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「原作」が先か「映画」が先か

友人知人との間で議論になることも多いであろうこの話題。
それについて考えていること。

「原作」を読むことは「原作」と自分との対話で成立していると思う。読み、考え、感じ、振り返り、一旦閉じ、また読む。
その作品世界の想像の主導権は自分にある。
「映画」を観ることは「映画」というエンタテインメントに参加することになる訳で、始まったら、終わりまでの時間は決まっていて、物語との対話の主導権は自分にはない。
この、対話と主導権の有り様が、「原作」と「映画」の違和感になっているのではないかと思う。
エンタテインメントであるならば、俳優の「演技」や「映像表現」「音楽」といった要素に注目する方が収穫がある。

「原作」が「映画」になることは「映画化」と言われるが、この「映画化」には二段階あると思っていて、「映画」作品になって公開されるのことが第一段階、「映画」を観て、それ以後に「原作」を読むと、頭の中で登場人物が映画のキャストで登場してしまうのが第二段階。
この第二段階の「映画化」が頭の中でされてしまうと、素の「原作」に戻れなくなってしまう。つまり「想像」が「固定」されてしまう現象が起きる。

似た現象では、「原作マンガ」が「アニメ化」されると、それ以後コミックを読んでも、キャラクターの声色や喋り方のくせは、頭の中でアニメの声優になってしまう。
おそらく「オラ悟空!」は誰の頭の中でも一緒であろう。

やはり、順番は、「原作を先に読む」が好きである。
子どもが、絵本に夢中になるのは、映像化よりも固定が弱く、想像が膨らみやすいからかもしれない。
それだけに読み聞かせる大人のスキルが重要になってくる。それこそ声優みたいに。
ふと、クリエイターやアートの世界で活躍する人が、幼少の頃に絵本の読み聞かせをされていたかどうかが気になってきた。

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