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きれいな夕日を見せてくれたその人に、伝えられなかった一言。できなかったお礼。
「美しいものを見せてあげたい」
25年前のあの日、その人は、そんな想いで、夕日がとびきりきれいに見える場所に、私たちを連れて行ってくれたのかもしれない。
先日、アニメ「夏目友人帳 漆(第7期)」の最終話「夢路より」を観ていたら、その人のことが思い浮かんだ。
なぜだか、無性にnoteに記録しておきたいとの衝動に駆られ、急ぎこうして書いている次第だ。
ただの物思いにふけったイタいおばさんの戯言になりそうだが、よろしければこのまま読み進めていただけるとうれしく思う。
「夏目友人帳」での夕日のシーンで、四国旅行の記憶が蘇る。
はじめに、このアニメの概要を、今回の話の流れ的に必要だと思う部分のみを挙げていきたい。(アニメの感想や考察が目的ではないので、かなりざっくりとした内容であることをご了承願いたい。)
とある事情から折り紙に入った妖(オリガミ)を預かることになった主人公・夏目は、その夜からきれいな星空や桜、紅葉などのすてきな夢を見るようになった。
それは、オリガミが自分を預かってくれたお礼にと、旅で見た美しい風景の記憶を見せてくれていたためだ。
「すごい!」と感嘆した夏目は、「お前(オリガミ)は、もっときれいな夕日を見てきたんだろうな」と言いながらも、そのお礼にと、自分が美しいと感じる夕日をオリガミに見せるのだった。
これを観た時に、25年前の12月、友人と2人で四国旅行をした時に見た夕日と重なり、それを見せてくれたその人を思い出したのだ。
息をのむほどに美しい夕日を、その人は見せてくれた。
仕事を終えたある夜のこと、当時住んでいた愛知から、翌朝に徳島駅に着く夜行バスに乗り込んだ。
そこから、レンタカーを使って、友人と2人、高知・愛媛を巡る旅をしたのだ。
高知の桂浜で美味しい鰹のタタキを堪能したり、愛媛の道後温泉でまったり癒しのひとときを過ごしたりと、ベタな観光地巡りではあるが、旅を満喫していた。
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そして、あっという間に最終日となる。
私の記憶が正しければ、この日は徳島駅前でレンタカーを返却し、そこで待ち合わせたその人と合流した。
その人とは、当時職場の同僚だったMさんだ。それから、Mさんを交えての3人で、残り1日の四国旅行を楽しんだのだ。
とはいっても、Mさんは徳島出身で、実は帰省の最中だった。
この日のMさんは、その貴重な時間を、私たちのために自分の身体と車を差し出し、徳島・香川エリアを案内してくれたというわけだ。
観光名所である徳島の大歩危・小歩危は楽しかったし、香川の讃岐うどんはとても美味しかった。
そうやって、若い3人が四国で目一杯遊んだ1日の最後。
その日見た「夕日」が息をのむほどに美しかったことは、おそらく生涯忘れないだろう。
正確にいうと、映像というよりは、その時の感覚や感情の方が鮮明な記憶として残っている。
そういえば、海外旅行が趣味の友人は、思わず「日本も捨てたもんじゃないねぇ」という言葉を呟いていたことを思い出した。
そして、その時のMさんの顔は、ちょっとはにかんだようにも、誇らしげにもみえた。
ただ、Mさんには大変失礼なのだが、この夕日をどの場所で見たのかは、どうしても思い出せない。
ちょうどベストなタイミングで夕日を眺めることができたことや、通い慣れている感があったことから、おそらくMさんの地元の徳島の馴染みのある場所だったんじゃないかと推測する。
「旅の最後に、これを見て帰ってほしい」的な勢いで車を走らせてくれたことも(たぶん)、今これを書きながら思い出してきた。
それほど、Mさんにとってここは美しい場所であり、それを私たちに見せたいという想いが伝わってきたのだ。
美しいものを見て育まれた感受性。
あの時、どうしてMさんはここまでしてくれたのだろうかと、いまさらながら考える。
きれいなものを見ることで、日頃の疲れを癒してほしいと思ってくれたからだろうか。
自分が愛する故郷のよさを、私たちに伝えたかったからだろうか。
自分の知るかぎりの美しい風景を、他人と一緒に見ることで、その想いを分かち合いたかったのだろうか。
「きれいなとこで育ったね」とは、どこかで聞いたことのあるフレーズであるが、それがそのままMさんにピッタリなのだ。
当時の仕事ぶりから私が抱いたMさんのイメージは、前向きで思慮深く、自分の意見や考えを相手にはっきり伝えながらも、やさしさやあたたかさがちょいちょい漏れ出す人だ。
この人格が形成された理由の一つが、もしかしたら、このきれいな夕日なのかもしれない。
こんなに美しいものを見ながら育ったこと、そして、その感受性を大切にしてきたからなのかなと。
四半世紀が経った今も、その人らしさは健在。
そのMさんとは、転勤を機に会うことはなくなった。
最後に会ったのは、たしか職場がらみの懇親会だったと記憶しているが、なぜか二人の間で気まずい雰囲気となり、モヤモヤを残したまま別れてしまったのだ。(と私は感じている)
そして、Mさんがどこで何をしているのかという情報も、私の耳には入ってこなくなった。
いつしか、Mさんを思い出すことも無くなった。
それが、先の「夏目友人帳」を観る数週間前に、ひょんなことから、Mさんの今の活躍ぶりを知るよしとなったのだ。
私が10年以上前に退職した業界の機関誌に、Mさんの文章と現在の顔写真が掲載されているのを見た時に、完全に一方通行ではあるものの、まるで再会を果たしたような懐かしさを覚えた。
そして、Mさんとの思い出が、どんどん蘇ってきたのだ。
当時20代だったMさんも、今やおそらく50代となり、地元徳島でとある組織の要職に就いている。
バリバリだ。バリバリにモーレツに働いているではないか。
とはいっても、童顔の面影は、しっかりと残っていた。
たしかにそれなりに歳を重ねてはいるが、これまで幾度かの艱難辛苦を乗り越えたであろう深みのあるいいお顔をしている。
さらに、書かれていた文章は、誰もが理解できるわかりやすさと、他者への配慮が感じられるようなMさんらしいやさしさに溢れていた。
「あぁ、この部分は、変わらないでいてくれてよかった・・・」
身勝手なのは承知のうえで、そんなふうに一人安堵しながら、ノスタルジーに浸ったのだ。
それからほどなくしての、この「夏目友人帳」だ。出来すぎていると思うのは、まあ私だけなのだろうが。。。
伝えたい「ありがとう」と、見せてあげたい「きれいなもの」。
「夏目友人帳」では、このオリガミの本当の姿が、夏目の夢で明らかになる。
妖ということもあり、夏目が驚いてしまうような風体だが、美しい声で最後にこう言って消えていったのだ。
さよなら、夏目。きれいな夕日をありがとう。
・・・そうか!
私はちゃんと伝えていなかったのかもしれない。
「さよなら、私の大切な友人Mさん。きれいな夕日をありがとう。」と。
そして、私はまだお礼をしていない。私が感じる美しいものを、まだMさんに見せていないのだ。
何か心残りがあるなと感じていたのだが、このアニメを観た後、そのことにやっと気がついた。
あぁ、私は何てことをしてしまったのだ・・・
もう、それが叶うことは難しいのであろうか。
でも、私はどこかで信じているのだ。
あの日、美しい夕日を見せてくれたMさんの想いと行動に、私が心揺さぶられたことを、Mさんであればきっと感じてくれていると。
そして、夏目やオリガミ、Mさんのように、きれいなものを人に見せたいという想いを大切にしていきたいなと。
自分に都合のいい解釈なのはわかっている。
でも、そう思うだけで、不思議とやさしくあたたかな気持ちになれるのだ。
最後に、私の琴線に触れる「夏目友人帳 漆」のエンディング曲、近藤利樹さんの「こまりわらい」を。
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