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また家族になろうね。

小十郎が旅立った12月21日から、ちょうどひと月が経ちました。

13歳と4ヶ月。
毎日一生懸命私たちを愛し、食べて遊んで眠って、生きぬいてくれた毎日でした。

診断書の病名は、脾臓腫瘤とそれに伴う貧血です。

血小板の数値が特に悪く、血液が止まらない可能性が高いため、結果的に脾臓に針を刺して行う組織検査や脾臓摘出手術はできませんでした。
なので、腫瘤の種類は何だったのかは不明です。
リンパ腫だったのか、肥満細胞腫だったのか、血管肉腫だったのか…

後悔はあります。

初夏の健康診断でエコー検査をしていれば何かわかったかもしれない。
秋口に耳の異変を見つけて通院したときにもチャンスはあったかもしれない。
13年間の食事はどうだったのか、鹿之助の保護がストレスになったのではないか……
挙げたらきりがありません。

だけど、最期の数日間、小十郎と向き合うなかで、後悔やおそれにばかりフォーカスしてしまう自分の癖を、彼が叱咤してくれたように思います。
「今の俺様をちゃんと見ろ!俺様に集中しろ!」
……そんな感じ^^
妄想して勝手におそれている自分自身の苦しみや悲しみは、小十郎を目の前にしては全く不要なものだと気づきました。
小十郎を愛すること、そして私を愛してくれる小十郎を安心させてあげること。
最期まで高貴な美しい瞳で私を操る小十郎なのでした。

ここから、少し、書き留めておいたことを綴りたいと思います。


2024年12月19日。

貧血による症状が急激に悪化したため、かかりつけ医が二次病院である日本動物高度医療センターまで繋いでくれ、緊急で足立区にあるJAMeCに駆け込みました。
この時はまだ脾臓摘出手術の可能性も考えられたため、事前に血液型が適合する鹿之助も供血猫として連れて行きました。
(輸血をしながらの手術という案は数日前にかかりつけ医で言われていたので、鹿之助の血液型や健康状態などを事前に検査していました)

しかし、JAMeCでの精密検査ののち、小十郎は既に数値的にかなり厳しく、手術に耐えられる状態ではないということがわかりました。

今思えばこの時が一番つらい時間でした。
私の語彙力ではとても言い表せない、溺れるような苦しさでした。

そんな中、先生は言葉を選びながら、病状を真摯に説明してくださいました。
また、そのお話の最中に鹿之助の血液が最終的な検査でも小十郎と適合するということがわかり、人間のエゴだとは思いながらも、輸血することを選択しました。
先生からは、輸血すれば血小板の数値が良くなり、針を刺しての検査は出来るかもしれないし、それにより脾臓腫瘤の種類が特定できるかもしれないというお話もあり、可能性としては低いけれど、抗がん剤治療という選択肢もあるいは…というお話を頂きました。
私としても、少しでも回復して何かしら先に進めれば、という思いがありました。

ゆっくり鹿之助の血を体内に入れていくため小十郎は酸素ルームにて一晩入院となりました。
輸血を頑張ってくれた鹿之助は、鎮静から覚めてすぐ私に頭突きしてくれました。
先生が、鹿ちゃんは看護師さんたちに可愛い可愛いと言われてましたよと、涙が止まらない私の心を緩めてくれました。

帰宅して気づいたのですが、ちょうどこの日は6年前に鹿之助を保護した日でした。
こんな日が来て、こんな風に私たちを助けてくれる存在になろうとは……。


翌朝、病院から輸血により貧血が少し改善したことで、自力でご飯を食べたりお水を飲んだりできたという連絡が入りました。
が、数値的に大きく改善することはなく、血が止まらない可能性が高い以上、針を刺しての検査も手術も致命的になってしまう恐れがあるため、残りの時間はお家で家族とゆっくり過ごしたほうが良いのでは、というお話を頂きました。

小十郎が入院していた一晩、夫婦で色んな話をして、たくさん泣いて、ある程度覚悟は決まっていたので、連絡を頂いた時は意外にも穏やかな心で、とにかく早く小十郎を迎えに行こうと思いました。
この一晩の猶予ともいえる時間が、私たちの心にとっては結果的にとても貴重だったように思います。


退院後、酸素発生器も手配し、小十郎の療養スペースも作りました。
強制給餌ではなく手から鶏ささみを食べてくれたのには驚きました。

翌日21日は自力でベランダまで出てきて、しばらく西日を浴びて気持ちよさそうにしている姿も見せてくれました。
その後お風呂場に行き、風呂桶から水をごくごく飲んでくれました。
まるで家を確認するかのように、力を振り絞って、休み休み歩きまわりました。
鹿之助の血が、繋いでくれた時間です。

鹿之助は療養スペースの向かいで静かに丸まっていました。
すぐにちょっかいを出してしまう鹿之助が静かに目を閉じて小十郎の近くにいるのがとても珍しい光景だったので目に焼き付けました。

そして、夫も帰宅した夜10時過ぎ。

2人で小十郎の身体を撫でながら、たくさん名前を呼び、たくさん声をかけ、たくさん感謝を伝え、最期の瞬間を見届けました。

1ヶ月前には想像もしていなかった突然の旅立ち。
あっと言う間でした。

それでも小十郎は、私に『やれることはやった』と思わせてくれようと最期まで頑張っていたのではないかと思うのです。
通院や入院、検査に輸血、それはストレスで命を縮める結果になったのかもしれない。
でも、そうすることを私に赦してくれた。
最期まで私に頑張らせてくれた。
生きてほしいという私のエゴに付き合ってくれた。
夫婦で看取らせてくれた。

少しでも私たちが感じる後悔の念を減らそうと、頑張ってくれたように思えてなりません。

それは小十郎の無償の愛にほかならないと思います。

13年間、私の方が、小十郎に愛情深く育てられていたんだなぁと実感しました。


魂に還った小十郎は今、自由に様々な時間と空間を行き来していると思います。
私は小十郎の存在を感じながら、とても穏やかに毎日を送っています。
なぜだろう、以前よりも自分のことを大切に出来ているなぁと感じることが多い今日この頃です。

小十郎への愛、小十郎からの愛はずっと在り続けるもの。
身体はなくなってしまったとしても、それを実感できるというのは、とてもとても大きな気づきでした。

こじゅ、ありがとうね。
これからもこじゅの人生からたくさん学び、徳を積んだこじゅの魂に近づけるように一生懸命に修行して楽しく生きていくよ。

また家族になろうね。


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