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家庭的ではなかった
僕は結婚に失敗している。だが、子供は3人居てそれぞれ家庭を持ち、今では5人もの孫がいる。
学生結婚だった。
元妻の親の反対に遭い彼女は家を飛び出して僕の元にやって来た。
駆け落ちだった。
国内で結婚式を挙げられず、サンフランシスコの教会で航空会社の社員を立ち会いに式を挙げた。彼女は23歳だった。僕は大学のシニアだった。
大学を卒業して就職した家具製造会社では職人として木について学ぶと共にデザインの仕事が面白くて仕事に夢中だった。
バブル経済の真っ只中に山梨県の片田舎に会社が作った支社長として赴任した。東京生まれ東京育ちの僕が憧れていた田舎暮らしだった。
東京ではできなかったけれど、3人の子を儲け5人家族の田舎暮らしは戸惑いながらも新鮮だった。
次男が難病を抱えて産まれた事をキッカケに独立して自分の工房を持った。
憧れのログハウスの工房兼住まいを自分で建てた。取引先のフィンランドの工場から社長と大工が建築を手伝ってくれた。
当初は規模は小さいながらも工房の経営は順調だった。ログハウス建築なども手掛け取引の額が大きくなるにつれ僕の仕事量は増えて行った。
折しも銀行の金融引き締めによって貸し剥がしなどが横行して友人が抗議の焼身自殺をしたりして順調だった工房経営に銀行が介入してきた。
この頃僕は工房に寝泊まりして仕事に明け暮れていた。元妻と子供達は別に家を借りて暮らしていた。
田舎に移住して、子供達と暮らした日々が懐かしい。
僕が仕事に追われる生活をするまでは、穏やかなノンビリした生活だった。
仕事の規模が大きくなるにつれ、田舎暮らしは憧れていたものとは違うものになって行った。