞬時に思ってしまった。

第一声が「旦那が亡くなってしまった」。
くしゃっとした笑顔で言われた。

私が訪問する2週間前だった、らしく。
ポスター納品の年明けからガンが見つかって、そこから、とのことだった。

お会いしたら何話そう?とずっと考えていた。
営業ではなく、その後どうですかー?改善したいところありますかー?と、ネガティブでもポジティブでも良いから、フィードバックがもらえたらいいな、ぐらいで。

いや、そうじゃなくて。
ただただお話がしたかった。
お話ししていてとても元気をもらえるご夫婦だったから、ただただ。

でも、そんなこと吹っ飛んでしまった。

その場でボロボロ泣いてしまって、奥さんも困らせてしまって。もう、頭の中が真っ白とはまさにこのことで。
クライアントがこういう形で目の前からいなくなったことは無かったし、想像もしてなかった。

でも、本当に辛かった。
お写真の前で手を合わせてもらいながら

「ポスターすごい評判いいよ」
「似顔絵似てるって言われて、プロだなーと思ったよ!」
と言っていただけるのだけど。

嬉しいんだけど何も入らない。
ただそのあとはよく覚えてなくて、気づいたら奥さんも一緒に泣いてくれて、お礼言いながらお米をいただいた。

贈答用以外にわたしたちにもお米をいただいてしまった。今後は奥さんが代表になられるとのことで、名刺考えなきゃねなんて話をした。

わたしはただ、自分が忙しいと訪問を後回しにしてしまったことを、本当に本当に後悔した。
それが6月後半の出来事。

少し時間が経って。
改めて思ったのは、あのとき似顔絵を提案して入れられてよかったということ。
わたしが描かせてもらったのは最後に元気だった
旦那さんと奥さんの2ショットのイラストだった。

手前勝手な話かもしれないが、そんな2人を残せたことは結果的によかったのかもしれない。
初めてちゃんと、絵を仕事の一部にしていてよかった、と思えた。

もしあのポスターが、常連さんの目に止まれば
また旦那さんを思い出してもらえるかもしれない。
そんな風に、誰かの中に生き続けさせるきっかけとして、わたしのクリエイティブがもし在ってくれるのであれば、それは僥倖なのではないかな。

そして、訪問しなかったこと。
あえてできなかった、ではなく、しなかったと表記する。
これだけはもう取り返しのつかない後悔だし、次に活かすなんてことも言えない。ただただ、動かなかった自分がいた。それだけ。

ただ、次に会えると無意識に思っていた。
それは間違いないと大きく勘違いしたわたしの間違いだ、と痛感させられた。
だから、ちゃんと会いに行く。
いつもパソコンの前でコミニュケーションし、制作をしと引きこもりがちな生活ではあるが、ちゃんと外に出て人に会う。そう思った。

という、
わたし目線だけの。
わたしに都合の良い話です。

ただ、どんな過程で作ったにせよ、
わたしたちがつくったクリエイティブは
誰かの思いのきっかけになり得る。
少なくともその可能性があり、誰かに使われるものだ。

そう思えると、世界が少しやさしく感じた。

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