【ミャンマークーデター】武器禁輸措置に反対したベラルーシとミャンマーの関係
今回は、ベラルーシについて。
失礼ながらマイナーな国の1つだと思います。
私がベラルーシという国に興味を持ったのは、2021年6月に国連で行われた
ミャンマーへの武器禁輸措置に、唯一反対した国が「ベラルーシ」という報道を見てからです。
それ以前、昨年の大規模デモが起こっているとニュースで知りつつも、遠い国のように感じていました。
昨年大統領選挙後に、大規模なデモが起こり、直近では、飛行機の緊急着陸などで報じられているのは記憶に新しいのではないでしょうか。
今では、昨年の大規模デモの際に、ベラルーシの国民が何に怒りを感じていたのか、少しわかったような気がします。
そんなベラルーシとミャンマーは、国軍と軍事的な関係も2000年代から始まっています。
1、ベラルーシについて
地理的には、ロシアの西側に位置し、欧州とロシアに挟まれた内陸国です。ソ連崩壊後の1991年に独立。
「欧州最後の独裁者」と呼ばれるルカシェンコ氏が
1994年に当選してから27年間大統領を務めています。
2004年に、ルカシェンコ氏は憲法を改定し、終身大統領になり、
昨年2020年8月の選挙で6選となりました。
しかし、大統領選挙後、大規模なデモが起こりました。
2020年8月以降、10~20万人の大規模なデモ、
治安部隊による暴力的な解散や参加者の拘束があっても、
週末には大規模なデモを再開。
(写真はAFPPさんより拝借)
政権に比較的忠実的と言われている国営企業でも大規模な
ストライキが行われました。
さらに、海外メディアに対する取材許可証の取り消し、
屋外でのインターネット使用制限、
活動家の拘束、国外追放など
ミャンマーのクーデターとも弾圧方法に似ている部分があります。
(ベラルーシの抗議活動については本日は割愛させていただきます。)
ちなみに、日本との関係はあまり深くはなさそうですが、
ベラルーシはウクライナのチェルノブイリ原発事故の影響を受けており、
原発事故被害に対して「核なき世界」を訴えている記念碑があります。
その記念碑の建造に日本も参加しているという繋がりを持っています。
2、国連の武器禁輸措置に対するベラルーシの反応
1ヶ月以上前ですが、6月中旬に、国連にて
「ミャンマーへの武器流入阻止求める決議案」
が行われました。
武器の”流入阻止”なので法的拘束力はありません。
採決では119か国が賛成、
ベラルーシのみ反対し、
36か国が棄権しました。
日本は賛成、タイ・ロシア・中国などは棄権しています。
ベラルーシのミャンマーへの武器輸出はほとんど監視されることもありませんでしたが、
2月10日には、ベラルーシの貨物運搬ラダ航空が所有薄る貨物機がヤンゴン空港で目撃されています。
2月初旬は、空港封鎖をされていた頃なので一般の旅客便はほぼなかった頃です。
ベラルーシの対空ミサイルシステムを購入したと言われています。
また、軍事専門家のYegor Lebedok氏によると、
ヤンゴン空港で目撃されたラダ航空は、第3国からの武器供給に特化、
ラダ航空はセルビアで輸送業務のオペレーションの許可を得ており、
ミャンマー国防省の役員と一部のミャンマーのビジネスマンがセルビアを訪問し、重機の購入を検討していると言われています。
3、ベラルーシとの軍事交流について
過去10年間、ミャンマー国軍はベラルーシの独裁政権のルカシェンコ大統領と静かに良好な関係を築いてきました。
ルカシェンコ氏は、欧米からの制裁と渡航禁止令を課されています。
ミャンマーの国軍と同様に、ルカシェンコ氏も親欧米ではありません。
(親ロシアとも言い難いですが)
2008年、ミャンマー国軍と、ベラルーシの国軍は、軍事技術協力のための
合同委員会を結成し武器の販売、製造、技術移転、訓練についても話がされています。
ベラルーシのミハイル・ミャスニコビッチ首相は、
2011年、テインセイン政権時代(民政移管の頃)にミャンマーに訪問しています。
石油探査、鉱業、肥料、自動車製造、技術移転などが話し合われ、貿易と経済協力に関する協定の署名が行われました。
2014年には、ミャンマー国軍司令官のミンアウンライン氏がベラルーシを訪問しルカシェンコ大統領と会談しています。
当時のルカシェンコ大統領やベラルーシ側の報道では、
「私はあなたのアプローチが好きです。
私たちの対話は長期的な視点を意図しており、
何があってもこの道をたどるべきです」
「非常に有望で大きな市場があります」
「私たちは、ミャンマーへの定期的な輸出や、
ミャンマー産製品の購入まで、
すべての分野でミャンマーとの関係を
発展させる準備ができています」
とミャンマー国軍を歓迎し、関係構築に価値を置いています。
・長期的な関係構築
・定期的な輸出入
・訓練を含む軍事技術分野での協力
など、ベラルーシとミャンマーの関係ができるようになってきました。
2015年、ミャンマー側でもテインセイン政権下の上院議長U Khin Aung Myint氏も
「ベラルーシのような信頼できるパートナーが必要だ」
と述べてています。
2017年、ロヒンギャに対する軍の虐殺が行われた後、
ベラルーシとの合同会議第10回目がネピドーで開催されています。
「ベラルーシが兵器や軍事装備の修理や近代化、配送、高度な軍事製品の生産など、幅広い分野で協力を提供する」
という内容の会談が行われました。
2017年11月下旬、ネピドーで軍事技術協力に関する10周年記念会議を開催しています。
2020年2月、ミャンマー防空軍司令官がベラルーシを訪問し、防空システムの開発、生産などが会議されたと言われています。
そして、クーデター後の武器禁輸を求める国連決議後も、ベラルーシ外務副大臣とベラルーシのミャンマー領事は会談を行い、
「様々な分野で二国間協力を拡大および強化する方法について実質的な意見交換を行った」
と公式声明では発表されています。
ベラルーシ側でもルカシェンコ政権は国民からの独裁政権に対する強い反発があります。
ベラルーシも、ミャンマーも国民からは支持されていない政権です。
国連決議以降のベラルーシとミャンマー国軍の関係は報道に出てきませんが
ロシアと同様に軍事・武器の輸出入の分野で注視すべき部分かもしれません。
______________________
本日は、ミャンマーとベラルーシの関係についてでした。
背景も、ベラルーシを取り巻く各国の思惑も異なりますが、
ベラルーシでは選挙後に大規模なデモが起こり
「ホワイト革命」と言われました。
「独裁政権」
に対する反発の感情や国民の目指す未来は共通している部分があります。
また、弾圧の仕方もミャンマーとも似ている部分もあります。
お時間ありましたらベラルーシのホワイト革命についても調べてみてください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?