忍者 VS 探偵
都内にある某大学病院の会議室。広い室内には長机がずらりといくつも設えられ、今そこには私が招待した16名の事件関係者たちがそれぞれ席に着き、こちらの様子を窺っている。
二つの出入り口には屈強な警察官がついていて、忠実な番犬みたいにまっすぐ前を向き、ドアを守っている。
「今日皆様にここへ集まってもらったのは他でもありません。先の事件に関することです」
私は二人の担当刑事とともに、そんな彼らに向き合って、静かに、そして誰しもの脳内に刻みつけるように、重くはっきりと喋り始める。
「犯人は、この中におります」
それを聞いた刑事たちは、居並ぶ彼らを鋭い目で(我々は知っているんだぞとでも言うように)見て、それからみんなと同じような目をして私の方に顔を戻した。
私はそんな彼らを後目に、まずは今回の事件のあらましを簡単に述べ、そしてそれがいかに警察には解決困難であるかの理由を語った(彼らにだってメンツがある)。
それからある些細な偶然からその解決の糸口を見つけ出し、事件が本当の姿を現したことを、実際に一つ一つの出来事を俎上に乗せて解説しながら皆の前に提示していく。
刑事たちは興奮し、集められた関係者の中には一人で何度もうなづく者もいれば、落ち着かない様子で隣の者とささやきをかわし合う者たちもいる。
ただ一人、犯人だけが様子がまったく変わらない。
私は話を続ける。今の説明を元に、相関図の中に隠された犯人とその16人とのつながりを再構築し、さらに犯人があえて残していった物証の本当の意味、それにまつわる様々な証言や人の動きを表にしたものを使って、細かい事件の時系列をじゅんじゅんと解き明かしていく。
でも犯人の具体像にまでは踏み込まない。周囲の地面を焼くかのように、そうやってじわじわと逃げ道を狭めていくのだ。
犯人である彼をそれとなく見ると、何食わぬ顔をしている。携帯やパソコンのディスプレイでも見ているみたいに。
私が今やっていることに気づかないほどバカでもあるまい。
あるいは何か手を打っているのかも知れない。でもそんなことは織り込み済みだ。私の捜査も推理も、そして準備も完璧なのである。
私は彼本人ではなく、先に共犯者の名前を明かしてしまう予定でいた。もちろんこの中にいる人物の一人だ。
そうすれば彼にはもう武器は無くなる。その鉄仮面は水に濡れたモナカの皮みたいにモロモロと勝手に剥がれていくだろう。
私は懐からビニールの袋に入れられたアイスピックを取り出す。これが今回の本当の凶器だ。犯人はこの先端にある毒を仕込んだ。そうして殺された被害者が一時的に誘拐されたとき、彼に与えられた食べ物を、それで刺したのだ。
「でもそれはただの毒ではありません。つまり重度のアレルギーである被害者にしか効果のない、我々にとっては無害となる毒なのです」
微かに空気のざわつきの質が変わる。おそらく今の言葉によって、被害者の治療に携わっていたような関係者の中には、彼の存在に思い当たった者もいたのだろう。
私はもう一度、犯人を見た。
するといつの間にか彼もこちらを見ていた。私と目が合って慌ててそらしたが、その表情には緊張と、それから並々ならぬ敵意が見て取れた。
それは過去の事件で何度も何度も私に注がれた、追いつめられた者たちの目だ。
彼はこの凶器の捨て場所に隣県の小さな遊園地を選んだ。その判断まではよかった。だが彼がその場にいることを偶然見ていた関係者がいた。
ちなみに、私がそれの情報を手掛かりにすぐに平日遊園地に駆け付けたとき、そこにはおかしな忍者がいて、彼にカレーライス二杯と、オレンジジュースを三杯おごらされた。
あれは本当に不覚だった。
私はこれまで40件もの事件に携わり、そのすべてを見事に解決に導いてきた実績がある。命の危険だって何度かあった。
顧客には警察組織は当然、外国の犯罪捜査機関にだって協力を求められている。そんな私にあの忍者があんなことをするだなんて。
こんな状況でもこの凶器を見ると、ふと頭によぎってしまう。
きらびやかな成功と勝利で紡がれた、私ただ一人だけが歩ける染み一つない赤じゅうたんにつけられた、人生でたった一つの汚点!!
嫌な記憶を振り払うように、私は少し大袈裟に高々とアイスピックをかかげてみせる。
すると途端に端正な彼の顔にひびでも走ったかのように微かな歪みが現れ、それから一瞬だけ助けを求めるようにお仲間の方を見ようとしたが、私に悟られるのを警戒したかして、とっさにうつむいてしまう。
空気が、彼の周りだけ少し緊密さを帯びるのが感じられた。
私はそれとなく身構える。調べでは、彼は格闘技の相当な熟練者だと聞いている。
そうして彼から目を外し、ちょっと顔の角度を変えたとき、窓の外の夕日がまぶしいことに気づく。
経験上、こういう些細なことが命取りになりかねない。私はつかつかと窓の近くに行って、カーテンを閉めようとする。
窓からは大きな池が見下ろせた。池では何艘かの手漕ぎボートが気持ちよさそうにプカプカ浮かんでいる。
ふと、なんとなく見たそのボートの一つに、私の何かが反応を示す。
なんというか、これは探偵の勘のようなものだ。そしてこういうときの勘は案外とても重要なことを示している場合が多い。
私はしっかりとそのボートを見る。
そこにはたいていのボートと同じように、一組の男女が乗っていた。若い女と、そして中年くらいのスーツ姿の男。
女は20代前半くらいで、ロングの髪に赤いヘアバンドをしている。ロングスカートにカーディガン。仕事終わりのОLというわけではなさそうだ。平日休みか何かなのだろう。
しかし男、その男の顔に私は見覚えがあった。
忍者だ。
あの、平日の遊園地にいた忍者!卵に乗っていて、私に飯をおごってくれと泣きついた忍者!
散々私に向かって暴言を吐き、ご飯をおごらせた上、店の外に出ると消えていた忍者!
今はなんだか管理職風のスーツ姿をしているが、私は探偵である。そんなことくらいではごまかせない。いや、ごまかせたとしてもごまかせない!
その顔や全体的な雰囲気は、もう私の脳髄にすっかり焼き付けられてしまっているのだから。
あいつはまた出会った女に忍術攻撃をしかけて、ご飯をおごらせているのか。
いや、でもそんな感じではなさそう。
だいたい彼のスーツ姿は結構上等なもののようである。
あのときの食堂の女性店員の話では、彼は一銭ももっていないということだったのに。
二人は池の真ん中らへんで止まり、何やら話をしている。
どうも女の機嫌は悪いようだ。やはり彼女も私と同じ目に合っているのだろうか。
だが、様子が変だ。
何が変なんだろう。
あ、忍者が笑っているのだ!
私といるときはほとんど眉一つ動かさなかったのに!
そして彼は、あろうことかその女性のご機嫌を取っているようなのだ。
でも本当の本当にあの失礼の塊みたいな忍者がそんなことをするのだろうか。
私はかけていた丸メガネを操作して、望遠の倍率を上げる。
やはり彼が、あの忍者であることに間違いはないようだ。
ボートでは彼が一方的に身振り手振りを交えて話をし、女は死んだ目でそれを見ている。
なんというか、これはこの前の私と忍者の逆パターンにどことなく似ているような気がする。
それに気づくと、私はもう夢中になって二人を観察し始めた。
「なあ、昨日やった10万はどうしたんだ?」と、忍者は言う。私は唇の動きが読めるのだ。
「え、なんのこと?」
女が眉一つ動かさず早口で言う。私でなければ見逃していただろう。それから飴玉でもよこせとでもいうように、手を差し出す。
「早く出してよ、あるんでしょ」
とても横暴な口の聞き方だった。さすがの忍者も怒ったようだ。近くのオールをバシャバシャやって、怒りを露わにしている。
「やめてよ」と、女。
「うるっさい!」と、忍者(バシャバシャ)。
「きゅあー、誰か、助けてくださーい!殺されるー!」
と女が叫ぶ。それは唇を読まなくても微かにここまで聞こえてくるくらいのばかでっかい怪音波みたいな声だ。
それを聞いて忍者は暴れるのをやめ、なおも叫び続ける女を慌てた様子でなだめる。すると女もすぐオフにされた犬のおもちゃみたいに大人しくなり、それから50年前のハリウッドの三文映画みたいに大変わざとらしく忍者の胸の中に飛び込んでいく。
「うん、わかったよ。30万な。用意するよ」
忍者の胸に顔をうずめていた女がなんて言ったのかは分からないが、彼女の頭をなでながら、忍者は確かにそう言っていた。
それで私はハッとした。
これは、忍術攻撃だ!
つまり日ごろこの女にやられていることを、あの日忍者は私にそっくりそのままやったわけだ。
道理でこんな女と付き合えば(食い物にされると言った方がいいかも)、あんなふうに心も壊れるというものだ。
はっ、しかしいい気味だ。
私はその束の間の寸劇にとても満足して、それからゆっくりと後ろを振り返る。
そのときには、あの赤じゅうたんにつけられた致命的なシミは、もう跡形もなく消えているのが分かった。
今夜のワインはとびきり美味しいものになる。さあ、とどめだ。
だが犯人の姿がない。思わず私は近くにいた刑事に尋ねる。
「あの、あそこの席にいた彼は?」
刑事が答える。
「ええ、トイレに行きたいからと、あなたがそうしている間に出て行っちまいましたよ。なあに大丈夫です。私の相棒の奴が何も言わずに付いていきましたから。若いのによく気が回るもんです」
いや、そいつが共犯者なんですけど。