遠くの友達
友達は遠くに散り散りに居た方が良い
2020年7月6日
広島のミュージシャンのミカカさんに「遠くの友達」のコードを教えて下さいと連絡をした。ミカカさんが自宅の台所で様々なことを一人語りする「台所音源」をずっと聴いていて、それに感化されて台所Tシャツというのを勝手に送った。ミカカさんが良く行くママチェーンというスーパーがあるのだが、その店のチャロくんという可愛い犬みたいなキャラクターがいる。こいつももれなく無断でTシャツにして勝手に送った。
ミカカさんがご自身の店「ミカカカフェ」を始めるという時にもエプロンと当時マイブームだった前掛けを作って送った。送る前は「怒られるんじゃないか」といつもヒヤヒヤするのだが、今のところ怒られてはいない。
遠くの友達の2番の歌詞を書き写してみる。
自然だとしても 必然だとしても
ぶつかってくれば後ずさりもする
すぐ側にいてくれるだけで
もっといろいろ 考えることが出来たかも
最近、葛西純の狂猿という映画を観た。蛍光灯とカミソリデスマッチの試合の映像とホームセンターで貝印のビューティーM(葛西純はビューティー・マーダーと名付けていた)というカミソリを見つけて、それをボードに接着剤で20個貼り付ける自宅での映像のギャップが凄かった。自分の身を痛めつける凶器を自作する。時間をかけて作った凶器をリングロープに立てかける。葛西純は「プロのデスマッチレスラーならば怪我はしてはいけない」と語る。どう考えても大怪我しそうなカミソリボードを楽しそうに組み立てながら、そう語る表情は狂気しか感じないが、一方で熟知した自作の凶器によって、怪我を回避してかつ最も危険なデスマッチを生き残っているのだろう。リングロープは場外との境にあるが、自分の身を痛めつけながらも観客に熱狂を届ける信頼できる友達のようだと感じた。デスマッチで痛みの分かるプロレスを見せたいと語る葛西純の言葉には説得力がある。葛西純が所属するFRREEDOMとは違うが、新日の現行ルールではリングの外に放り出されて、戦闘不能とみなされて20カウント内に戻らないと負けになるようだ。
ミカカさんの遠くの友達は、近くの友達は近すぎる故にぶつかりやすく、後ずさりしてしまうと歌っている。遠くの友達は、リングの境界線に存在しているのだろうか。遠くの友達に近くに居て欲しい時がある。でも、遠くの友達は遠くに居ることに必然性があるのだと思う。リングの外に逃げ出したい時、いつものビューティーMがチクリと刺して、痛みを与えてリングへと引き戻してくれる。身動きが取れなくなった時、遠くの友達によってリングの広さに気付くことができる。
遠くの友達なら なんて言うかな
遠くの友達なら 教えてくれるかな
ちなみにミカカさんとは、まだ会ったことがない
長くなったが、そんなミカカさんのカバーアルバムに参加させてもらった。「遠くの友達」で。
広島を中心に活躍しているミュージシャンに混じって2曲目に完全に異質な「週刊ラズベリー」の表記が。さらに「にゃーご」でも録音協力しています。嬉しいやら恥ずかしいやらですが、聴いていただければと思います。
もうすぐ手元にCDが届くので、CDの売れない時代ということもあり、Tシャツとか俺っぽいものを抱き合わせにして付加価値つけて、セット販売したいと思いますので、またお知らせします。