セキララに徒然と経歴②
私の女優人生の始まり。
初舞台は4歳かな?
ミヤコ蝶々特別公演『母桜』という作品。
劇場は大阪の難波にある“中座”
初めての舞台上でやった事は、うどん屋でうどんを美味しそうに食べてお母さん役の方に「行くでぇ」と言われたら元気よく「うん!」って言って去っていく。
声は大きく出せたから精一杯の声と元気とうどん美味しかったの気持ちを込めての「うん!」を言う。それだけの出番だったけど、出番以外の時間は殆ど最初から最後まで舞台袖でずっと大御所達の演技を観ていた。
そこは舞台監督さんのポジションだったらしく私は毎日毎回その舞台監督さん、あだ名は“たけちゃんマン”とずっと舞台を見守っていた。
というか今考えるとお仕事の邪魔していたな…。
そんな感じで複数いる子役の中でも1番チビで負けん気があったので大御所俳優さん、たけちゃんマンをはじめとするスタッフの方々、もちろん蝶々先生にも可愛がられます。
でも子役の世界は厳しかった。
子役仲間とその親御さんからの私に対する嫉妬。
うちの父と母は早くに離婚しており、母が仕事をしながら私と兄を育ててくれていたので殆ど劇場へは1人で通っていました。
なので現場で親付きじゃない私は子役界では誰も守られるものがない為か子役の親御さんから嫌がらせを受ける様になりました。
その嫌がらせと、さらに舞台で小学校も年に2回、舞台で1ヶ月間休んでいたのでそれも心配した母が「一旦舞台のお仕事は辞めよう、自分の意思でまたしたいと思えばいつでもやれるから。」と言ってくれた。
私はその時どう感じたかは覚えてないけど従った。母も私も子役をする事に対して無駄な欲が無かったんだと思う。それが小学2年生くらいの時のことでした。
次の女優の再開は…
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